中東 トランプ後に崩れる均衡 イラン核問題が再び「悪夢」に=野村明史
現在の中東では、(1)サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、イスラエルなど、(2)イラン、(3)トルコ──という三つの勢力のせめぎ合いが続く。
サウジやUAEは、「穏健なイスラム国家の再構築」を目指して積極的な経済・社会改革を進めている。2011年、中東のゲームチェンジャーとなった民主化運動「アラブの春」以降、湾岸諸国の首脳たちは、自国のシーア派やイスラム共同体の実現を目指すムスリム同胞団などが君主制へ挑戦することを恐れて大胆な社会の開放政策を進め、政治的イスラム主義の影響力排除に乗り出している。
一方、イランはシーア派の枠組みを利用した政治的イスラム主義を掲げて非国家主体の代理勢力を積極的に支援して、イラクやレバノン、イエメンなどで影響力の拡大を図る。イエメンでは、シーア派のフーシ派を支援してサウジ包囲網を強め、またレバノンではシーア派組織ヒズボラを支援してイスラエルの安全保障を脅かす。
そして、トルコのエルドアン大統領はかつてオスマン帝国が影響力を及ぼした地域に積極的に関与し、影響力を拡大する「新オスマン主義」の下、ムスリム同胞団を支持して、カフカス地方や北アフリカへと手を広げ、覇権拡大を目指す。トルコは、イスタンブールのサウジ総領事館でサウジ人記者が殺害されたカショギ事件やムスリム同胞団をめぐりサウジやUAEとの関係が悪化。また、イスラエルとも東地中海のガス田開発の権利をめぐり対立している。
親イスラエルの米トランプ政権はイランに経済制裁などの圧力をかけてイランの封じ込めを行い、イスラエルやサウジの安全保障に貢献してきた。
しかし、バイデン次期政権では、そのバランスが大きく覆される可能性が出てきた。バイデン氏は、11月23日、国務長官にトニー・ブリンケン氏を、国家安全保障問題担当大統領補佐官にはジェイク・サリバン氏の名前を挙げた。両者ともイランとの核合意再履行は政権の優先事項だと考え、バイデン氏もイランとの核合意の再履行の実現に意欲を示している。
だが、21年に予定されるイラン大統領選挙の結果によっては、核開発へと進む可能性もある。またイスラエルや他の中東諸国からの反発も予想され、合意までの道のりも容易とは言い難い。
ただ、どちらの道に進んだとしても、イランを除く中東諸国にとって悪夢であることに変わりない。さらに米国の中東関与低下で、これまで米国の安全保障に依存していた中東諸国は影響力を低下させることになりかねない。
サウジは人権問題で試練
そのような危険信号を予測し、先手を打ったのがイスラエルとUAEであった。UAEはイランやトルコの脅威を共有するイスラエルと20年9月に国交正常化に署名し、イスラエルとの経済・安全保障協力を加速させている。さらにイスラエルとの公な関係改善を通して中東への関与を低下させている米国との関係をつなぎ留めたい狙いもあるのだろう。
だが、足並みのそろわない中東諸国がイスラエルと手を組んだとして、イランやトルコの脅威に対抗する力になりうるか疑問である。むしろ、イスラエルにとって中東諸国との国交正常化は、これまでの孤立を打破して、先端技術と米国の後ろ盾を武器に中東諸国との政治的、経済的結びつきを強め、直接的影響力を拡大させるメリットの方が大きい。それゆえ、サウジなど他の中東諸国はイスラエルとの国交正常化に慎重であると考えられる。
バイデン氏やブリンケン氏は、カショギ事件やイエメン戦争などの人権問題に厳しい姿勢を示しており、サウジやUAEは大きな試練に立たされることが予想される。
サウジも追及が予想される人権問題への打開策として、イスラエルとの国交正常化へのカードを切る選択肢を残している。トルコにとっても欧州との関係や人権問題を重視し、エルドアン氏の強権的でロシア寄りの姿勢に批判的なバイデン政権はトランプ政権に比べやりづらい相手と認識している。
過去、バイデン氏は自身をシオニスト(ユダヤ人の国粋主義運動「シオニズム」を掲げる者)と評したこともあり、イスラエルの安全保障を脅かすような政策をとることはないだろうが、国際協調を重視しているのでトランプ政権ほどの支援は期待できない。
「力の空白」も
11月22日、サウジの産業都市NEOM(ネオム)でポンペオ米国務長官とイスラエルのネタニヤフ首相、サウジのムハンマド皇太子が秘密裏に会談したとイスラエルメディアが報じた。その直後の27日、イランの核開発を主導していたとされる核科学者モフセン・ファクリザデ氏が遠隔操作によって暗殺され、使用された武器などからイスラエルの関与が疑われた。
イスラエルは安全保障上の懸念をできる限り払拭(ふっしょく)するためバイデン政権とイランとの間にくさびを打ち込んでいると見られる。
イランもファクリザデ氏暗殺を受けて12月2日、国会で保守強硬派が中心となり、ロウハニ大統領が反対していた核開発の大幅な拡大を政府に求める法案を成立させ、米国との交渉のハードルを上げた。
さらにトランプ政権は、イラクとアフガニスタンに駐留する大半の米軍をバイデン氏の大統領就任予定5日前の21年1月15日までに削減すると発表。バイデン政権のイラクやアフガニスタンにおける影響力を低下させ、外交の自由度を制限させたいと考えているのだろう。
今後、バイデン政権がイラン核合意などオバマ時代の政策回帰を進めれば、域内のパワーバランスが変化し、力の空白をめぐって中東の新秩序形成の攻防はますます複雑化していくこととなるだろう。
(野村明史・拓殖大学海外事情研究所助教)