教養・歴史書評

ヘイトや陰謀論はなぜ起きる? 認知科学の知見から分析=評者・将基面貴巳

『みんな政治でバカになる』 評者・将基面貴巳

著者 綿野恵太(文筆業) 晶文社 1870円

ヘイトや陰謀論はなぜ起きる? 認知科学の知見に基づき分析

 挑発的なタイトルである。人によっては冷笑的と受け取るかもしれない。

 いずれにせよ、この題が癇(かん)に障って本書を手に取る読者は、著者の戦略にまんまとはまってしまったことになろう。認知科学によれば、人間が下す判断は理性的な「推論システム」と感情的な「直観システム」の二つに基づいているが、後者に伴う認知バイアスのせいで人間は不確かな「道徳感情」を抱くものだ、という。したがって、タイトルを見ただけで本書に不快な「道徳感情」を抱くなら、人間の判断が「直観システム」による「道徳感情」に左右されがちであるという本書の主要論点を自ら例証することになるからだ。

 こんな悪戯(いたずら)なタイトルを持つ本書は、大衆を愚民だと決めつけるようなものではない。それどころか、政治的分断が深刻化し、陰謀論やフェイクニュースが増殖し続ける現代状況の真摯(しんし)な考察である。政治をめぐって「バカ」げた行動や意見が横行するのは、人間に例外なく見られる認知バイアスと政治に関する無知の結果である、というのが根本主張である。政治について詳しいと自負する者でも、その知識は実のところSNSのような「環境」から制約を受けている。しかも管理監視社会によって市民的公共性も切り崩されつつあり、集団分極化(著者のいう「部族主義」)が拡大する一方である。憂慮すべき現実の深層を、主に認知科学的な研究成果を渉猟しつつ、平易な言葉で多角的に説き明かす。

 このように著者は人間が認知能力において「どのような存在なのか」という視点から現代政治を問い直すが、この問題と人間が「どうあるべきか」という問題はおのずから別である。認知科学は後者の問題を扱えない。では、人間は政治をどうすべきか。理想的な政治の明確なビジョンこそが、現代社会に生きる人間の「バカ」さ加減を克服するのに必要なのではないか。

 戦後まもなく東大総長を務めた経済学者・矢内原忠雄は言った。現実に没頭するなら現実に引きずられるよりほかはない。しかし、「国家の理想」を思い描くことができるなら、政府の良しあしの判断は「国民中もっとも平凡な者にも可能である」。つまり「無批判は知識の欠乏より来るのではない。それは理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る」。

 この点、本書は「所得」や「階級」を「われわれ」の指標とする「革命」が必要だ、と示唆するにとどまっている。「革命」の“青写真”を期待したい。

(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


 綿野恵太(わたの・けいた) 1988年生まれ。出版社勤務の後、文筆業。詩と批評『子午線 原理・形態・批評』同人。著書に『「差別はいけない」とみんないうけれど。』がある。

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