教養・歴史書評

『宝塚歌劇団の経営学』 評者・藤原裕之

著者 森下信雄(阪南大学准教授) 東洋経済新報社 1760円

実は時代の先端を走っていた 顧客との「価値共創」の秘密

 同じ価値観を持つ人と「好き」を共有するオンラインサロン、アイドルやアーティストの生配信ライブに視聴者が投げ銭で応援するサービス──。ITビジネスの重心は効率的な場から感情的な場へと急速にシフトしつつある。これを今から100年前に実現していたのが「宝塚歌劇団」である。本書は宝塚歌劇団が今こそ注目されるべき根拠について、さまざまな角度から提示している。

 著者は100年以上続く宝塚歌劇団の強さの根源は、顧客との「価値共創」にあると主張する。

 価値共創に必要な要素は四つ。一つ目は「経験価値の重視」だ。宝塚歌劇団の真骨頂は世界観にある。無限の解釈が存在する男役という「虚構」を創造したことが唯一無二の世界観を生み、競争のない理想的な市場(ブルーオーシャン)につながる。世界観の維持に必要なのが「経験価値」だ。将来が期待される男役を発見し、成長と伴走しながら十数年後の退団まで見守り続けるのが宝塚ファンである。

 経験価値に寄与するのが二つ目の「顧客との信頼関係」だ。固定費比率の高い演劇ビジネスでは、人気スターのいる演目をロングランするのが王道とされるが、宝塚歌劇団はあえてロングラン公演をしない。ロングラン、すなわちチケットが売れる強い組の公演回数を増やすことは、弱い組のそれをカットすることになりかねないからだ。

 これが三つ目の要素「コミュニティーの重視」である。宝塚歌劇団では未来永劫「五つの組を平等に扱うこと」を掲げている。平等に扱うことでファン同士が対立せず、世界観を共創するコミュニティーが形成されるからだ。選挙によってファン同士が対立し、世界観の共有を実現できなかったアイドルグループ「AKB48」との対比が興味深い。

 最後の要素は組織の「垂直統合システム」。宝塚歌劇団が生み出す付加価値の源泉は、作品の企画(川上)から販売促進、劇場運営(川下)まで阪急グループ内で完結させている点にある。安易にコスト削減を求めて業務の一部を外部委託することはせず、ファンと大切な世界観を守り抜くために自前にこだわり続ける。

 グローバル競争社会では、大方の商品やサービスはすぐに模倣されてしまうので(コモディティー化)、著者が主張するように価格や品質で差別化することは不可能になっている。今後の経営戦略の主眼が顧客と企業が一体となって作る経験価値に向けられる中、その生き字引といえる宝塚歌劇団から学ぶことは多い。

(藤原裕之・センスクリエイト総合研究所代表)


 森下信雄(もりした・のぶお) 1963年生まれ。香川大学卒業後、阪急電鉄に入社。宝塚歌劇団に出向し、星組プロデューサー、総支配人などを歴任。2019年から現職。著書に『元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』など。

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