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自由の国アメリカで「中絶禁止」の現実味 保守派優勢の最高裁で早ければ来春判断=中岡望

    最高裁前で中絶の権利を訴えるプロ・チョイスの活動家たち  Bloomberg
    最高裁前で中絶の権利を訴えるプロ・チョイスの活動家たち  Bloomberg

    私たちには理解できない、世界一の超大国アメリカの全貌に迫る連載「日本人の知らないアメリカ」。6回目は日本人にとってアメリカの最も理解しにくい問題のひとつ、「妊娠中絶」について掘り下げる。

     アメリカでは、保守派とリベラル派の間で長年にわたって社会的価値観、道徳的価値観を巡る“文化戦争”が行われてきた。「女性の中絶権」を巡る争いは、その主戦場である。中絶の是非を巡って、社会が完全に分断されていると言っても過言ではない。

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     1973年、最高裁は「女性の中絶権は憲法によって認められている」という歴史的判決を下した。いわゆる「ロー対ウエイド判決」である。以降、約50年に渡って中絶に反対する“プロ・ライフ”と呼ばれる保守派グループと、女性の中絶権を擁護する“プロ・チョイス”と呼ばれるリベラル派が激しい対立を繰り返してきた。

     その戦いが今、重大な局面を迎えようとしている。

    妊娠15週以降の中絶を犯罪と見なすミシシッピ州の法律

     最高裁は5月17日、ミシシッピ州議会が2018年に可決した中絶規制に関する法律(正式名称「Gestational Age Act」)が、憲法に違反するかどうかを審理の対象にすると発表した。

     ミシシッピ州の法律は、妊娠後15週を経過した場合は中絶を禁止する、という内容である。言い換えれば、15週以降の中絶は犯罪ということになる。妊婦の健康に重要な緊急性がある場合、あるいは、胎児に深刻な異常がある場合を除いて、たとえレイプによる妊娠であっても、すべての中絶が違法となる。

     ロー対ウエイド判決の「中絶可能期間」は胎児が子宮外で生育可能になる時点まで、つまり、妊娠後24週間までと解釈されている。ミシシッピ州の法律はそれを大幅に短縮したもので、実質的にほぼすべての中絶が禁止されることになる。

     当時のフィル・ブライアント知事は同法に署名する際に「私はミシシッピ州を、まだ生まれていない子供(unborn child)にとって最も安全な場所にすると約束する。この法律は、その目的を達成する上で役に立つ」と語っている。

    連邦地方裁は「中絶可能期間は24週が妥当」と認定

     これに対し、ある民間クリニックが、この法律は「違憲である」という訴訟を起こした。同州の医療関係の責任者であるトーマス・ドブス博士と民間クリニックの名称を採った「ドブス対ジャクソン・ウィミンズ・ヘルス訴訟(Dobbs v. Jackson Women’s Health Organization)」と呼ばれるこの裁判で、連邦地方裁と連邦控訴裁は、中絶可能期間を15週までに規定する科学的根拠はないとして同法の適用差し止めを命令。ロー対ウエイド判決が定める「24週」が中絶可能期間として妥当と認定した。

     州政府はこれを不満とし、最高裁に上告した。最高裁は上告を受理するかどうか検討を重ね、「妊娠15週後の中絶を禁止することが違憲かどうかに限って審理する」として、上告を受理した。

     最高裁は過去の裁判で、女性の中絶権は憲法によって保護されているというロー対ウエイド判決に沿った判断を下してきた。州で成立した多くの中絶規制法は、過剰に規制的で、女性の権利を阻害するものであると判断されてきた。

     今回の裁判は、最高裁が女性の中絶権が憲法によって保障されているかどうか、基本的な判断を下す裁判になる可能性がある。多くの専門家は最高裁がいずれ中絶権の合憲問題を取り上げるだろうと予想していたが、その機会は予想よりも早く訪れた。

    中絶反対のプロ・ライフ派が最高裁判事の過半数を占める

     今回の最高裁審理が従来と違うのは、最高裁判事9人のうち6人が保守派の判事であり、しかも3人はトランプ大統領が指名した判事であるという点だ。

    9人の最高裁判事。後方左端のブレット・カバノー氏、右から2番目のネイル・ゴーサッチ氏、右端のエイミー・コニー・バレット氏はトランプ大統領が指名した Bloomberg
    9人の最高裁判事。後方左端のブレット・カバノー氏、右から2番目のネイル・ゴーサッチ氏、右端のエイミー・コニー・バレット氏はトランプ大統領が指名した Bloomberg

     トランプ大統領はロー対ウエイド判決に反対することを最高裁判事の選択の基準としていた。従来から判事のポストにある3人の保守派の判事の中にはジョン・ロバーツ主席判事のように穏健派も存在するが、他の2人の判事はロー対ウエイド判決に否定的な意見を持っている。さらにトランプ大統領に指名された3人の新判事は明らかに、ロー対ウエイド判決の見直しを主張するプロ・ライフ派である。

    2020年10月に最高裁判事に就任したエイミー・コニー・バレット氏は狂信的カトリック教徒として知られる Bloomberg
    2020年10月に最高裁判事に就任したエイミー・コニー・バレット氏は狂信的カトリック教徒として知られる Bloomberg

     特にトランプ大統領が最後に指名した女性のエイミー・コニー・バレット判事は、狂信的なカトリック教徒で、最高裁判事就任前に公然と女性の中絶権を否定する発言を繰り返した。トランプ大統領指名のネイル・ゴーサッチ判事とブレット・カバノー判事も、過去に行われた中絶規制に関する最高裁の審議で規制に賛成する評決を行っている。

    危機感強める中絶擁護のプロ・チョイス派

     判決は9人の判事の投票で決まる。過半数を占めた意見が最高裁の判決となる。プロ・チョイス派は、最高裁がミシシッピ州の法に対する判決を通して、実質的にロー対ウエイド判決を覆す可能性があると懸念する。最悪の場合、アメリカで全ての中絶が禁止される可能性もあるとして、危機感を強めている。

     逆にいえば、プロ・ライフ派にとっては、長年主張してきたロー対ウエイド判決を覆す絶好のチャンスが到来したと言える。

     最高裁カレンダーでは、10月から7月初までが審理期間である。最高裁はミシシッピ州の法律を巡る係争を今年の10月以降に審議することになる。予想では、早ければ来年春に判決が下るだろう。

     2022年は連邦議会の中間選挙の年でもあり、中絶問題が“政治問題化”する可能性が強い。ちなみに最高裁は次期最高裁カレンダーで、銃規制についても取り上げることになっている。これも保守派とリベラル派の間に激しい対立を引き起こしている問題である。妥協の余地のない“文化戦争”が、最高裁の場で繰り広げられるのである。

    19世紀以前のアメリカでは危険な中絶手術による事故が頻発

     アメリカでは、中絶を巡ってなぜこれほどまでに激しい対立が起こるのか。この問題を理解するには、中絶の禁止や合法化を巡る歴史的な過程を知る必要がある。

     アメリカは宗教国家である。特に保守的なカトリック教徒は中絶に強硬に反対する。長い間、ローマ・カトリックは避妊行為すら容認していなかった。子供を産むかどうかは人間が決めることではなく、神が決めることだというのが、多くのカトリック教徒の考え方であった。ただ、過去においてはキリスト教社会でも「胎動が始まる(quickening)」前の中絶は広く認められていた。胎動は神が命を吹き込んだ証拠と考えられていたので、それ以前の中絶は宗教的に問題ないとされていた。

     19世紀以前のアメリカには中絶を禁止する法律はなかった。1803年にイギリスが中絶は王の臣民に害を加える行為であるとの理由で中絶を禁止した。これを受け、イギリスの植民地であるアメリカでも中絶を禁止する法案が成立し、1880年までにほぼ全ての州で「母親の生命を救う目的以外」の中絶が禁止されるようになった。

     ただ実際には、助産婦ら医療専門家ではない人たちも中絶手術を手がけていた。中絶は、“儲かる商売”であり、新聞には中絶に関する広告が多く掲載されていた。危険な中絶手術も行われ、手術で母親が死亡したり、不妊になったりするケースが頻発した。

    女性の権利抑制のための中絶禁止

     南北戦争後、中産階級が形成され、自由恋愛の時代に入っていく。そうした背景で中絶が増加した。1890年代に200万件の中絶が行われたと推定されている。

     こうした中、社会的に女性に伝統的な家庭での役割を求める動きが強まり、女性の権利を抑制する動きが出てくる。また医師会も助産婦などの中絶手術を禁止することで、自らの利益保護を図り、中絶を犯罪とする動きに加担した。さらに19世紀後半、出生率低下が顕著になり、政府も中絶禁止に乗り出した。

     ただ、こうした中絶を禁止する動きの結果、望まぬ妊娠をした女性は闇で中絶をすることを強いられた。その結果、多くの女性は死亡するか、不妊になった。

    貧しい移民女性が闇の中絶手術に殺到

     20世紀に入ると移民が増えた。移民女性の多くは貧しく、子供を産めないため、わずかの手術費を握りしめ、中絶をする闇の病院の前に列を作った。中絶禁止が、逆に多くの女性に苦痛を強いた。ただ裕福な中産階級の女性は、信頼できる医師によって安全な中絶手術を受けることができた。

     その結果、1950年代にはアメリカでは年間100万件を超える違法な中絶手術が行われた。毎年、1000人以上が死亡した。違法な中絶手術によって死亡した女性の75%が黒人女性であった。中絶問題は、同時に「女性問題」でもあり、「人種問題」でもあった。

     こうした背景の中で、1960年代にはいると女性解放(フェミニスト)運動が始まり、中絶の合法化を求める声が強くなる。幾つかの州で中絶は合法化されたが、レイプや15歳以下といった限られた条件の下での合法化であり、完全なものではなかった。また、中絶をするかどうかの判断は医者に委ねられ、女性の主体的な判断は認められていなかった。手術費は高額で、一般女性が恩恵を受けることはなかった。

    中絶禁止の流れを変えた「ロー対ウエイド判決」

     アメリカの中絶問題の決定的な転機となったのは、1973年1月22日の最高裁の「ロー対ウエイド判決」である。

     1970年3月、テキサス州で一人の未婚女性が、「母体の生命が脅かされる場合以外の中絶を禁止する州法は憲法違反である」という訴えを起こした。連邦地方裁、連邦控訴裁の判決で原告の主張は認められたが、州法の執行停止の請求は棄却された。原告、被告ともに判決に納得せず、最高裁に上告した。最高裁の審理が行われた時、原告の女性は既に出産していたため、裁判は集団訴訟の形で行われた。

     最高裁は、憲法修正第14条の「プライバシー権利(the right to privacy)」の条項に基づき、憲法は女性の中絶に関する決定を保護しているという判断を下した。中絶を決めることは、結婚や出産、育児、家族に関する決定を行うことと同じ個人的な事柄であるというのが、判決の最大のポイントであった。

     判断基準から宗教的要素を排除しているのも大きな特徴であった。妊娠期間を3期に分け、妊娠第1期は妊婦が中絶に関する決定を行う権利を持ち、2期は州が妊婦の安全を考慮して中絶を規制できるとした。3期は胎児を保護するために中絶を禁止できるとした。中絶に関する権限の一部が政府に残されたが、女性にとっては大きな勝利であった。

    世論調査では白人エバンジェリカルの77%が中絶は非合法と回答

     最初にロー対ウエイド判決に反応したのは保守的なカトリック教徒であった。やがてエバンジェリカルと呼ばれる保守的なプロテスタントもロー対ウエイド判決廃止運動の戦列に加わる。こうして極めて宗教色の強い中絶禁止運動が始まる。ロー対ウエイド判決以降、中絶問題がアメリカ社会を分断することになったのである。

     ピュー・リサーチ・センターの調査(「Public Opinion on Abortion, View on Abortion, 1995-2021」によれば、2021年時点で「中絶は合法である」と回答したのは59%、「非合法である」としたのは39%であった。

     調査結果を詳しく見ていくと、「いかなる条件でも合法」が25%、「ほとんどの条件で合法」が34%、「ほとんどの条件で非合法」が20%、「いかなる状況でも非合法」が13%。2009年のように合法47%、非合法44%と拮抗していた時期もある。

     宗教で見ると、白人エバンジェリカル(キリスト教原理主義者)の77%、白人のプロテスタントの37%、カトリック教徒の43%が、中絶は非合法であると答えている。

    共和党支持者の63%が非合法と回答

     ちなみに党派別では、共和党支持者の63%、民主党支持者の19%が非合法と答えている。党派による乖離は極めて大きい。イデオロギーで見ると、保守派の78%、穏健派の39%、リベラル派の11%が非合法と答えている。ちなみにリベラル派の89%は、いかなる場合も中絶は合法的であると答えている。中絶に対する評価は保守派とリベラル派でまったく違っている。

    あの手この手で中絶禁止の実現をもくろむプロ・ライフ派

     プロ・ライフ派は、ロー対ウエイド判決を覆すために幾つかの戦略を立てている。一つは、州議会で中絶を制限あるいは禁止する法律を成立させ、ロー対ウエイド判決の実質的な空洞化を進めていくことである。もう一つの戦略は、中絶を制限、禁止する州法を成立させることで、最終的に最高裁の係争に持ち込み、最高裁でロー対ウエイド判決を覆すことである。そのために、保守的な判事を最高裁判事に送り込むことを画策し、共和党との連携強化も目指した。

    州政府への保険料支出の規制、中絶手術の親への通告義務、病院への圧力……中絶規制州法が227本成立

     こうして、プロ・ライフ派は中絶を禁止する法案を相次いで州議会で成立させていった。JAMAの調査(「State Legislation Related to Abortion Services, January 2017 to November 2020」2021年2月22日)によれば、2017年1月から20年11月の期間に35州で中絶を規制する法案227本が成立している。

     そのうち86本は、中絶手術をする医師や病院に規制を科し、中絶を阻止する内容である。69本は中絶を求める女性に対し、手術までの24時間から72時間の待機時間を義務化する内容。48本は州政府に中絶関係の経費や保険料の支出を規制する内容だ。24本が中絶許容期間を短縮する内容で、その期間はゼロから18週まである。ゼロというのはつまり、実質的に中絶を禁止することを意味する。

     10代の女性の中絶を阻止するため、35以上の州が中絶に際し両親の許可を得ること、医者が親に通告することを義務付けている。さらに中絶手術を行う病院に対して圧力をかけ、閉鎖に追い込んでいる。ミズーリ―州には中絶のできる病院が1カ所もない。手術を受けるには、他の州の病院まで出かけていかなければならないということだ。

     南カロライナ州では、中絶可能期間を6週間としている。ケンタッキー州では、州司法長官に中絶を行う病院を閉鎖する命令権を付与。カンサス州は、22年8月に中絶権を除外する州憲法修正案に関する投票を行うことを決めている。

    共和党はプロ・ライフの党へ

     さて、共和党はどのようにプロ・ライフ派に取り込まれていったのか。

     プロ・ライフ派は既に指摘したように、保守的なカトリック教徒とエバンジェルカルで構成されている。共和党内にはプロ・ライフ派と手を組むことによる有権者の離反を懸念する声もあったが、膨大な有権者を抱え、潤沢な資金を持つプロ・ライフ派は、党にとって願ってもない協力者でもある。

     エバンジェリカルの指導者のジェリー・ファルウエルは「モラル・マジョリティ(道徳的多数派)」を組織し、1980年の大統領選挙でレーガン候補を支援した。レーガン大統領は最初のプロ・ライフの大統領である。実現こそしなかったが、レーガン大統領はプロ・ライフ派の人物を最高裁判事、連邦裁判事に指名すると約束していた。

     続いてエバンジェリカルの伝道師パット・ロバートソンが「キリスト教連合」を結成し、これが共和党の重要な資金源になる。プロ・ライフ派の戦略は大統領を味方につけ、プロ・ライフ派の判事を増やすことで、連邦裁と最高裁を支配下に置き、最終的にロー対ウエイド判決を覆すことであった。

    自らエバンジェリカルをうたったブッシュ大統領

     2000年の大統領選挙で、共和党のブッシュ候補はエバンジェリカルの支援を受けて当選する。ブッシュ大統領は自らを“ボーン・アゲイン・クリスチャン(生まれ変わったキリスト教徒)”、すなわちエバンジェリカルであると語っていた。エバンジェリカルは膨大なネットワークと資金を提供し、ブッシュ候補を勝利に導いた。

     大統領選挙の際、共和党の政策綱領にプロ・ライフ派の「胎児の人格性と生存権を認める」という主張が盛り込まれる。レーガン大統領と同様、ブッシュ大統領はエバンジェリカルに対し、最高裁や連邦裁にプロ・ライフの判事を送り込むと約束する。だが、約束が果たされることはなかった。

    プロ・ライフ派の称賛を得たトランプ大統領

     トランプ大統領とレーガン大統領、ブッシュ大統領との決定的な違いは、トランプ大統領が最高裁に3人のプロ・ライフ派の判事を送り込むことに成功した点にある。

     トランプ大統領はこのほか、連邦控訴裁に54人、連邦地裁に174名の保守派の判事を送り込んだ。総数226人。オバマ大統領も2人の最高裁判事と320人の判事を連邦控訴裁と連邦地裁に送り込んでいるが、これに8年を要している。トランプ大統領はわずか4年という短期間にこれだけの成果を上げており、そのことこそが、プロ・ライフ派がトランプ支持を続ける最大の理由になっている。

     ロー対ウエイド判決後、最高裁で審理された州の中絶禁止法に関連する裁判は20件を超える。だが現在まで最高裁はプロ・ライフ派の狙うようなロー対ウエイド判決を覆すまでに至っていない。

     たとえば20年6月に、最高裁はルイジアナ州の中絶規制法は憲法違反であると判断した。その際の票決は5対4であった。リベラル派判事4人、保守派判事5人であったが、保守派と目されていたロバーツ主席判事がリベラル派に回ったことで、形勢が逆転した。

     その判決から3か月後に、リベラル派を代表するギンズバーグ判事が死亡し、リベラル派判事は3人になった。トランプ大統領が後任に超保守派のエイミー・バレット判事を指名し、保守派判事が6名を占める構成になったのである。

    プロ・ライフ派のロー対ウエイド判決拒否の論理性

     プロ・チョイス派の女性の中絶権擁護の論理は、「妊娠によって教育や経歴を断念しなければならず、社会的に大きな負担を強いられる」というものである。女性は自分の人生を自分で判断し、選ぶ権利を与えられるべきだと主張する。

     また、過去に見られたように、中絶を禁止すれば闇で中絶が行われ、多くの女性が命を失い、不妊などの後遺症を抱え込む懸念がある。また、胎児に異常がある場合には、出産することで個人的、社会的な負担が高まる。中絶を合法化することで、女性が安全な中絶を行えるようになる。だから、女性に産むか、産まないか選ぶ権利を与えるべきだというのが、プロ・チョイス派の主張である。

     では、プロ・ライフ派が中絶禁止を求める論拠は何であるのか。宗教的な議論は別にすれば、まず中絶は女性の健康を害すると主張している。

    毎年恒例のマーチフォーライフ(いのちの行進)で中絶反対を訴えるプロ・ライフの人々 Bloomberg
    毎年恒例のマーチフォーライフ(いのちの行進)で中絶反対を訴えるプロ・ライフの人々 Bloomberg

     さらに重要なのは、「胎児の生きる権利」を主張していることだ。彼らは憲法を修正して、生命の定義を行うべきだと主張する。すなわち、受精した時点で胎児に人格が与えられ、中絶は殺人であるという論理を展開する。どの時点で胎児の人格を認めるかは科学的な問題であるが、プロ・ライフ派はそうした議論を無視し、極論すれば、胎児は極めて速い段階から痛みを感じるという情緒的な主張も展開している。また「ハート・ビート法」、すなわち胎児の鼓動が始まったら中絶を禁止する法案も幾つかの州で提案されている。

    もしロー対ウエイド判決が破棄されたら何が起こるのか

     最高裁が約60%のアメリカ人が支持する女性の中絶権を無視して、ロー対ウエイド判決を覆す判決を下すのかどうか、まだ分からない。

     ただ、既にオハイオ州など10州は“自動トリガー法”を成立させている。すなわち、ロー対ウエイド判決が覆ったら、自動的に中絶を禁止することを定めた法律が成立しているのだ。ロー対ウエイド判決が覆ると、中絶を規制する法的な枠組みがなくなる。そうなれば、各州が独自に中絶に関する法律を定めることができるようになる。

     それと同時に、女性の社会的地位に関する新たな問題も出てくるだろう。本稿の最初に指摘したように、「中絶問題」はお互いに妥協の余地のない問題であり、様々な問題が絡み合って出てきている。

     この問題の本質を理解することは、同時にアメリカ社会を理解することに通じるのである。

    中岡 望(なかおか のぞむ)

    1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。ハーバード大学ケネディ政治大学院客員研究員、ワシントン大学(セントルイス)客員教授、東洋英和女学院大教授、同副学長などを歴任。著書は『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など

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