『「ポスト・アメリカニズム」の世紀 評者・高橋克秀
転換期のキリスト教文明』 著者 藤本龍児(帝京大学文学部准教授) 筑摩選書 1980円
技術大国アメリカの背後に聖書 新自由主義支える宗教性見抜く
間口が広く奥行きもある文明論だ。なかでも「新自由主義」を論じた第5章は読みごたえがある。新自由主義は、行き過ぎた市場原理主義による格差と貧困の元凶として批判されることが多い。しかし、新自由主義の実体はあいまいで論者によって中身が違うようだ。複雑な要因が複合した格差や貧困の原因を新自由主義というラベル一枚で分かった気になるのは危険である。
本書は1930年代にさかのぼって新自由主義の来歴を説き起こす。もともとハイエクなどオーストリア学派は計画経済を徹底的に批判すると同時に、行き過ぎた自由放任にも警鐘を鳴らすという意味で「新・自由主義」を唱えていた。これは全体主義と市場独占を同時に回避する構想であり、自由な競争条件の確保のためには国家の介入を容認した。
ところが、70年代に入るとフリードマンなどシカゴ学派は自由放任の側面を強く打ち出した。これには大きな政府をもたらしたケインズ政策への批判であると同時に社会主義陣営への対抗軸という意味があった。レーガンやサッチャーが徹底して小さな政府を志向すると、その影響は燎原(りょうげん)の火のように世界に広がった。
新自由主義の背後にあるのはアメリカ固有の歴史的価値観やエートス(習慣)である。新自由主義者には、個人の自由や市場競争の効率性は普遍的であるという思い込みがある。それはある種の宗教性に支えられている。なかでも注目されるのは福音派と呼ばれる人たちの動向だ。この中にも多くのセクトがあって内実は複雑だが、一般的にはキリスト教保守派のことである。福音派は70年代から政治にコミットし、大統領選にも大きな影響を与えてきた。
宗教と経済の関わりといえば、近代資本主義はプロテスタンティズムの倫理と親和性をもつとするウェーバーの議論が有名だ。本書はハイデガーをよりどころにする読み解きが斬新だ。ハイデガーは、アメリカ自身が強調する独自文明と政治理念、軍事、技術、経済の偉大性の総体としてのアメリカニズムの中に、キリスト教が混入していることを見抜いていた。ハイデガーの思索を推し進めていくと、新自由主義の精神は福音派の労働倫理、さらにはユダヤ・キリスト教的な創造の思想と親和性をもつことになる。こうして新自由主義の淵源(えんげん)は、近代資本主義のはるか以前の西洋の知の形式にある、という鮮やかな推論が生まれた。「アメリカが技術大国であるのはアメリカが宗教大国であるからこそ」というスリリングな結論に耳を傾けたい。
(高橋克秀・国学院大学教授)
藤本龍児(ふじもと・りゅうじ) 早稲田大学社会科学部卒業後、京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修了。2015年より現職。著書に『アメリカの公共宗教 多元社会における精神性』がある。