教養・歴史書評

中国法制は、果たして本当に近代化されたのか?=辻 康吾

中国 中国法制の近代化研究=辻康吾

 清末民初(清朝末期から中華民国初期)の法務大臣として、欧州の法体系にならって近代法の制定を進めた沈家本(しんかほん)は、「今日、法律の名詞、学説の新たなものは、大抵が西方から出て東国で訳されたものだ」と述べている。ここでいう「東国」とはむろん日本のこと。明治維新後、欧米の新たな知識体系が日本で和製漢語として翻訳され、近代化を迫られた清が法律用語としても逆輸入したということだ。

 最近になって中国の近代法の用語が和製漢語ばかりではないとの研究もあるが、北京師範大学珠海分校講師の孟広潔(もうこうけつ)は、『清末“法、刑、罪、権”新述語語義範疇(はんちゅう)和語義関係研究』(2020年、厦門(アモイ)大学出版社)で、語学研究の立場から「刑」「罪」「権」など近代法の基本的概念の「語素」の導入や発展を分析している。

 西欧の近代法に触れる以前、中国には「清律」(清朝の律令)にいたる中華伝統の法体系が存在していた。こちらは皇帝を「天子」としてヒエラルキーの頂点に置く儒教秩序を維持することが主眼であり、「謀反」をはじめとして、秩序に与える危害の度合いに応じて、人を生きたまま鋭利な刃物でなます切りにする「凌遅(りょうち)」などのきわめて残虐な刑罰が定められていた。同じ「殺人」であっても、被害者と加害者の身分によって量刑には雲泥の差が自明のこととして存在しており、中国社会もそれを当然と受け止めていた。それだけに、中国に取り込まれた欧州近代法の哲学は、前後して広まった西洋医学が漢方医学に与えた以上の衝撃を朝廷の科挙官僚に与えたに違いない。

 ともあれその後の中国の法制は近代法としての整備が進められ、条文上では「法の下の平等」「国民の権利と義務」「罪刑法定主義」などが定められてきた。だが、一方での政治上の「党独裁」の原則との齟齬(そご)も出ている。

 最近の実例としては昨年、香港で新たに施行された「国家安全法」では判事の行政的任命、陪審制排除、量刑不定など近代法の原則と矛盾する多くの問題が指摘されている。実のところ中国の法制は今なお、党、つまり権力による支配を守るための「刑罰専断主義」が本音のようにも思えてならない。

(辻康吾・元獨協大学教授)


 この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。

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