売り上げ大幅減の“マチ弁” 「デジタル」で分かれた明暗=岡田英/加藤結花
<コロナ後に残る弁護士>
「法律事務所設立から50年近くたつが、赤字になったのは初めてだ」。弁護士4人が所属し静岡県内では中規模の鷹匠法律事務所(静岡市)の所長、大橋昭夫弁護士は率直に明かす。同事務所は、交通事故や労災、離婚、相続といった一般民事事件を広く扱う、いわゆる「マチ弁」。収入の大半を、裁判所での民事訴訟や調停などの案件に依拠していた。(弁護士)
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う昨年4月の緊急事態宣言後、各地の裁判所で訴訟の期日の取り消しや延期が多発。静岡地裁でも「新規案件の期日は決まらず、進行中の案件もストップするなど、停滞が昨年10月ごろまで続いた」(大橋氏)。着手金や成功報酬の激減が響き、2020年の売り上げは前年比で3~4割減ったと言う。
旧優生保護法下の強制不妊手術を巡る国家賠償訴訟や、中部電力浜岡原発の廃炉を求める住民訴訟など、採算度外視でも担当している社会的事件も多いだけに、収入減は痛い。大橋弁護士は「生き残るには、企業の顧問先を増やして定期収入を安定させ、オンラインでの法律相談にも対応していかないと」とコロナ禍の中での新たな事務所運営を模索する。
交通事故減も影響
コロナ禍で多くの弁護士事務所が苦境に陥っている。法律事務所の経営コンサルティングを行う船井総合研究所が昨年10月、全国約250の法律事務所を対象に実施したアンケートでは、前年同期比で「減収」と答えた割合が47%を占めた(図)。19年の同時期のアンケートで「減収」が11%だったのに比べると、大幅に増加している。また、20年上半期の利益額が前年同期比で半分未満に落ち込んだ事務所も15%に上る。
また、コロナ禍で交通事故件数が大きく減ったことも追い打ちをかけたと見られる。交通事故は一般民事事件を扱う法律事務所の売り上げの柱の一つだが、警察庁の統計によると、全国の交通事故の発生件数は、緊急事態宣言が出ていた昨年4~5月は前年同期に比べ3〜4割も減少した。アンケートでも、交通事故の受任件数が「10件未満」と答えた比率は19年は33%だったが、20年には43%に増えた。
その一方、「増収・増益」と答えた事務所も40%ある。何が明暗を分けたのか。船井総研士業支援部の鈴木圭介シニアコンサルタントは「労務やスタートアップ企業など、分野や業種に専門特化した事務所が伸びている」と分析する。さらに、同部の石黒翔太チーフコンサルタントは「ウェビナー(ウェブ上で行うセミナー)の活用などデジタル化にいち早くシフトできたかも分かれ目となった」と見る。
ウェビナーの成功例として、弁護士業界で注目を集めたのが、使用者側の労務が専門の杜若経営法律事務所(東京都千代田区)だ。同事務所のウェビナーでは、タイムリーなテーマを選んで専門的な内容を分かりやすくスライドで紹介。向井蘭弁護士ら同事務所所属の弁護士が解説し、終了後にはオンラインで参加者との懇親会を開くこともある。
「効果絶大」ウェビナー
例えば、昨年10月の同一労働同一賃金を巡る最高裁判決から約1週間後には、判決を速報解説する約1時間半のウェビナーを無料で開催。当日は社会保険労務士を中心に全国から約1600人が参加し、その後に寄せられた相談から発展して、十数カ所の社労士事務所と顧問契約を結ぶことになったという。向井弁護士は「まさかここまで顧問契約が増えるとは思っていなかった。ウェビナーの効果は絶大だ」と言い切る。
ウェビナーを始めた当初は、これまで名刺交換などでコツコツ集めた1万人超の名簿を基に開催案内を送付していた。口コミなどでこれまで付き合いのなかった人からのウェビナー申し込みも増え、さらなる名簿の拡充につながる好循環が生まれている。向井弁護士は「ウェビナーをやっているかどうかで、長期的には顧客基盤にものすごく差がつくだろう」と話す。
著作権関連の法務を専門とする法律事務所アルシエンの河野冬樹弁護士も、ウェビナーなどを積極的に活用する一人。昨年4月には、毎月定額で漫画家やイラストレーターといった個人事業主の顧問弁護士となる新たなサービスを開始。ツイッターで告知したり、ウェビナーで説明会を開くなどし、これまでに計50件ほどの顧問契約を獲得したという。
河野弁護士は「作品のデータ化が進んだことで、著作権関連の案件はメールやウェブ会議でかなりの部分を進めることができる。地方からの依頼が増え、特定の分野に専門特化する弁護士にとっては、コロナ禍はむしろ追い風だった」と語る。
人材は大手に集中
遅ればせながら、司法の世界にも押し寄せるデジタル化の波。弁護士の日常業務や営業ツールとしてだけでなく、民事裁判では昨年2月から裁判官と弁護士がオンラインでやりとりする「ウェブ会議」の導入が始まった。コロナ禍も後押しし、ウェブ会議を争点整理などに活用し、一度も出廷せずに和解するケースも増え始めた。それにとどまらず、民事裁判は今後、「全面オンライン化」に向けて大きく動き出す。
内閣官房の「民事司法制度改革推進に関する関係府省庁連絡会議」は昨年3月、裁判関係書類のオンラインでの提出を義務付け、民事裁判の「全面オンライン化の実現」も目指す最終報告書を取りまとめた。22年の民事訴訟法改正を目指しており、コロナ禍で加速したデジタル化への対応で今後の弁護士の明暗が分かれる時代が到来する。
すでに、専門性が高くデジタル化でも一歩先を進む大手事務所は、コロナ禍の中でも業容を一段と拡大する。「企業法務系の法律事務所にはM&A(企業の合併・買収)などの案件が入り続け、人材ニーズも増えている」。法務人材の転職支援を手掛ける企業法務革新基盤の野村慧・最高経営責任者は明かす。同社の調べでは今年1月時点で、所属弁護士数の上位51事務所のうち38事務所が弁護士数を昨年同期比で増やしている。
新人弁護士も就職先に大手を選ぶ傾向が強まっている。弁護士の就職・採用支援サイト「ジュリナビ」によると、19年に司法試験に合格して司法修習を修了(73期)し、法律事務所に就職した1173人(今年1月時点)のうち、18・1%が西村あさひなど5大事務所を選択。64期の5・4%に比べて3倍以上の割合で、弁護士の人材紹介を手掛ける西田章弁護士は「規模の小さい事務所は人材を採りにくくなっている」と指摘する。
コロナ禍、デジタル化が二極化に拍車を掛ける弁護士業界。時代の大きなうねりは、もう後に戻ることはない。
(岡田英・編集部)
(加藤結花・編集部)
解説記事、寺院法務…… 情報発信、専門性に磨き 遠方からも稼ぐ法律事務所
これまで対面が基本だった弁護士への相談。しかし、新型コロナウイルス禍がデジタル化を加速させたことで、遠方からの相談や案件を引き受ける弁護士が増えている。弁護士の仕事は地理的な制約に守られていた側面も強かったが、オンライン会議システムの普及などがそうした制約を取り払いつつある。特徴を持って全国から顧客を集める二つの法律事務所を取材した。
大阪市の咲くやこの花法律事務所(所属弁護士8人)は、企業法務に強みを持ち、顧問先の企業約330社のうち100社ほどが首都圏や東北、四国など大阪府外の企業で占める。「企業法務に精通する弁護士が少ない地方の中小企業をサポートしたい」(西川暢春代表弁護士)と遠方の依頼も積極的に受けており、PRの主な手段としているのがホームページやユーチューブ動画だ。
地域を越えた大競争に
ホームページの人気コンテンツは所属弁護士が執筆する企業法務の解説記事で、約8年前から著作権侵害や景品表示法など幅広いテーマで約300本の記事を掲載。毎月約50万ユーザーが閲覧し、記事を見て問い合わせてくる人が後を絶たない。コロナ禍で遠方からの問い合わせはさらに増え、今年1月に寄せられた新規の相談件数65件のうち、実に半数近くの31件を近畿圏以外の依頼者が占めた。
神戸市の神戸マリン綜合法律事務所(所属弁護士4人)も、顧問先企業68社のうち近畿圏以外が約30社を占めている。顧問先の大半が一般の中小企業だが、大きな特徴は寺・神社の宗教法人も顧客に抱えることだ。同事務所は宗教法人の絡む寺院法務に強く、西口竜司代表弁護士によると寺院法務に詳しい弁護士は全国でも10人ほど。寺院法務の相談は広く四国などからも寄せられる。
法律は寺院運営に深く関わっている。宗教法人法では法人規則を作り、意思決定の方法などを定めたうえで、都道府県などに提出しなければならない。しかし、本山が作った規則に名前だけを入れ替えて使い、トラブルとなって頭を抱える宗教法人は少なくない。その他にも、墓地使用のルールや後継者問題など法律が絡む問題は数多くある。
西口弁護士は「寺院法務について全国各地からセミナーなどの依頼も受けるようになった。地域性を問わない時代になっており、全国の人がクライアントになる可能性がある」という。専門性や情報発信の方法次第で、弁護士も全国の中から選ばれる。裏を返せば、地域を越えて弁護士が競い合う時代が到来している。
(加藤結花・編集部)