経済・企業よみがえる宇沢弘文

「環境」を分析できる理論に挑み続けた経済学者の遺言=佐々木実

     宇沢弘文の評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(講談社)の取材で青木昌彦氏に会ったのは、宇沢が世を去って1カ月後の2014年10月だった。米スタンフォード大学の研究室で青木氏は、米国での宇沢の評価をこんな言葉で語っていた。 特集:よみがえる宇沢弘文

    「数理経済学の最先端で活躍して、あそこまで尊敬された経済学者は日本人では後にも先にも宇沢さん以外にはいない」

     青木氏は翌年に亡くなったが、宇沢の1世代下で国際経済学連合(IEA)の会長を務めるなど国際的に活躍した。その青木氏からみても、米国での宇沢の存在感は際立っていた。

    論敵のミルトン・フリードマン(右)とは幾度も議論を闘わせた
    論敵のミルトン・フリードマン(右)とは幾度も議論を闘わせた

    絶大な評価の中の帰国

     20世紀を代表する理論経済学者ケネス・アローに招かれ、宇沢がスタンフォード大学に着任したのは1956年、28歳のときだった。アローやレオニード・ハーヴィッツなど数理経済学の少数精鋭集団のなかでたちまち頭角を現し、ロバート・ソロー、ポール・サミュエルソン、ジェームズ・トービンらにも認められ親交を結んだ。

     名を挙げた経済学者がすべてノーベル経済学賞受賞者であることからもわかるが、かつて米国で宇沢ほど高い評価を得た日本人はいなかった。35歳で米シカゴ大学教授に就任した宇沢は、しかし、不惑の歳を迎える68年に突然、日本へ帰国してしまう。ベトナム戦争への憤りが帰国を促したといわれている。

     宇沢は、経済成長の研究で知られる。独創的な「宇沢2部門モデル」を築き、最適成長理論の発展にも寄与した。成長論の権威ソローは87年にノーベル経済学賞を受賞したが、青木氏は、「宇沢さんが同時受賞してもよかったと考える米国の経済学者が結構いた」とも話していた。

     成長論以外にも投資の理論、一般均衡理論、消費者の顕示選好理論、数理計画法など、米国で宇沢は驚くほど広範な領域で活躍した。

     だが、世界屈指の数理経済学者にはもう一つの顔があった。帰国後、「社会的共通資本(Social Common Capital)」の概念を創造し、理論を築きあげた「社会的共通資本の経済学」創始者としての顔である。

    〈社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する〉(『社会的共通資本』岩波新書)

     宇沢は社会的共通資本の重要な構成要素として、自然環境(大気、森林、河川、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど)、制度資本(教育、医療、司法、金融など)を挙げている。

     分析の対象は市場均衡のメカニズムではなく、むしろ市場経済を成り立たせている「土台」だ。市場経済に不可欠な「非市場の領域」を包摂する経済学の構築を宇沢は試みたのだった。

    (注)黒字は政治経済情勢 (出所)筆者作成
    (注)黒字は政治経済情勢 (出所)筆者作成

    2人の宇沢弘文

     宇沢の同僚や教え子、友人に取材していて、あたかも宇沢弘文が2人存在していたかのような錯覚にとらわれることがあった。世界に認められた数理経済学者の“前期宇沢”と、社会的共通資本論を提唱した“後期宇沢”──。

     率直にいって、経済学者が宇沢を語る際、社会的共通資本の話題にはあまり触れたがらない。「世界のウザワ」と称賛されるのは“前期宇沢”である。対照的に、経済学を専門としない人の多くは“後期宇沢”に関心を寄せる。

     興味深いことに近年、世界の動向はむしろ、“後期宇沢”に近づいてきている。国連が唱えるSDGs(持続可能な開発目標)、投資家の行動を変えつつあるESG(環境・社会・企業統治)投資、深刻化する地球温暖化問題などをみれば明らかだろう。宇沢が社会的共通資本を着想したのは50年も前であり、地球温暖化の研究を始めたのは30年前だった。没後5年あまり過ぎてなお、宇沢経済学は色あせていない。資本主義が曲がり角にある今こそ、謎多き経済学者の全体像を描き直す時である。

    “前期宇沢”と“後期宇沢”の境目は68年、シカゴ大学から東京大学への移籍だ。さきに帰国の理由にベトナム戦争を挙げたが、実はすでにサミュエルソンらアメリカ・ケインジアンが主導する「米国経済学」に批判的だった。学問的な理由もあったのである。

     日本で取り組むべきテーマは二つあった。『近代経済学の再検討』(岩波新書)で宇沢が指摘している。

     第一は、「経済学が、その分析対象をあまりにも狭く市場的現象に限定しすぎて、より広範な、政治的、社会的、文化的側面を無視ないし軽視しすぎたという批判である。環境破壊、公害、人間疎外、ゆたかさの中の貧困などすべて、このカテゴリーに属するものである」。

     第二は、「いわゆる近代経済学の理論的枠組みをかたちづくっている新古典派の経済理論が、あまりにも静学的な均衡分析に終始しすぎていて、インフレーション、失業、寡占、所得分配の不平等などという、すぐれて動学的な不均衡状態にかんする問題に対して有効な分析を行うことができないということにかかわるものである」。

     第一の問題への対応が社会的共通資本の研究に、第二の問題への取り組みが不均衡動学の研究となった。新古典派経済学への内在的な批判である不均衡動学が米国時代と連続性を持つのとは違い、社会的共通資本の経済学は日本の現実に向き合うことから始まった。ルーツがまったく異なるのだ。

     宇沢は、当時日本が直面していた深刻な社会問題、高度経済成長のひずみである公害と環境破壊を分析し、解決するための経済学を構想した。帰国直後をこう回想している。

    新古典派経済学を超えて

    「特に問題になったのが公害です。ところがそれまでの経済学は、自然や文化的社会的環境を理論的な枠組みのなかに取り込もうという努力をしてこなかったわけです。要するに、私有されないものはすべて公共財で自由に使ってよいという考え方が支配的でした。その時に非常に大きな影響を受けた書物が宮本憲一さんの『社会資本論』(有斐閣)でした」(『環境と公害』2001年冬号)

     帰国直後の宇沢に重要なヒントを与えた宮本氏は、『自動車の社会的費用』(岩波新書)の意義を強調している(80ページ)。宇沢が46歳を迎える直前(74年6月)に出版した同書は、ベストセラーとなり毎日出版文化賞を受賞した。宮本氏は、同書が「新古典派経済学者」を超える契機となったと語っている。宮本氏の指摘は、担当編集者だった大塚信一元岩波書店社長の次の証言とも符合する。

    「『自動車の社会的費用』は、宇沢さんの宣言だったとおもうんですよ。新古典派経済学の枠組みを離脱するぞ。そう宣言したのだとおもう」

     確かに、社会的共通資本の研究は激しい新古典派経済学批判を伴うことになった。徹底した経済学批判は、ケインズの高弟ジョーン・ロビンソンの「経済学の第二の危機」(71年12月の米国経済学会での講演)に呼応してもいた。

     ただし、経済学の変革を企図しながら、宇沢は社会的共通資本を新古典派経済学の手法で表現することに一貫してこだわった。この事実は“前期宇沢”と“後期宇沢”のミッシング・リンクを探す手がかりとなる。

     ポイントは、数理経済学に対する姿勢である。宇沢が渡米した当時、経済学の数学化が急速に進んでいた。立役者のサミュエルソンに早くから認められた宇沢は、なぜかサミュエルソンに厳しい評価を下していた(84ページ参照)。

     宇沢はもともと数学者だった。東京大学理学部数学科で最優秀の成績をおさめ大学院に進んだものの、敗戦直後の混乱のなかでマルクス経済学と出会い、「荒廃した人々と社会を癒やす」と決意、20代半ばで経済学者に転身した。アローやサミュエルソンが先導する「経済学の数学化」の波に乗れたのは、ずば抜けた数学の能力を持っていたからだった。

     実は、“後期宇沢”への変貌を「数理経済学からの離反」と解釈する経済学者が少なくない。「高度な数学を用いる経済学に限界を感じた」という、教え子にもみられる理解は、社会的共通資本を「敬して遠ざける」原因にもなっている。

    中村哲医師(左)からアフガニスタン支援の苦労を聞き感銘を受けた(2006年11月、同志社大学)
    中村哲医師(左)からアフガニスタン支援の苦労を聞き感銘を受けた(2006年11月、同志社大学)

    ヴェブレンの制度主義

    “後期宇沢”は、理論家であると同時に実践家だった。空港建設に反対する農民と政府の成田闘争を仲裁する過程で、宇沢は「三里塚農社の構想 日本における農の営みの再生を求めて」(『二十世紀を超えて』〈岩波書店〉所収)を編み出した。長野県の田中康夫知事(当時)に請われ、座長としてとりまとめた「未来への提言~コモンズからはじまる、信州ルネッサンス革命~」(長野県総合計画審議会最終答申)は実践的な社会的共通資本論でもあった。

     アフガニスタンで社会的共通資本の再建に尽力した中村哲医師との対談では、すっかり意気投合したものである。

    “後期宇沢”は、かつてのように権威ある学術誌に頻繁に論文を発表することはなかったが、現実というヤスリにかけて思考を研ぎすました。表現や発表のスタイルが“前期宇沢”と異なるのは確かだが、だからといって方法としての数学まで放棄したわけではない。実際、集大成『社会的共通資本の経済解析』(ケンブリッジ大学出版)では、新古典派経済学の数理的な分析手法を駆使している。

    「数学」が果たした役割を見極めなければ、経済学者宇沢弘文の全体像はつかめない。この難問に挑んだのが、宇沢の長男であり数学者の宇沢達氏だ。名古屋大学大学院多元数理科学研究科の教授を務める達氏は、これまで公に父を語ることがなかっただけに貴重な証言である(78ページ)。

    “前期宇沢”と“後期宇沢”のミッシング・リンクを見つけることができれば、現実に働きかける理論への強い志向が明瞭に見えてくる。「ソースティン・ヴェブレンの制度主義」と宇沢が呼んだ経済学が姿を現すのである。

    (佐々木実・ジャーナリスト)

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