教養・歴史書評

『Adaptive Markets 適応的市場仮説 危機の時代の金融常識』 評者・平山賢一

著者 アンドリュー・W・ロー(マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院教授) 訳者 望月衛、千葉敏生 東洋経済新報社 4500円

人間の生物学的アプローチから 経済事象を捉える新たな理論

 本書は、合理的な判断をする人間(ホモ・エコノミクス)により、効率的な金融市場が形づくられているという主流派経済学(効率的市場仮説)に対して、環境変化に市場参加者が適応する中で金融市場が進化していくという「適応的市場仮説」を提示したものである。誤解を恐れずに言えば、前者を物理学的アプローチとすれば、著者の示す枠組みは生物学的アプローチと読み替えてもよいだろう。

 適応的市場仮説の立場は、「冷徹な経済人」を前提とした理念的な議論に拘泥するのではなく、心理学や神経科学などにより「生身の人間」を真摯(しんし)に捉えて、経済事象を率直に観察するものと言えよう。

 実際に金融市場に接している市場参加者にしてみれば、市場はすべての情報を瞬時に織り込む効率的な場であるかもしれないが、時としてその機能がゆがめられる出来事に遭遇してきたと思い返すはず。突然の出来事に遭遇した人間が「闘争か逃走か」の反応に陥り、合理性が後退することはよくあることである。

 株式市場で短期間に20%以上も株価が変化してしまうように、金融市場が狂乱とパニックに至るケースは、数年に一度発生している。さらには、戦争や政府の大規模な政策変更、そして今回のコロナショックの発生時のように、本来ならば成り立つはずのリスクとリターンの関係が崩れてしまうことがある。

 そこで、「適応的市場仮説」は、金融市場が、「効率的か、非効率的か」という二者択一の場ではないと捉える。その上で、効率性には「程度」があると考え、その度合いを測ろうとするわけである。著者は、「人々は(中略)必ずしも最適ではないけれど十分に満足できる意思決定を行う」と説明している。

「適応的市場仮説」の日本における研究は、野田顕彦氏(京都産業大学経済学部准教授)をはじめとして少しずつ関心が深まりつつあるものの、認知度はそれほど高くないのが現状である。しかし今後、コロナショック後の金融市場の混乱を考える上でも、重要な切り口を提供してくれるだろう。

 そのため、市場を常に注視している投資家だけではなく、企業経営者や政策担当者にとっても、精読に値する書であると言える。また、望月衛、千葉敏生の両氏が手掛ける軽快な翻訳は小気味よく、600ページを超える大著にもかかわらず、いつの間にか読み終えてしまう軽快さを備えている。

 夏休みの一冊にぜひ加えたい。

(平山賢一・東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長)


 Andrew W.Lo 1984年ハーバード大学Ph.D。クオンツ運用会社アルファシンプレックス・グループ創業者。MITの金融工学研究所所長も務める。『ファイナンスのための計量分析』(共著)などの著作がある。

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