『最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影(みかげ)の令嬢」へのレクイエム』 評者・将基面貴巳
著者 樋田毅(ジャーナリスト) 講談社 1800円
芸術への愛と「暗闘」と 村山美知子の素顔を活写
本書は、朝日新聞社の創業者・村山龍平の孫にあたる村山美知子の評伝である。今年3月に満99歳で逝去したこの女性は、朝日新聞社の「最後の社主」だったが、同社とは経営権や株式所有問題などをめぐって対立することが少なくなかった。本書の著者は、美知子の「世話役」を務めた経験に基づき、あまりにもわがままだと陰口をたたかれていた美知子の素顔や村山家の内情を極めて率直に描いている。
多くの読者にとってのハイライトは、本書の後半で生々しく語られる朝日新聞社と「社主」美知子の「暗闘」であろう。美知子が最終的に所有株をどのように処分し、遺言を書かされ、後継者として養子を迎えようという努力をすることになったのか。それに至る経緯を本書は活写しており、読者はあたかも数々の社会派作品を遺(のこ)した山崎豊子の小説を読むような感覚を覚えるであろう。
3分の1を超える持ち株を村山家に放出させ、大株主の圧力から自由になったのちの朝日新聞社に著者は批判的であるが、それとは対照的に美知子を描く筆致は愛情にあふれている。それは、美知子の気丈な性格や、芸術を愛し優れた芸術家を支援することに惜しむことなく注いだ情熱などに、著者が共感を覚えたからであるように思われる。
実際、美知子が企画し実現させた大阪国際フェスティバルに関する記述は、戦後日本におけるクラシック音楽史の一側面を描いていて興味深い。短い一度限りの結婚生活にピリオドを打ったのち、若い美知子は音楽芸術と産業を学ぶために渡米する。そこで得た知見をもとに、世界有数の芸術フェスティバルに比肩するものを日本で初めて実現させた。欧米諸国の名だたる演奏家の信頼を勝ち取り、日本人のクラシック音楽家を支援した功績は、朝日新聞社の「社主」という枠に収まりきれないものであろう。
そのほかにも、評伝として当然のことながら、本書は、1920(大正9)年誕生以来の極めて恵まれた幼少期をエピソード豊かに描く一方、創業者・村山龍平や、その後継者・長挙(ながたか)(美知子の父)の時代の朝日新聞社の経営史にも1章を割いている。
戦前の「華族」を思わせる生活スタイルを貫き通した美知子はまさしく「最後の深窓の令嬢」であった。しかし、優雅な生活を謳歌(おうか)した人物といえども、その生涯は、気楽なものとはとうてい言い難く、新聞王の一家の後継者として苦悩に満ちたものであった。
(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)
ひだ・つよし 1952年愛知県生まれ。朝日新聞社入社後、大阪府警担当、朝日新聞襲撃事件取材班キャップ、和歌山総局長などを経てフリーに。著書に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』がある。