教養・歴史書評

『椅子クラフトはなぜ生き残るのか』 評者・後藤康雄

著者 坂井素思(放送大学教授) 左右社 2000円

機能性や効率性の外にある「有益な失敗」という魅力

 1枚の白い羽根が主人公の座るベンチの足元に舞い落ちる。映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の冒頭シーンだ。ベンチはこの作品で重要な意味を持つ。我々一人一人の人生の傍らには常に椅子がある。その椅子の中で本書がスポットを当てるのは特に工芸品(クラフト)である。

 手作業を要するクラフト椅子の製作は生産性を高めにくい。さぞ小規模事業者は苦戦しているだろうと思いきや、日本では最も小規模な事業者のシェアが伸びている。経済産業省の工業統計調査によれば、木製家具製造業では従業員3人以下の事業者が1979年、全事業者中41・8%だったのが、2014年には65・6%まで高くなっている。この統計的事実が本書の問題意識の出発点である。

 椅子への思い入れにあふれる出だしから、小規模クラフト事業者をたたえる内容を予想すると肩透かしに遭う。小規模事業者が健闘しているように見えるのは、サービス業などのように労働者1人当たりの負担が大きく人の数を減らせていない労働集約型産業の生産性の低さがあるからではないか、と冷静に指摘する。しかし、それだけではやはり多数の小規模事業者が存続する状況を十分説明できない。

 著者は、ユーザーと作り手の双方に切り込む。まず、ユーザーは椅子クラフトから何を享受するのか。ユーザーは、人の手による個性やぬくもりを持つ椅子クラフトから文化的要素を感じることができる。そして、作り手の側にも、素材の魅力を吟味し、自らの技能を最大限生かして自由に作るという、大規模事業者とは違った独自のモチベーションや視点があることが示される。

 著者はさらに踏み込んで、椅子と経済の関係を考察する。今日では、「安かろう悪かろう」製品は駆逐され、安価で丈夫な製品が多く流通している。そこでは生産性の低いクラフツ文化の入る余地などないように見えるが、工芸品の生産が存続しているのはなぜだろうか。著者は「有益な失敗」というユニークな視点を導入する。

 例えば、椅子の木目を生かすには、打ち込む楔(くさび)は目立たないほうがよいとされてきた。それが職人の自由な発想の下では、しばしばこの楔が目立つことがある。無難で安価な製品を多く生産する効率の観点からは「失敗」だが、その「失敗」こそが工芸品では「顔」のような面白さとなる。機能性と効率性の外にあるこうした椅子の魅力を、人々はけっして手放すことはない。

(後藤康雄・成城大学教授)


 さかい・もとし 1950年、信州で木材業を営む家に生まれる。85年に放送大学教養学部助教授に就任、現在は同大学経済学部教授。社会経済学、産業・消費社会論、クラフツ文化経済論が専門。著書に『貨幣・勤労・代理人 経済文明論』など。

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