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十倉雅和 経団連会長 宇沢先生の「社会的共通資本」に学ぶ 企業活動に“社会性”を取り戻す

十倉雅和 経団連会長 宇沢先生の「社会的共通資本」に学ぶ 企業活動に“社会性”を取り戻す

 <インタビュー>

 持続可能な経済社会の構築──。遠大な課題解決に向けて、「財界総理」が日本を代表する経済学者に注目した。その評伝の著者が真意に迫った。

(聞き手=佐々木実・ジャーナリスト)

── 十倉さんが拙著『資本主義と闘った男』を書評したとき、「from the Social Point of View(社会的な観点)」という宇沢経済学のキーワードを取り上げて論じた。その後、経団連会長に就任し、「ソーシャル・ポイント・オブ・ビュー(社会性)」を十倉経団連のキーワードとして唱えたので驚いた。宇沢弘文先生が、新たな経済学を構築するうえで最も大切にした視点のどこに関心をもったのか。

十倉 宇沢先生と同じで、私も資本主義や市場経済は優れた制度と思っている。イノベーション(技術革新)を生み出すし、効率的な資源配分には欠かせない。しかし、市場原理だけでは解決できないものがあることは、宇沢先生が『社会的共通資本』(岩波新書、2000年刊)で指摘された通りだ。

トリクルダウンはいけない

 小さな政府や規制緩和で自由競争を促進する新自由主義や市場原理主義は、大きな二つの課題を生んだ。一つは格差の拡大で、世代を超えて格差の再生産が行われている。社会的公正について考え直す必要がある。もう一つは生態系の破壊だ。気候変動問題はもちろんだが、新型コロナウイルスについても人類の経済フロンティアが拡大したことが原因ともいわれている。

── 資本主義的な市場経済制度は不安定性、不均衡を特性とする。それが宇沢先生の基本的な資本主義観だった。

十倉 実際に資本主義は、さきほど指摘したような課題に直面している。宇沢先生の「ソーシャル・ポイント・オブ・ビュー」という言葉には、非常に刺激を受けた。もう一つは「ホモ・エコノミクス」批判。経済学は、経済的合理性のみを追求する「ホモ・エコノミクス」を仮定している。人を一様に「ホモ・エコノミクス」とみなすのは、「公正な分配」という視点を欠いている、と宇沢先生は疑問を呈した。私もそう思う。

 分配の問題を軽視し、経済全体としてプラスになればいいというのは、トリクルダウンの思想(富裕層がもうければ、いずれ低所得層も恩恵を受けるという考え)。そういう考え方ではいけない。英国の経済学者ケインズは、経済学は自然科学ではなく、道徳科学であると強調した。ハンガリーの経済学者カール・ポランニーは「市場が社会から切り離された時、すべてが市場の要求に隷属する」と警鐘を鳴らした。評伝で宇沢経済学の背景を知り、社会性や公正性、正義の大切さを改めて認識した。

── とはいえ、ご自身は住友化学というグローバル企業の経営者。新自由主義とは親和性があったのでは?

十倉 1998年3月にベルギー駐在から帰国した当時、「グローバリゼーション」の真っただ中だった。住友化学も国際化を掲げ、シェアホルダーズ・バリュー(株主価値)の向上を目指した時期だった。できるだけ市場原理に委ねて競争しようと。その頃は、私も新自由主義にかぶれていた。

住友の事業精神

── 2000年代はグローバル競争が激しさを増した。住友化学はサウジアラビアでの石油精製・石油化学統合コンビナートなど大型事業を推進。十倉社長時代にグローバル経営で業績を伸ばした。

十倉 私自身は経営企画・事業企画の分野で「いかにして競争優位を確立するか」というミクロの世界に入り込んでいたから、社会全体や企業のあり方を深く考えることはなかった。社長に就任したのは11年だが、ちょうど内定している時に東日本大震災が起きた。社長になって会社全体をみるようになり、IR(投資家向け広報)などで「時価総額は?」「勝ち組、負け組」といった類の議論ばかり繰り返すうち、そういう視点だけでいいのかと思い始めた。

── 住友グループは江戸時代から続く旧財閥。「サスティナブル(持続的)」な経営という点では実績がある。

十倉 白水会(住友グループの社長会)では、住友の事業精神について勉強し、理解を深める。住友グループの原点は愛媛・別子銅山。ところが、明治期に銅の製錬で出る亜硫酸ガスが農産物や森林に大きな被害を与えた。当時の住友総理事・伊庭貞剛は莫大(ばくだい)な金額を投じ沖合の無人島に工場を移した。風向きの関係でガスが陸地に流れて被害は収まらなかったのだが、次の総理事の代にようやく亜硫酸ガスを回収して肥料を製造する工場を建設して解決した。その住友肥料製造所が住友化学の前身で、いわば公害問題の解決から始まった会社。住友家は今にも通じる、社会を意識した経営をしていた。

── 十倉さんは東大経済学部の根岸隆教授のゼミで学んだ。また、弟の十倉好紀氏はノーベル物理学賞候補にも名が挙がる高名な物理学者。宇沢先生への関心は、アカデミズムをリスペクトする姿勢にも見える。

十倉 私は高校生のころ、数学しかできなかった。数学者か理論物理学者になりたいと思ったが、高校の恩師に「学者は才能の世界」と諭され諦めた。その後、ずっと後悔したから、科学者コンプレックスがある。今でも読む本はサイエンス本が多い。せめて数学を生かせるようにと経済学部を選んだが、東大では宇沢先生の講義は受けなかった。同じ理論経済学の根岸隆先生のゼミに入り、それについていくのが精いっぱいだった。

数理経済学者・宇沢弘文の生涯を描き出した
数理経済学者・宇沢弘文の生涯を描き出した

ロールズの『正義論』

── 経団連定時総会での会長就任あいさつのなかで、十倉経団連のキーワードの第一番目として「ソーシャル・ポイント・オブ・ビュー」をあえて掲げた理由は?

十倉 宇沢先生同様、米国の哲学者ジョン・ロールズの『正義論』も気に入っている。他人の自由を侵さない限り、個人の自由は尊重されるべきとする第一原理。そして、第二原理として機会均等原理と、もう一つに格差原理がある。格差原理は、最低クラスの人たちの生活がよくならないといけないという原理。つまり、ロールズはベンサムの功利主義(最大多数の最大幸福)を批判している。

 ロールズの『正義論』は宇沢先生の考えに通じる。公正とは何か、正義とは何か。そこに思いをいたして我々は企業活動をしていかないといけない。常にその原点に戻るという思いから、「フロム・ザ・ソーシャル・ポイント・オブ・ビュー(社会的な観点)」を意識しながらやりましょう、と呼びかけた。

── 新会長の口から突然、「宇沢弘文」の名が飛び出し、経団連の皆さんも驚いたのでは?

十倉 何人かの副会長から「いいね、社会的共通資本」って言われて、こちらがびっくりした。宇沢先生に言及したことを「うれしかった」と言ってくれた人もいる。みんな資本主義が、転換点にあるとの認識を持っているからなのだろう。

(構成=浜條元保・編集部)


 ■人物略歴

十倉雅和 (とくら・まさかず)

 1950年兵庫県生まれ。74年東京大学経済学部卒、同年、住友化学工業(現住友化学)入社。2006年常務執行役員、09年専務執行役員、11年社長、19年から会長。経団連は21年6月から現職。

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