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教養・歴史 書評

『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』 評者・黒木亮

著者 森功(ノンフィクション作家) 幻冬舎 1980円

有名無名問わず作家を鍛えた辣腕 「俗物根性」を満たす作品を追求

 評者が北海道の小学生だった頃、札幌医科大学の和田寿郎教授が日本初の心臓移植手術を敢行し、連日、全国のメディアが快挙と報じていた。

 そうした狂騒の中、すぐに殺人の可能性を疑い、「おかしい、取材してみろ」と部下に命じたのが、「新潮社の天皇」の異名をとった本書の主人公、齋藤十一(じゅういち)だ。手術の九日後、『週刊新潮』が、海で溺れたドナーがいったん蘇生していたことを報じ、快挙は一転して殺人容疑に変わった。

 齋藤は早大を中退して新潮社に入社し、31歳で看板の純文学誌『新潮』の編集長になった。翌年、取締役に就任してからは、46年間にわたって役員として君臨し、この間『週刊新潮』のすべての特集記事のタイトルを自らつけていたという。

 本書では、辣腕(らつわん)編集人としての逸話が山のように出てくる。『新潮』で連載していた井伏鱒二(ますじ)の『姪(めい)の結婚』を「このタイトルではもったいないから」と、途中で『黒い雨』に改題させたのは齋藤だった。まだ無名に近い吉村昭が三菱グループ系のPR誌に戦艦武蔵の取材日記を書いているのを目にとめ、『新潮』で『戦艦武蔵』を書かせ、大ヒットさせたり、盗用疑惑で作家生命の危機に瀕(ひん)していた山崎豊子を救ったりもした。

 その編集方針は、「書き物は教養に裏打ちされた俗物根性を満たさなくてはならない」というもので、気に入らなければ、著名作家の作品でも容赦なく没にした。『週刊新潮』で執筆を依頼された新田次郎、池波正太郎、筒井康隆らも原稿を没にされたり、連載を打ち切られたりした。

 齋藤のマネジメントスタイルは一風変わっていた。特別な情報源は持たず、作家や新潮社の社員と話すこともあまりなかった。その代わり、地方の同人誌を含むありとあらゆる出版物に目を通し、そこから読者が興味を持ちそうな事件や、有望な新人を探り当てたりしていたという。

 ただし、これぐらい力をふるった人物が去ると、人材の空洞化が起き、会社が迷走するのは著者が指摘する通りで、今や『週刊新潮』も「文春砲」の後塵(こうじん)を拝している。

 本書では、和田心臓移植事件の当時、札幌医科大学整形外科の講師だった渡辺淳一氏が、事件を批判的にコメントして辞職する直前の様子も出てくる。当時、同医大の整形外科の教授は「虹と雪のバラード」の作詞者で、文人でもあった河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)である。渡辺氏が医者をやりながら創作活動ができたのも河邨教授の庇護(ひご)あってのことだったが、さすがに庇(かば)い切れなくなったようだ。

(黒木亮・作家)


 森功(もり・いさお) 1961年生まれ。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、『週刊新潮』編集部などを経て2003年よりフリー。『悪だくみ「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』など著書多数。

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