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教養・歴史 書評

ユーゴスラビアをあっという間に崩壊させた「あおり」の正体 評者・高橋克秀

『ユーゴスラヴィア現代史 新版』 評者・高橋克秀

著者 柴宜弘(城西国際大学特任教授) 岩波新書 990円

「作られた危機」で内戦突入 あっという間に制御不能に

 評者は内戦前の1989年に旧ユーゴスラビアで国際会議の取材をしたことがある。ドブロブニク(現クロアチア)で開かれた「第3世界銀行会議」には130カ国の代表が集まった。第二次世界大戦後に独自の社会主義と非同盟路線を維持してきたユーゴは途上国の間で声望が高く、累積債務問題の議長国を務めた。しかし、わずか2年後には凄惨(せいさん)な内戦が始まり、会議場であった高級ホテルが空爆で崩壊する映像が流れた時には言葉を失った。

 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が解体を始めて30年。旧連邦内の民族は独立運動を繰り返し、その波及過程はまだ完全には終わっていない。内戦はなぜ起き、未曽有の人道危機に進展したのか。84年にサラエボで冬季五輪を開催するほどのガバナンス(統治)能力をもった国家が、わずか8年後に制御不能になってしまったのはなぜか。

「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島は古来より民族、宗教、言語が複雑に入り組んだ地域である。長年の間に蓄積された民族間の憎悪が内戦の原因だとする見方がある。しかし、筆者の柴宜弘氏は、そうした“バルカン特殊論”を否定する。解体の背景には、70年代からの経済低迷によって若者の失業者が増大し、独自の社会主義の理念が動揺していたことがあった。

 そこに「権力や経済基盤を保持あるいは新たにそれを獲得しようとする政治エリートが民族や宗教の違いを際立たせ、そうした違いによって生じた流血の過去、つまり、第二次世界大戦前の戦慄(せんりつ)の記憶を煽(あお)り立てたこと」が主因であり、内戦は作られた危機であることを指摘する。戦慄の記憶とはナチスドイツがユーゴを占領した際に親独派と反独派の間で起きた暴力の連鎖のことである。

 民族主義を煽った人物としてセルビアのミロシェビッチ大統領の悪名は高い。のちにジェノサイド(大量虐殺)の罪によって旧ユーゴ国際戦犯法廷で裁かれ、審理中に獄死した。90年代の国際世論はセルビア悪玉論一色に染まっていた。国連はセルビアに制裁を科し、NATO(北大西洋条約機構)は空爆を行った。しかし、正教国セルビアに対する報道はかなり偏向しており、クロアチア=カトリック側が国際世論へのアピールで勝利した面があるという。

 柴宜弘氏は本書に重いメッセージを残して今年5月に亡くなった。ユーゴ内戦で流布された民族という概念に伴う暴力は、この地域固有の歴史に起因するものではなく、日本の近代史にも潜む現象であるという。

(高橋克秀・国学院大学教授)


 柴宜弘(しば・のぶひろ) 1946年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了後、東京大学名誉教授などを歴任。東欧地域研究が専門。ユーゴ解体から30年を受け、96年刊行の初版を本書で全面改訂した後、今年5月に死去。

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