バイデン政権に黄信号!最高裁の「超保守化」という不都合な真実=中岡望
アメリカでは、最高裁が「アメリカの政治や社会の方向性を決定する」と言われるほど圧倒的な力を持っている。私たちには理解できない、世界一の超大国アメリカの全貌に迫る連載「日本人の知らないアメリカ」の10回目は、アメリカにおける最高裁の位置付けについて解説したい。
同じ「最高裁」でも日米でここまで影響力が異なる
昨年、日本では衆議院議員選挙とあわせて最高裁の裁判官11人の国民審査が行われた。多くの日本国民は、審査対象となった最高裁裁判官の名前すら知らなかったのではないだろうか。それほど日本では最高裁の存在感は薄い。
それは、日本の最高裁が、政治がらみの裁判に関して明確な憲法判断を避ける傾向があるからに他ならない。例えば選挙における「1票の格差」の問題についても、「違憲状態」であるとしつつも最終責任を国会に委ねる曖昧な判決を下している。最高裁の多くの判決は“現状追認”であり、最高裁が社会的、政治的な影響力を発揮することはほぼない。
一方、アメリカにおける最高裁の存在感は、日本と比べはるかに大きい。最高裁判事は英語で”Justice”と呼ばれ、下級裁判所の判事は”judge”と呼ばれている。最高裁は最高裁首席判事(Chief Justice)と8人の陪席判事(Associate Justice)で構成されるが、アメリカで大学教育を受けた人であれば、9人の最高裁判事の名前を間違いなく知っている。
アメリカで最も国民の支持を得ているのは大統領ではなく「最高裁首席判事」
2021年12月27日にギャラップ社は、公職にある人物に対する国民の信頼度に関する調査結果を発表した(Justice Roberts Tops Leaders in Americans’ Approval)。調査の対象となったのは、ジョー・バイデン大統領、カマラ・ハリス副大統領、アンソニー・ブリンケン国務長官、メリック・ガーランド司法長官、ジョン・ロバーツ最高裁首席判事、ジェローム・パウエルFRB(連邦制度理事会)議長、アンソニー・ファウチ国立アレルギー感染症研究部長など、アメリカの指導者である。
並みいる指導者の中で最も多くの国民の支持を得たのは、ロバーツ最高裁首席判事で、支持率は60%、不支持率は34%であった。次いで高い支持率を得たのはパウエルFRB議長で、支持率53%、不支持率40%であった。
新型コロナ対策を最前線で指揮するファウチ部長は3位で、支持率は52%、不支持率は47%。バイデン政権の中で最も支持率が高かったのはブリンケン国務長官の49%(不支持率43%)だった。バイデン大統領は9位で支持率43%、不支持率51%。ハリス副大統領は7位で支持率は44%、不支持率は54%であった。
日本では多くの国民は最高裁長官の名前さえ知らないのに、アメリカでは公職にある人物の中でロバーツ最高裁首席判事が最も高い国民の支持を得ている。
なぜアメリカ国民は最高裁にここまで高い関心を抱くのか。それは、最高裁の判決がアメリカ社会の方向性を決定する影響力を持っているからである。
「大統領令」が通らない…
昨年9月9日、バイデン政権は新型コロナウイルス対策の一環として、連邦政府の全役人にマスク着用を義務付ける大統領令を出した。この「強制的マスク着用に関する大統領令」の合法性が、いま最高裁で争われている。1月8日には、口頭弁論が行われた。最高裁の判決次第では、バイデン大統領の大統領令が無効になる可能性もある。
アメリカではマスクの強制着用問題は、保健衛生上の問題を越えて、リベラル派と保守派の大きな争点になっている。保守派は、マスクを着用するかどうかは個人の自由に関わる問題であるとして、政府の規制に反対している。
現在のアメリカ政治は両極に分裂し、ほとんど機能していない。民主党と共和党の対立で、法案を成立させるのが極めて難しくなっている。議会の機能不全という現実を前に、歴代大統領は法律を制定して政策を実施するのではなく、議会を迂回する手段として「大統領令」を多用するようになっている。
大統領令に反対する勢力は、連邦裁判所に違憲性を訴えるのが常態化している。また、議会で成立した法律についても、反対勢力は訴訟に持ち込んで法律を廃案しようとする。政府や議会の決定に対して、最高裁が合憲か違憲かの最終判断を下すのである。極論すれば、政策の合憲性の最終判断は最高裁に委ねられていると言っても過言ではない。
1月13日、最高裁はバイデン政権の新型コロナ対策に決定的なダメージを与える判決をくだした。バイデン政権は、大企業に対して従業員のワクチン接種、あるいは毎週の検査を義務付ける大統領令を出している。最高裁は、この対策は連邦政府の権限を越えるものであるとして、差止命令を出したのである。
注目されるミシシッピー州の中絶禁止法に対する判決
さて、今年はその最高裁が、アメリカ社会の将来を決定する重要な裁判の判決を下す年になると予想されている。「中絶」、「銃規制」、「宗教的自由」、「公的保険制度」など、アメリカ社会を分断している様々な問題に対して、最高裁がどのような判決を下すかが注目されている。
特に中絶問題はアメリカ社会の在り方を根底から変える可能性のある問題である。最高裁は1973年の「ロー対ウエイド裁判」で、女性の中絶権を認める判決を下している。
2020年7月に本欄で記したように、同年6月にミシシッピー州政府は最高裁に同州の妊娠後15週を経過した場合、すべての中絶を禁止するという法律の合憲性を求めて最高裁に上訴した(裁判名はDobbs v. Jackson Women’s Health Organization)。1992年の最高裁の判決(Planned Parenthood v. Casey裁判)で24週間以内の中絶は合法とされており、それが15週間以内に短縮されれば、実質的に中絶は全面禁止されることを意味する。
その最終的な判決が、今年の6月末に出されると予想されているのである。最高裁は9人の判事のうち6人が保守派の判事であることから、ミシシッピー州の法律を合憲という判決を下すのではないかとアメリカメディアは報じている。
自由の国アメリカで「中絶禁止」の現実味 保守派優勢の最高裁で早ければ来春判断=中岡望
アメリカではリベラル派と保守派の間で“文化戦争”が展開されている。社会的倫理や伝統的価値を重視する保守派は、中絶問題や銃規制、宗教的自由、LGBTQ問題などを巡ってリベラル派と激しく対立。中でも中絶問題を最大の争点としてきた。
特に、カトリック教徒やキリスト教原理主義者といわれるエバンジェリカルは、1973年の「ロー対ウエイド判決」以降、この判決を覆すことを最大の目標としている。彼らの戦略は明快だ。保守的な最高裁判事や連邦裁判事を増やすことに心血を注いでいる。
最高裁判事や連邦裁判事は大統領が指名し、上院が承認する。保守的な最高裁判事を増やすには政治的な力を得る必要がある。1970年代、エバンジェリカルの指導者ジェリー・ファルウエルは中絶禁止を目標とする「モラル・マジョリティ(道徳的多数派)」を組織した。その目的を達成するために、共和党のロナルド・レーガン大統領候補を選んだのである。
ファルウエルはレーガンに対して、最高裁判事や連邦裁判事に保守派の人物を指名するという約束の見返りに選挙資金を提供し、選挙運動を行い、500万票を獲得した。レーガン大統領は8年の任期中に4人の最高裁判事、83人の連邦控訴裁判事、290人の連邦地方裁判事を指名している。ただ、ファルウエルが期待する超保守派の判事の指名はアントニン・スカリア判事一人に留まった。議会は民主党が優勢で、レーガン大統領は思い通りの人事を行うことができなかったのである。
アメリカの最高裁判事には任期もなければ定年もない
日本の最高裁の裁判官の任期はないが、定年が70歳と決められている。これに対し、アメリカの最高裁判事には任期も定年も存在しない。つまり、死亡するか、辞任するか、弾劾されない限り最高裁判事の座に留まることができる。
在職中に死亡した最高裁判事は、アイゼンハワー政権以降、4人いる。最近ではリベラル派の代表であったギンズバーグ判事が2020年に死亡している。
任期が終身であることは重要な意味を持つ。最高裁判事を指名する大統領の任期は最長8年。ある意味では、連邦裁判事の影響力は大統領よりも大きいということになる。
大統領は政治的に近い立場の人物を最高裁判事や連邦控訴裁判事、連邦地方裁判事に指名しようとする。法律や大統領令の合憲性が最終的に最高裁で争われることを考えれば、保守派の大統領は保守派の人物を、リベラル派の大統領はリベラル派の人物を指名しようとする。
ただし、大統領に指名された人物が上院で承認されるとは限らない。上院司法委員会で公聴会が開かれ、徹底的に資質が問われる。野党の支持を得ることが重要であり、過去においては、見識と学識が重要な選考基準であった。大統領にとって、イデオロギーが指名の根拠になったのは、レーガン政権以降である。
一方で、長期間、判事の座にいると、考え方が変わることもあるようだ。レーガン大統領が指名したサンドラ・オコナー判事は就任当初は保守派であったが、後年はリベラル派判事に組みすることが多くなってきた。また、現在のロバーツ最高裁首席判事も就任当初は保守派と見られていたが、最近では、リベラル派判事と歩調を合わせるケースが増えている。
いずれにせよ、最高裁を制することは“文化戦争”で勝利することを意味することに変わりはない。
9人の最高裁判事のうち6人が保守派
大統領が最高裁判事を指名できるのは、欠員ができた時である。したがって大統領が指名できる最高裁判事の数は偶然によって決まる。レーガン大統領が指名した最高裁判事の数は3人、ブッシュ大統領(父)の指名は2人、クリントン大統領は2人、ブッシュ大統領(息子)は2人、オバマ大統領は2人、トランプ大統領は3人である。バイデン大統領にはまだ最高裁判事を指名する機会は訪れていない。最も多くの最高裁判事を指名した大統領はルーズベルト大統領で、8人である。
さて、現在の最高裁が、9人の判事のうち6人が保守派で3人がリベラル派と、極めて偏ったものになっているのは、先に述べた通りだ。また、9人の判事のうち6人がカトリック教徒である。
おそらくカトリック教徒の判事は単に保守派というだけではなく、宗教的な立場からもミシシッピー州の中絶禁止法を容認する判断を下す可能性が強い。
保守派判事支配によって進む最高裁の“保守革命”
レーガン大統領がファルウエルの支援を得て当選したのと同様に、トランプ大統領もエバンジェリカルの支持を得て、大統領選挙での当選を果たした。トランプ大統領は宗教的な人物ではないが、選挙公約に最高裁判事への保守派の登用を公約に掲げることで、エバンジェリカルの支持を得た。4年の任期中に3人の保守派判事を誕生させたことで、保守派の判事が最高裁を支配することになった。長年の保守派の願望が実現したのである。
トランプ大統領が指名した3人の最高裁判事は、いずれも保守的な法曹人の団体であるフェデラリスト・ソサエティのメンバーである。従来は弁護士協会に登録された人物で、法律家の見識をベースに人選されるのが普通であった。だが、トランプ大統領は露骨に保守派の人物を最高裁判事に指名している。
中絶、銃規制、宗教的自由などを巡る“文化戦争”の勝利に向け、最高裁では“保守革命”が着実に進んでいる。「最高裁の保守革命は既に始まっている。過去100年間で最高裁がこれほどイデオロギー的に偏ったことは一度もなかった」(”The Supreme Court’s Conservative Revolution is Already Happening”, FiveThirtyEight, 2021年12月20日)。
伝統的にみると最高裁は常に保守的であった。最高裁が最もリベラルだったのは、ウォーレン・バーガー主席判事の時代(1969~86)である。この時期、アメリカ社会はリベラルに大きく傾斜した。「ロー対ウエイド判決」が出されたのも、この時代である。
“バーガー・コート”以外の時期を見ると、妊娠第2期の中絶禁止判決、個人の銃保有権容認判決、投票権法の骨抜き、労働組合活動の制限といった保守的な判決が多く下されている。ただ6人の判事が保守派だという時代はない。
本格的な保守革命が始まるかどうかは、ミシシッピー州の中絶禁止法に対して、最高裁が6月末にどのような判決を下すかによって決まるだろう。
バイデン大統領の反撃
バイデン政権にとって、保守化した最高裁は大きな脅威となるのは間違いない。上院では議席数が民主党と共和党がそれぞれ50議席で拮抗しており、法案を成立させるのは容易ではない。さらに大統領令で政策実施を図っても、最高裁によって阻止される可能性がある。バイデン政権にとって、活路を見いだすのは容易ではない。バイデン大統領は、残り3年の任期中、最高裁に苦しめられ続ける可能性もある。
そんな中、バイデン大統領がついに反撃に出た。
2021年4月9日、バイデン大統領は大統領令に署名し、「最高裁に関する大統領委員会」の設置を決めた。同委員会では、憲法制度の中での最高裁の役割、最高裁判事の任期と交代、最高裁判事の数などに関して検討を行うことになる。特に注目されるのは、最高裁判事の数と任期に関する検討項目が加えられていることだ。
最高裁判事の任期に関しては明確な憲法の規定があるが、人数に関する規定はない。ワシントン大統領の時は、最高裁判事の数は6人であった。リンカーン大統領の時、南北戦争勃発を受け、最高裁判事の数は10人に増えている。法的には、最高裁判事の数は議会が決定することができる。政治状況に応じて、大統領が最高裁判事の数の変更を試みてきた歴史がある。現在の9人体制は、そうした経緯を経て1869年に確立したのである。
最高裁判事の数を変更する最後の試みは、ルーズベルト大統領によって行われた。
1935年に最高裁はニューディール政策の柱となる「農業調整法」や「国家産業回復法」に違憲判決を下した。さらに1937年に「国家労働関係法」と「社会保障法」の合憲性が最高裁で審理された。これらはニューディール政策の核心政策である。ルーズベルト大統領は最高裁による違憲判決を避けるため、議会に対して70歳以上で退官しない判事に対して後任の判事を指名する権限を付与するよう求めた。最高裁判事の平均年齢は71歳で、6人の判事は70歳を超えていた。当時の国民の平均年齢が58歳であることを考えると、最高裁判事は超高齢であった。
ルーズベルト大統領は、最高裁は大統領や議会だけでなく、国民の意思に反した判決をしていると国民世論に訴え、新たに6人の最高裁判事と44人の連邦控訴裁、連邦地方裁判事を指名する計画を立てた。この試みは「最高裁のパッキング(pack the Court)」と呼ばれている。こうしたルーズベルト大統領の圧力によって、最高裁は「国家労働関係法」と「社会保障法」を合憲とする判断を下した。結果的に高齢の判事は引退し、最高裁判事の数が増やされることはなかった。
バイデン大統領の最高裁改革は、ルーズベルト大統領の「最高裁パッキング政策」を目指していると言えるのかもしれない。ただ、リベラル派の中にも最高裁判事の数を増やすことに批判的な声もあり、実現の可能性については疑問である。ルーズベルト大統領の強硬姿勢が奏功したのは、民主党が両院で圧倒的多数を占めていたからだ。民主党と共和党が拮抗する議会状況のもとで大胆な最高裁改革を行うのは難しいだろう。
中岡 望(なかおか のぞむ)
1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。ハーバード大学ケネディ政治大学院客員研究員、ワシントン大学(セントルイス)客員教授、東洋英和女学院大教授、同副学長などを歴任。著書は『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など