教養・歴史

ノーベル賞受賞でNHKリポーターを絶句させた小柴先生のひとこと

小柴昌俊さん 94歳=東京大特別栄誉教授、ノーベル物理学賞(11月12日死去)
小柴昌俊さん 94歳=東京大特別栄誉教授、ノーベル物理学賞(11月12日死去)

 2020年11月12日、東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊先生が逝去された。小柴先生は岐阜県神岡町にカミオカンデ(KAMIOKA Nucleon Decay Experiment:岡核子崩壊実験)を建設した。現在の標準素粒子モデルでは安定であると考えられている陽子(中性子とともに、原子核を構成する粒子)が実は不安定で他の素粒子に崩壊する可能性を調べることが主な目的であった。

 しかし、その優れた検出器のおかげで、1987年に大マゼラン星雲で起こった超新星1987Aからのニュートリノという素粒子の天文学的初検出に成功した。正確には、地球に光とニュートリノが届いたのが87年であり、実際に超新星爆発が起こったのはそれよりも15万年以上過去の出来事である。

 ニュートリノ天文学を開拓したこの業績によって小柴先生は2002年ノーベル物理学賞を受賞された。

「ポケットに卵を温めておくように」

 現在の日本学術会議の会長である梶田隆章氏は、カミオカンデの後継であるスーパーカミオカンデによってニュートリノに質量があることを明らかにし、15年にノーベル物理学賞を受賞されている。残念なことにスーパーカミオカンデの責任者であった戸塚洋二氏は、08年に他界されたが、もしもご存命であったならば、共同受賞されていたことは確実である。

 さらにスーパーカミオカンデをアップグレードしたハイパーカミオカンデ計画が正式に承認され、27年の完成を目指して建設が進んでいる。

 このように、小柴先生が開拓したニュートリノ実験は現在も新たな発見を続けており、日本は世界をリードするニュートリノ研究拠点となっている。

 私は学生時代に直接講義を担当して頂いたことはなかったのだが、物理学科進学直後のガイダンスの折に、「ポケットの中に将来大きく育つであろう卵を何個か温めておくように」との話をされたことは強く記憶に残っている。これは小柴先生のお気に入りの言葉であったようで、その後、多くの方が引用されている。

岐阜県飛驒市に建設が計画されている観測施設「ハイパーカミオカンデ」のイメージ=ハイパーカミオカンデ研究グループ提供
岐阜県飛驒市に建設が計画されている観測施設「ハイパーカミオカンデ」のイメージ=ハイパーカミオカンデ研究グループ提供

「親分」としての重大な役割

 私の小柴先生との唯一の接点は大学3年生のときの学生実験であった。といっても、実験そのものは助手が担当し、学生は実験レポートを担当教員のメールボックスに提出するだけなのが普通である。

 しかし、小柴先生の担当する学生実験は、レポート提出時に直接面談し口頭試問を受けることが必須となっていた。

 小柴先生は怖いことで有名だったため、実験が苦手な私はその面談をとても恐れていた。

 ただしその実験はペアで行ったので、優秀な相方のおかげで怒鳴られることもなく無難に面談を切り抜けることができ、ほっとしたことは今でも覚えている。

 その後、別の研究室の大学院生となった私から見た小柴先生は、いわゆる大学教授のイメージとはかけ離れ、どちらかといえば、社長、政治家、親分と表現するほうがしっくり来る印象であった。

 当時はあまり理解できなかったが、この年齢になるとその重要性がよく分かる。

 この世界を貫く基本構成要素とそれらがしたがう物理法則を探求する行為は極度に抽象的であり、ごく少数の選ばれた浮世離れした学者が小さな実験室に閉じこもって研究に没頭しているというイメージが浮かぶかもしれない。

 しかし、現実は全く異なる。いまや最先端の物理学・天文学のビッグプロジェクトは、もはや一国だけで実施することは不可能であり、国内外の100を超える研究機関から1000人規模の研究者が参加することも決して珍しくない。

 当然、このプロジェクト自体も国際社会の縮図となってくる。

 単に文献を読み、計算するといった世間が想像しがちな研究者だけでなく、各国の政府から研究費を獲得してくる財務担当、各国間の利害調整を行う外交担当、実験装置を設置する土木工事担当、さらには検出器製作、実験システム制御、データ解析コンピュータコード開発、科学成果の広報、などなど幅広い業種にわたり高度の分業が不可欠だ。そしてそれらを統括するリーダーの存在こそ、プロジェクトの成功の鍵を握る。

 小柴先生が率いたカミオカンデの実験は、現在のビッグプロジェクトと比較すれば極めて小さな規模でしかなかったのだが、日本の素粒子宇宙実験におけるそのような研究スタイルの嚆矢であったと言える。だからこそ、「親分」としての小柴先生の卓越した能力のおかげでノーベル物理学賞につながる大きな成果が生み出されたわけだ。

授与されたメダルを手に笑顔の小柴昌俊さん(左)と田中耕一さん=ストックホルムのコンサートホールで2002年12月10日、代表撮影
授与されたメダルを手に笑顔の小柴昌俊さん(左)と田中耕一さん=ストックホルムのコンサートホールで2002年12月10日、代表撮影

強調したいところは小声でぽつり

 ある国際学会で小柴先生の講演を聞いた時に、その英語の上手さ(学位はアメリカのロチェスター大学で取得されている)に加えて、聴衆の心にしみるような発表をされたことに驚かされた。

 どう表現すれば良いのかわからないが、浪花節的あるいは演歌的とでもいうべき不思議な感じのプレゼンだったのだ。特に、強調したい部分で声を張り上げるのではなく、逆に小声で話されていたのが印象的だった。

 ずっと後で、別の学会で同じく見事な発表をした米国人がおり、たまたま横に座っていたのでその極意を質問したことがある。彼は、学生時代に政治家となることも考え、弁論部に所属していたとのことだった。そしてその際に、最も重要なことはゆっくりとかつ声を潜めてしゃべるほうが効果的であると教えてもらったと言っていた。しっかり聞き取ろうとする聴衆が注目して静かに集中してくれるかららしい。小柴先生はそれに自ら気づき、実践されていたのかもしれない。

「まったく役に立ちませんね」

 とはいえ、私がもっとも強烈に記憶しているのは、02年にノーベル物理学賞を受賞された翌朝の、NHKニュースのリポーターとのやり取りである。

「先生のご研究はどのようなことに役に立つのか教えていただけませんか」とのきわめて素朴な質問に対して、小柴先生はしばらく沈黙された後,「まあ普通の生活にはまったく役に立ちませんね」とだけおっしゃったのだ。

 あいにく機転がきかないリポーターは、この正直な答えに絶句気味で、うまいフォローもできないまま中継を終えた。

 私はこのやりとりにとても感銘を受けたのだった。

 少なくともその当時、ニュートリノという名前を聞いたことのある日本国民はほとんどいなかったであろう。逆に言えば、ニュートリノ研究がどのような意味で役に立つのか、という質問がくることぐらいは、小柴先生は十分予想できたはずである。

 優等生的に人びとを安心させるような回答を準備しておくことも可能だったろう。

 にもかかわらず、そうしなかった(あるいは単純にそのような必要を感じなかったのかもしれない)小柴先生の姿が、私が考える基礎科学の意義を言い尽くしてくれた気がしたのである。

小柴昌俊さん(ノーベル物理学賞受賞者・平成基礎科学財団理事長)=首相官邸で2013年3月、藤井太郎撮影
小柴昌俊さん(ノーベル物理学賞受賞者・平成基礎科学財団理事長)=首相官邸で2013年3月、藤井太郎撮影

計り知れない価値を持つ基礎科学の重要性を伝えた小柴先生

 英語で役に立つを意味するusefulは文字通り「用途に満ちた」であるし,その対意語の「役に立たない」を指すuselessは「用途がない」という意味だ。一方、「価値がある」をさすvaluableに否定の接頭辞をつけたinvaluableは、「価値がない」どころか、計り知れないほど高い価値をもつという意味となる。

 世の中には(少なくとも短期的には)uselessであろうとinvaluableなものが確実に存在する。

 芸術はもちろん,文学や天文学,そして基礎科学とはそのような文脈で考えるべきものである。

 小柴先生のニュートリノ研究はまさにその端的な例なのだと思う。

 小柴先生の基礎科学への貢献に改めて敬意を表するとともに、心からご冥福をお祈りさせて頂きたい。

(須藤靖・東京大学教授)

◇筆者略歴

すとう やすし

1958年高知県安芸市生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授、ビッグバン宇宙国際研究センター長。東京大学理学部物理学科、同大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。第22期・第23期日本学術会議会員。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞出版)『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)などがある。

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