投資・運用投資の達人に聞く アフターコロナの資産形成術

投資の達人に聞く②鎌倉投信(中)石見銀山の「万事屋」が投資哲学を育み、リーマン・ショックの「絶望」が設立を後押しした

    鎌倉投信の本社は、20人が入る座敷で運用報告会を行うなど受益者の交流拠点にもなっている
    鎌倉投信の本社は、20人が入る座敷で運用報告会を行うなど受益者の交流拠点にもなっている

     組み入れ企業の選び方、ファンドの運用方針に続き、鎌倉投信に特徴的なのが、同社、投資家(受益者)、投資先企業の3者を結ぶ「場の提供」だ。投資を通じて、社会を変えるような企業を超長期で応援するには、運用会社だけが頑張ってもダメで、投資家と投資先企業の理解と協力が不可欠、との考えが根底にある。

    受益者総会で投資先トップの話を聞く

     そのために、毎年、開催しているのが、受益者総会だ。コロナ禍の昨年こそ、オンラインでの開催になったが、毎年9月に横浜か京都の交互で開き、全国から1000人もの受益者を集める。ファンドの決算報告に加え、複数の投資先企業のトップや社員の講演、パネルディスカッションがあるほか、企業展示を見ることができる。

     投資先トップの講演も、事業や決算報告のようなありきたりのものではない。創業の際の思いや、挫折の経験、今後の挑戦などの、経営者の世界観を語ってもらう。

    受益者の子供が投資先に就職も

     この他にも、毎月の頻度で、投資先企業の訪問会や都内の会場で経営者を招いた講演会を開いている。これらのイベントには受益者なら家族の参加が可能で、高校生や大学生の息子・娘を連れてくる人も少なくない。子供たちも刺激をうけるようで、後になって、投資先の企業から、「受益者のお子さんが就職でエントリーしてきた」「会社にインターンで来た」という話を聞くことがあるという。

     さらに、受益者が鎌倉投信の投資先企業に転職したり、総会やイベントで出会った受益者同士が結婚したりと、ユニークなエピソードには事欠かない。

    鎌倉本社の座敷で説明会

     鎌倉の本社では、定期的に、最大20人くらいが入れる座敷で一般向けの説明会や受益者向けの報告会を開く。一般の人には、ここで、鎌倉投信の投資哲学などを語り、その内容に納得してもらえば、受益者になってもらっている。

     鎌田社長は、「顧客と直接かかわりを持てる直接販売だからこそ可能。証券や銀行の窓口販売では、無理だった」と強調する。

     それでは、そもそも、なぜ、このような運用会社を設立しようと思ったのか。それは、金融マンとしての鎌田社長の経歴と深いかかわりがある。

    バブル、リーマン・ショックへの違和感

     鎌田社長が大学を卒業し、最初の就職先である三井信託銀行に入行したのは1988年。三井信託銀行では運用業務を担当したが、ゼネラリストを育成する日本企業では、なかなか、専門性の向上が望めない。そこで、1999年に外資系のバークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行(現ブラックロック・ジャパン)に転職。インデックス運用など、世界最先端の金融工学を学んだ。仕事は充実しており、2007年には同社の副社長に昇格した。

     しかし、鎌田社長が両行に在籍したのは、バブル経済から2008年のリーマン・ショックにかけての時代。「社会や経済の裏方である金融が、非常な暴力性を持っており、そのことに対し、ずっと違和感を持っていた」。

    故郷島根県の実家の「万事屋」が、鎌田社長の金融ビジネスの原点にあるという
    故郷島根県の実家の「万事屋」が、鎌田社長の金融ビジネスの原点にあるという

    石見銀山の「万事屋」が育んだ金融への思い

     鎌田社長は、元々、島根県太田市という石見銀山で有名な地方都市に、高校まで生まれ育った。実家は、「町に一軒しかない万事屋。今で言えば、コンビニみたいなもの」。

     本当に小さな商売だったが、両親はそこで、「顧客との信用やコミュニケーションをすごく大事にし、お金に対してもとても誠実だった」。その時代に、「金融は社会・経済を豊かにする水脈である」という考えが育まれた。だから、金融が我が物顔で社会や経済を混乱に陥れたバブル経済やリーマン・ショックは、鎌田社長にとって、まさに反面教師だった。

    バークレイズの同僚と投信会社設立

     2008年のリーマン・ショックを契機に、バークレイズを退職。銀行を辞めた際は、社会貢献やNPO、NGO関係の仕事をやりたいと考えていたという。ただ、そうしたノウハウがあるわけではなく、金融の枠組みで、社会に貢献する良い会社や組織を応援できないかと方向転換。バークレイズの同僚だった新井和宏さんら仲間4人と、「いい会社を応援する」というコンセプトを作り、2008年11月に鎌倉投信を立ち上げた。

     鎌倉投信には、こうした理念に引き寄せられた人々が勤めている。(上)に登場した資産運用部長の五十嵐さんもその一人で、岡三アセットマネジメントから2020年4月に転職した。

    鎌倉投信の五十嵐和人・資産運用部長は、故郷の山形で幼少時から西郷隆盛の教えに親しんだ
    鎌倉投信の五十嵐和人・資産運用部長は、故郷の山形で幼少時から西郷隆盛の教えに親しんだ

    山形の故郷で幼少から西郷隆盛の教えを学ぶ

     五十嵐さんは、生まれも育ちも山形県鶴岡市で最初の就職先も地元の地方銀行だった。上司だった支店長は、戊辰戦争で庄内藩の家老として官軍と戦い、その後、敵方だった西郷隆盛と親交を結び、「西郷南洲遺訓」を編纂した菅実秀(すげさねひで)の子孫。支店長の子息は中学、高校の同級生だ。

    「敬天愛人」で有名な西郷隆盛の教えは、京セラ創業者の稲森和夫氏をはじめ、CSR経営のモデルとして取り入れられている。五十嵐さんは、「小学校の頃から、『南洲翁』の話はよく聞かされ、知らず知らずのうちに、西郷さんの取り組みが自分の中に植え付けられている」と話す。

    「株式市場から日本を変える」

     地銀を経て、クレディスイス生命保険(現アクサ生命保険)、岡三アセットマネジメントで、ファンドマネージャーとしてキャリアを重ねてきた。2007年頃は、中小型成長株のファンドマネージャーとして活躍していたが、「ライブドアショックからリーマン・ショックにつながる小型株の暗黒時代で、自分のやっていることの目的を失いかけていた」。その時に、証券会社のある担当者から、「五十嵐さん、株式市場から日本を変えていきましょう、良くしていきましょう」と言われ、自分の答えの一つがそこにあると感じた。

    五十嵐さんは「300年続く良い会社に100年投資する」という言葉に感銘を受け入社を決意
    五十嵐さんは「300年続く良い会社に100年投資する」という言葉に感銘を受け入社を決意

    「100年投資」の理念に共感

     そうした中、2017年の冬に、知人を通じて、鎌田社長と面談。「300年続く会社に100年投資する」という鎌倉投信の理念に共感し、メンバーに加わった。

     鎌田社長は、五十嵐氏について、「日本のファンドマネージャーで『結い 2101』に近い考え方の人をずっと探しており、4年前に人の紹介で会ってから、ずっと接点は持っていた。企業調査がすごく好きだし、非常にまじめな人。彼が来たことで、当社の企業調査に新たなエッセンスが加わり、ノウハウが体系化し、深まった」と大きな信頼を寄せる。

    (稲留正英・編集部)

    (③鎌倉投信(下)に続く)

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