広田弘毅はなぜ「統制」したか。現代にも示唆与える評伝の良書=評者・平山賢一
『広田弘毅 常に平和主義者だった』 評者・平山賢一
著者 井上寿一(学習院大学教授) ミネルヴァ書房 3850円
国際協調のため経済統制を推進 戦争の時代を生きた実像に迫る
本書は、歴史小説や研究史から描かれる広田弘毅(こうき)像と実際の広田外交とのギャップを埋めようとする良著である。何回も繰り返して読むほどに、味わいが深まることだろう。内政に軸足を置いてみれば国家統制主義者としてのレッテルが貼られるものの、外交に焦点を合わせれば常に平和主義者であったという広田弘毅。読者は、満州事変以降の時代の趨勢(すうせい)が戦争一直線でなかった点を改めて確認できよう。
あえて経済という側面に着目して本書を読み進むと、一つのキーワードが浮かび上がってくる。「統制化」である。著者は、離合集散する国内勢力の不統一が外交的信頼性を低下させるゆえに、広田が統制を表看板としたと説く。さらに、1920年代の経済的自由主義が拡大させた「格差」を是正するためにも統制は必須であったとしている。
戦争に至る道は、一言で片づけられない紆余(うよ)曲折の過程を踏んでおり、経済統制は国際協調のための手段として拡張・深化していく。「経済的なアプローチは政治的なアプローチの代替手段」との著者の言葉は重い。同じ統制であっても、自治的な統制もあれば強権的な統制もあろう。必要なる統制を受け入れても、イデオロギー的統制を拒む経済界だったが、やがて国家の名の下に統制が加速し、強化されるのであった。この国家統制を主導したのは、近衛文麿内閣の企画庁総裁としての広田であり、厚生省設置、電力国営化、貿易産業統制を成し遂げていく。
一方、外相としての広田は、外交政策における現状維持を成し遂げることには必ずしも成功していない。手段である経済統制を徹底しても、外交上の成果にはつながらなかったのである。複雑に絡み合う軍部、官僚、政党、そして世論という歯車の軋(きし)みは、広田のバランス感覚をしても現状維持を成し遂げることを妨げた。戦争の拡大を止められなかった理由として本書では、国内世論の過激化が取り上げられている。軍部以上に問題となったのは、大衆の「領土的野心」「戦勝ムード」であり、それをそのまま広田たちは受け止めるしかなかったのであろう。
翻って現代日本の状況を見るならば、経済政策は、再び統制色を帯びはじめ、外交関係は混迷の度を増している。国家による経済介入が強化されても、国際関係を維持できるとは限らないのは本書の示す通りであろう。むしろ世論の成熟と不偏不党中立のメディアの浸透こそが、近代日本の遺産を現代に生かすことになるはずだ。
(平山賢一・東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長)
井上寿一(いのうえ・としかず) 1956年生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。著書に『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』『はじめての昭和史』など。