教養・歴史書評

『香港とは何か』 評者・田代秀敏

著者 野嶋剛(ジャーナリスト) ちくま新書 840円

「日本人に知ってほしい香港」 丹念な取材と歴史認識で描写

「香港は貿易総額世界七位、新規株公開IPO調達額は世界一であり、経済都市としてはアジアトップレベルの存在感を持つ。対中ビジネスの拠点として、米国企業は一三〇〇社、日本企業もほぼ同数が香港に事務所を構えている」

 本書のこの記述から、2019年に香港で起きた大規模かつ激烈な抗議デモが、世界経済にとっていかに巨大な衝撃であったのかが分かる。「中国経済は、香港という口から、外貨という酸素を補給しなければ生きていけない」

 実際、本書によると、18年に、香港経由の対中直接投資は中国全体の4分の3を占め、中国企業の域外株式上場は香港株式市場が8割、また中国企業の域外債券発行は香港で発行した米ドル建て債券が64%を占めた。毛沢東の「長期打算、充分利用」 の香港政策は現在も続いている。

 大学1年生の時に香港に魅了され、3年生で香港に留学した著者は、25年後に新聞社を早期退職すると真っ先に香港へ取材に向かった。

 その後も著者は、重要行事の度に香港を訪れ、19年は抗議デモの現場に毎月行き、「最前線の人々と会って話を聞き」記事を書いてきた。

 複雑怪奇な香港の内情を、歴史をさかのぼり巧みに解説しながら、著者は香港の人々の心奥を拾い出す。

「香港は中国に飲み込まれていく運命にある」

 著者にそう語ったのは、香港の親大陸派の有力者ではない。香港の銅鑼灣(どらわん)で書店を営んでいたが、15年10月24日に大陸で拘束され、厳しく取り調べられた林栄基氏である。

 その後、林氏は台湾に逃れ、台北で書店を開く準備をしている時に、著者の取材を受け、右の言葉を語った。香港を深く理解し、香港の人々に寄り添ってきた著者にだからこそ、林氏は蟷螂(とうろう)の斧(おの)に込める気概を語ったのである。

 著者は「民主の女神」周庭(アグネス・チョウ)氏や「独立派のカリスマ」梁天琦(エドワード・レオン)氏などの若い活動家達も取材している。

 香港を「本土(故郷)」と見なす彼らが、大陸や大陸の政治に一切関心が無く、大陸の民主化を一切求めないことの思想的背景を掘り下げることで、返還後の香港社会の劇的な変容を見事に浮き彫りにする。

「香港問題を本質から語るべきだという問題意識」 に貫かれた本書は、「日本人に知ってほしい香港」 をドラマチックに描き、飽きさせない。

「香港の問題は他人事ではなく日本にもつながっている」と著者が述べている通り、本書は21世紀の日本を考えるために必読の一冊である。

(田代秀敏、シグマ・キャピタル チーフエコノミスト)


 野嶋剛(のじま・つよし) 1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞シンガポール支局長、台北支局長等を歴任した後、独立。現在は大東文化大学社会学部特任教授も務める。著書に『台湾とは何か』(第11回樫山純三賞)『銀輪の巨人』など。

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