教養・歴史書評

「人のため」と「自分のため」はあいまい。カギは偶然的要素=評者・後藤康雄

『思いがけず利他』 評者・後藤康雄

著者 中島岳志(東京工業大学教授) ミシマ社 1760円

親鸞からバカボンまで引き合いに 「利他性」とは何か軽妙に語る

 コロナ禍で折に触れ私たちは、「利己」と「利他」のはざまに身を置いてきた。感染抑制のためのさまざまな努力は、社会を守る利他的行動ともいえるが、結局のところ自身を守る利己的な動機もある。私たちは利己と利他をどう切り分けて自らの中に位置づけているのか。本書は、気鋭の論客が、「利他」的行動に関する幅広い思索の足跡をつづった啓蒙(けいもう)書である。

 利他性自体は、長らく多くの学問領域で関心を持たれてきた。人間以外の動物でも利他的行動が観察されることに動物学などは着目してきたし、経済学の応用分野では、例えば身内など他者の効用(満足度)が自らの効用を左右するといった形で、利他性を取り込んだモデルも作ってきた。ただ、学術研究では、理論の洗練度やデータによる説明力が重要だろうが、私たちが悩むのは「人としてどうあるべきか」という規範的な部分である。学術的にはなかなかとらえどころのない難問だ。

 本書はややもすると深刻になりがちなこの難問を、いとも軽やかなタッチで語る。利他的行動(およびその複雑な構造)を扱う好例として落語「文七元結(ぶんしちもっとい)」を紹介し、噺(はなし)家による解釈の違いを熱く論じる。親鸞の語録とされる『歎異抄(たんにしょう)』や現代思想の重鎮ジャック・アタリ、20世紀の大数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンが引き合いに出されたかと思えば、宇多田ヒカルのヒット曲、はては昭和アニメ「元祖天才バカボン」の歌詞まで登場する。時に深遠な思想や学術成果、時にサブカルチャーに至る具体的な例えなどを通じて、改めて感じさせられるのは、利己と利他のあいまいさだ。

 我々の日常でも、よかれと思った親切が、おせっかいやありがた迷惑になることはあり得る。その背後に、著者がいうような相手への潜在的な支配欲が見え隠れすることもある。親切に潜むそうした別の側面を感じる繊細な私たちは、自縄自縛に陥りかねない。ではいったいどうしたらよいのか。著者は、行為者の意図とは離れた要素、例えば偶然的要素が、ひとつのカギになるのではないか、と説く。気が付いたら親切をしていた、ということなら確かに気が楽だし、押しつけがましくもないだろう。

 著者が直接語りかけるのは個人としての読者だが、現代ではSDGs(持続可能な開発目標)へのコミットなど、企業にも利他性が期待される時代である。肩肘張らず幅広い世代が読める本書は、企業人が社会貢献のあり方を論じ合う際などにも、貴重なヒントを与えてくれそうだ。

(後藤康雄・成城大学教授)


 中島岳志(なかじま・たけし) 1975年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授を務める。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。著書に『パール判事』『秋葉原事件』など。

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