『お酒の経済学 日本酒のグローバル化からサワーの躍進まで』 評者・後藤康雄
著者 都留康(一橋大学名誉教授) 中公新書 820円
消費者の知らない酒造りの創意工夫 海外で評価され始めた日本
酒離れが指摘されつつも、日本社会における酒の存在は今なお大きい。本書は、酒を愛する経済学者が、日本の酒の生産から消費までを経済学・経営学の視点から語った啓蒙(けいもう)書である。
確かに酒市場は学術的論点のオンパレードだ。税制はその一つであり、高い酒税率を課されているビールを横目に発泡酒類を手に取る我々の消費行動に直結している。また、時折見かける高級焼酎の目が飛び出そうな価格の背後には、需要・供給の構造がある。需要が増えて値上がりしても、すぐに生産を増やせず、そこにプレミアム(割り増し価値)が生まれる。
多岐にわたる論点の中で本書が特に着目するのが、イノベーションとグローバル化である。前者のイノベーションは“技術革新”と訳されることが多く、テクノロジーを想起しがちだが、本来もっと広範な概念である。
酒の世界でも新たな製造法など技術的な要素はもちろん重要だ。しかし、本書で示される通り、酒は嗜好(しこう)品の性格を持っており、消費者の嗜好を捉えることが決定的な鍵を握る。そこには、劇的にシェアを伸ばしたアサヒ「スーパードライ」のような新製品の開発もあれば、ハイボール・ブームによるウイスキーの伸長に見られるような飲み方の提案もある。さらには、日本酒の杜氏(とうじ)の正社員化などを通じた品質安定など、消費者の目には触れないさまざまな創意工夫の努力までもが含まれる。
市場全体の観点からは、急速なグローバル化も重要ポイントである。日本の酒類の輸出額は過去10年で4倍近くまで急増している。世界的な著名シェフ、ジョエル・ロブションとの出会いを契機に海外市場で躍進した「獺祭(だっさい)」は日本酒の成功例だが、その他の酒類でも海外への展開が幅広く進んでいる現状が紹介される。
過去の延長線のままでは伸び悩みを避けにくいが、製品を差別化して付加価値を高めるイノベーションを進め、海外への販売を促進すれば、市場の活路を見いだせるというのが本書の主張だ。これは筆者の日本の酒市場へのエールであり、その方法論は産業界全体の光明でもある。
適量なら我々に大いなる潤いと活力を与えてくれる芳醇(ほうじゅん)な液体の背後に、営々とした造り手の努力が重ねられていることが本書から読み取れる。もし読者がお酒をたしなまれるなら、読後の一杯にこれまでと違った風味が加わるかもしれない。何を隠そう長年こよなく酒を愛してきた評者も、今宵の一杯が楽しみだ。
(後藤康雄・成城大学教授)
つる・つよし 1954年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学(経済学博士)。同大学助教授、教授を経て現職。著書に『労使関係のノンユニオン化 ミクロ的・制度的分析』など。