教養・歴史書評

『香港デモ戦記』 評者・将基面貴巳

    著者 小川善照(ジャーナリスト) 集英社新書 860円

    逮捕も恐れない若者の覚悟 香港人のアイデンティティーに迫る

     中国の全国人民代表大会は5月28日、香港での反体制的な運動を取り締まるために「国家安全法制」の導入を決定した。まさに香港情勢が風雲急を告げる折、本書は、香港デモ運動のこれまでの展開を理解する上で格好の作品である。著者は、デモ参加者やそれを支援する市民たちの声を紹介することで、反体制デモ運動を巡る緊張感を生々しく伝える。

     本稿執筆時点ではなお継続中のデモ運動は、2019年に「逃亡犯条例」改正へ市民が反発したことに端を発しているが、民主化運動一般の原点は14年の「雨傘運動」(香港行政長官の選挙方法を巡る抗議運動。警官隊の催涙弾に雨傘で対抗したことからこう呼ばれる)である。

     アグネス・チョウ(周庭)やジョシュア・ウォン(黄之鋒)などの若いリーダーたちに率いられた「雨傘運動」は反体制的とはいっても比較的穏やかなものだった。

     これに対して、現下のデモは、SNSを駆使した不特定多数の運動であり、明確なリーダーがいない。さらに、参加者に逮捕されることも辞さないほどの厳しい覚悟を迫るものとなっているという。運動への参加に反対する家族や友人と決別してまでも、デモに身を投じる若者たちの肉声を紹介しつつ、最前線で警察と一戦交える「勇武派」の若者たちや、「和平、理性、非暴力」をスローガンにデモ行進する100万人以上の一般市民の思想や複雑な心情を本書は明らかにする。

     一口にデモ運動といっても、その主義主張はさまざまで、従来のリベラルな民主派に加え、最近台頭しているのが急進的な「本土派」である。大陸中国ではなく香港こそが「本土」だと主張する本土派はナショナリズム的な色彩が濃厚である。政治的自由を守るだけでなく、中国人とは異なる「香港人」としてのアイデンティティーを強調する。

     本書は、多くの若者が政治運動に参加する背景に香港での中等教育を挙げている。詰め込み教育を排し、一般社会の問題を深く考えさせる教育が、若者の政治意識を高めていると指摘する。また、日本のオタク文化にデモ隊の若者たちが影響を受けているという。アニメなどで見られる巨大な敵に反抗する物語に、香港の若者は自分たちの姿を重ねている。アニメ産業の盛んな日本で、社会運動が低調というのは皮肉だが。

     本書は、牙をむいた「暴政」に抵抗することの厳しさ、民主主義を守り抜くことの難しさを如実に伝える。香港の危機は人ごととして傍観して済まされることではない。

    (将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


     おがわ・よしあき 1969年佐賀県生まれ。『週刊ポスト』記者として事件取材を担当し、『我思うゆえに我あり』で第15回小学館ノンフィクション大賞優秀賞。雨傘運動以降、精力的に香港取材を継続している。

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