『壁の世界史 万里の長城からトランプの壁まで』 評者・平山賢一
著者 イアン・ヴォルナー(建築史家) 訳者 山田文 中央公論新社 2600円
建造物は「分断」の具現化 人類はどう乗り越えるか
ムソルグスキーによるクラシック音楽の名曲「展覧会の絵」は、特徴ある名画(曲)と名画(曲)の間に、プロムナード(散歩道)という名のテーマ曲が繰り返し奏でられるので有名だ。本書は、同じように、世界史に刻まれる壁のエピソード紹介のはざまに、米墨(メキシコ)間の壁をめぐる現代史的テーマをプロムナードとして織り込んでいる点で、たいへんユニークな構成になっている。とはいえ本書の主題は、世界史における構造物としての壁ではなく、プロムナードである「現代の壁」の方である。
この地政学上の現代の壁は、地上に少なくとも70カ所存在し、そのほとんどが21世紀に入ってからできたものとのこと。その増殖ペースのすさまじさから、現代は「壁の時代」でもあるわけだ。では、ベルリンの壁が壊され、グローバリズムの掛け声が耳に残る昨今、なぜ、このように多くの壁がつくられているのか?
著者は、米国の壁建設支持者のメンタリティーが、「日々感じてきた不安」と「周縁に追いやられている」という無力への共鳴を政治に求めている点に、その解を見いだす。また、パリにある「ティエールの城壁」が、国内政治の道具であったことを紹介し、人々を支配する象徴として壁が有効だった点も強調している。
ここで、われわれ読者は、エーリッヒ・フロムが主張した「自由からの逃走」と重なる部分を見いだせるかもしれない。自由を獲得したものの、その孤独感と不安感の重圧に耐えきれずに人々は、全体主義への従属と、独裁体制による支配を望むに至る歴史の韻律が湧きあがるからだ。
また、壁の世界史は、「分断された人々が壁をつくるのではなく、壁が人々を分断していく」というものであり、「差異が壁をつくるのではなく、壁が差異をつくっていく」という点も気にかかる。つまり、小さな自由からの逃走が、目に見える構造物としての壁をつくり、さらにその壁が既成事実としての分断を決定的なものにしうるからである。
人類は、壁を乗り越えて、共に手を携えて多くの文明を創造する歴史を歩んできた。この事実に照らしてみれば、壁による分断を迫ることは、人類が積み上げてきた文明の価値を失う危険性を感じざるを得ないだろう。だが、本書の救いは、「すべての壁に共通することは、どれもみな衰える」との指摘だ。壁に頼らざるを得ない「分断の時代」に歯止めをかけるのは、わたしたちの不安・孤独感・無力感の楔(くさび)を断ち切っていくことなのかもしれない。
(平山賢一・東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長)
Ian Volner 1981年生まれ。コロンビア大学、ニューヨーク大学インスティテュート・オブ・ファイン・アートで建築史、批評等を学ぶ。『ウォール・ストリート・ジャーナル』『ニュー・リパブリック』等に寄稿。