世界最大級の規模に成長した新潟「大地の芸術祭」の思想とは 北川フラムさんインタビュー=内田誠吾
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芸術の力でまちおこし=北川フラム アートディレクター/852
北川フラムさんが総合ディレクターを務める新潟県の越後妻有地域を舞台にした「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で今年は延期が決まったが、アートの持つ力は一向に失われていない。
(聞き手=内田誠吾・ジャーナリスト)
「集落への理解なくして『大地の芸術祭』は開催できません」
「芸術祭は雇用も生み出し、FC越後妻有の選手たちは棚田で耕作をしています」
── 7月下旬から新潟県十日町市と津南町のかつて「妻有(つまり)郷」と呼ばれる越後妻有地域で開催予定だった第8回「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2021」が、新型コロナウイルスの感染拡大により延期になりました。
北川 これまでの来場者に対するアンケートの結果では、8割くらいの人たちが大地の芸術祭に対して好意的であり、3年に1度の芸術祭を楽しみにしてくれたようです。「延期は残念」という感想が多いことが、今夏の東京オリンピックと異なる点だと思います。しかし、(芸術祭会場となる越後妻有地区の)それぞれの集落で一人でも心配な人がいる以上、延期は仕方ありません。(ワイドインタビュー問答有用)
── 大地の芸術祭は毎回、面積約760平方キロと東京23区より広い越後妻有地域で、約200の集落を舞台にさまざまなアーティストや作家が作品を展示する方式が特徴です。1カ所にまとめて展示しようとは思わなかったのですか。
北川 アートを1カ所に集めるように何度も言われましたが、私が強引にこの方式を進めました。1990年代にアートによる地域活性化策を推進した当時の平山征夫知事も、大地の芸術祭がこのような方式をとるとは考えていませんでした。しかし、この全国有数の豪雪地帯で数百年もしくは千年以上も人々が住み続けてこられたのは、集落を単位として互いに助け合ってきたからです。この集落への理解なくして、芸術祭は開催できません。
例えば、日本の代表的な棚田として有名な星峠(ほしとうげ)集落の祖先は、今から450年前、織田信長に追われた尾張、三河、伊勢の一向宗の人々でした。小白倉(こしらくら)は平家の落人集落、鉢(はち)は集落全員が尾身(おみ)姓であり、苧(お)(カラムシの茎の皮の繊維から作った糸)をなりわいとする人たちが大昔に移動してきたと言われています。こうした多様な集落からなる越後妻有で芸術祭を開催する以上 、 アートを1カ所に集めて展示することは私には考えられませんでした。
世界最大級に成長
越後妻有地域を舞台として3年に1度、夏に50日あまりの会期で開催される「大地の芸術祭」。前回2018年は44カ国のアーティスト・作家が379作品を展開し、来場者は54万人超と世界最大級の芸術祭に成長した。展示される作品は、里山の自然の風景に溶け込んだオブジェだったり、空き家を再生した空間だったり。廃校も地域を巡る拠点施設となり、参加者は思い思いに地域を巡る。会期中以外でも約200作品が常設展示され、アートを生かした地域おこしとしても定着した。今回は延期となったものの、開催を待ち望む声も少なくない。
── 個々の集落の歴史や特色は、具体的にどのように大地の芸術祭と結び付けていったのですか。
北川 私のまちづくりの理想は、(オランダの歴史家)ホイジンガが『中世の秋』で書いているように、鐘の音で共同体が喜怒哀楽を感じられるような単位です。越後妻有には約200も集落があるので、最低限として(市町村合併前の)旧6市町村にそれぞれテーマを設けました。例えば、縄文土器がたくさん発見されてきた旧津南町は縄文をテーマに、信濃川の流れる物流の盛んだった旧十日町市は楽市楽座などです。
その瞬間だけ目立ち、一瞬で消えてしまうようなイベントではいけません。現代アートを通し、歴史ある集落の魅力を再発見し、その地域の人たちとその祖霊に寄り添う地域づくりを進めてきました。
── 今でこそ、地域を挙げた芸術祭として定着しましたが、00年に開催した第1回にこぎつけるまで、どのように地域の理解を得たのですか。
北川 住民説明会や会議を(大地の芸術祭の構想が持ち上がって以降)4年半で2000回くらい行いましたが、「アートでまちづくりができるわけがない、事例を見せてほしい」「現代アート…
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週刊エコノミスト
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