徹底分析!ゼレンスキー政権の強みと弱み それでもロシアより将来性がある=岡部芳彦
ウクライナ政権
ウクライナのゼレンスキー政権は未経験者や身内で構成される閣僚への不安を抱える。それでも国民から高い支持を集めるのは歴代政権との違いがあるからだ。
ゼレンスキーとプーチン 共通する発信力とその違い=岡部芳彦
ウクライナのゼレンスキー大統領とロシアのプーチン大統領が、同じ名前を持つことは、あまり知られていない。ウクライナ語のヴォロディーミルとロシア語のウラジーミルは同じ語源の言葉。両国の起源とされる国「キエフ・ルーシ(大公国)」を、キリスト教化した大公の名前に由来する。意外な共通点を持つ二人だが大衆受けする強い発信力を持つという点でも似ている。
ただ両者のアピール方法は実に正反対である。6月のNATO(北大西洋条約機構)サミットでも各国首脳が揶揄したように、プーチンは、上半身裸で馬に乗り、強い男を演出してきた。一方、コメディー俳優から大統領に転じたゼレンスキーは、芸能界出身らしく人々の心を掴むパフォーマンスが持ち味だ。たびたびSNSを更新、自撮り動画で自分の言葉で発信する。スーツ姿で登場するプーチン大統領に対して、ゼレンスキー大統領は軍人用Tシャツに無精髭で自分の健在と連帯を直接訴えかける。プーチン大統領の演説が「強さ」や「脅し」だとすれば、ゼレンスキー大統領のそれは「共感力」と例えていいだろう。もしかするとプーチン大統領は自分にはない発信力を持ち、25歳も若いゼレンスキー大統領に嫉妬しているのかもしれない。
筆者もその共感力を直接感じたことがある。2019年9月、キーウで開催されたある国際会議初日、大統領を中心に主要なゲストと集合写真を撮り終えた時、思い切って後ろから肩を叩き、「一緒に写真を」と頼むと快く応じてくれた。しかし警護員の輪の中でシャッターを切ってくれる人がいない。カメラでの自撮りにモタモタしている筆者の姿を見て、「セルフィーは初めてか」と言って私のカメラを取り上げ、撮影してくれた。その約1カ月後、私は即位の礼で来日した彼との朝食会に招かれた。彼は出迎える要人の列の最後に私を見つけ、「自撮りはできるようになったかい」と笑って話しかけてくれた。
閣僚は平均40歳以下だった
2月24日に戦争が始まり、多くの軍事専門家の予想をはるかに超えてウクライナ軍が善戦している。それを支えたのはゼレンスキー大統領や政権幹部が首都に留まったことや、その「共感力」を生かして、世界中に支持を直接訴えかけたこともあったが、なによりウクライナ国民のロシアに抵抗する強い意志が最も大きい。
そんなウクライナ国民の圧倒的支持を受け、19年5月に始まったゼレンスキー政権であったが、発足当初の政権運営は必ずしも順調ではなかった。ゼレンスキー大統領は政治経験が無かったことが、逆に腐敗勢力との癒着がないと評価されて当選したため、内閣の人事もそれを反映したものであった。
19年8月29日にゼレンスキー政権下で発足したオレクシー・ホンチャルク内閣では閣僚の平均年齢は40歳を切った。ウクライナでは最高会議(国会)の多数派が首相を指名し、承認される。その後、大統領に提案権のある外相と国防相を除いて、首相による最高会議への閣僚案提案・承認を経て組閣となる。ロシアとの戦争でハイテク技術を駆使しているミハイロ・フェドロフ副首相兼DX担当相など20歳代の閣僚も2人誕生した。
しかし、歴代最年少の首相となったホンチャルク氏は国会議員すら未経験で、明らかに経験不足だった。ホンチャルク氏が、ゼレンスキー大統領を批判した音声がSNSなどに流出し、20年3月4日に辞任に追い込まれた。その結果、十分な地方行政の経験を持つ官僚で46歳のデニス・シュミハリ氏が現在首相となっている。
女性登用が高い
初期の政権運営が芳しくなかった一方で、女性の進出が目立つのもゼレンスキー政権の特徴である。04年に欧米派の政権が誕生した民主革命である「オレンジ革命」の立役者は女性のユリヤ・ティモシェンコ元首相だったが、それは例外であり、13年までのウクライナ政界は完全な男性社会であった。
10年にヤヌコビッチ政権下で発足した第1次アザロフ内閣では女性は副首相、閣僚ともゼロだった。14年にEU(欧州連合)との連合協定見送りに対し、キーウ市のマイダン(独立)広場で民衆のデモが続き、親欧米政権が誕生した「マイダン革命」の後で成立した第1次ヤツェニュク内閣でも1人だけだった。
続くポロシェンコ政権下のフロイスマン内閣では、副首相のほか、財務大臣といった重要ポストをはじめ5閣僚に女性が就任した。現在のゼレンスキー政権下のシュミハリ内閣ではさらに増え6人と、女性閣僚数では、ウクライナ史上で最多である。
最高会議選挙では政党が一定数の候補者を女性とすれば助成金を得られるというクォーター(割り当て)制に似たルールも導入された。
また、ゼレンスキー大統領のオレーナ・ゼレンスカ夫人は、今年5月8日、電撃的にウクライナのウジホロドを訪れたジル・バイデン米国大統領夫人と会談した。夫人の発信力も政権の魅力の一つといえよう。ゼレンスキー政権はウクライナの歴史上最もジェンダー・イクオリティー(男女同権)が進んだ政権である。
利権独占のオリガルヒの影響
大統領選挙の最中に、ゼレンスキー大統領の弱みとされたのが、富を独占し政権への強い影響力を持つオリガルヒ(新興財閥)の1人、イーホル・コロモイシキー氏との関係である。ゼレンスキー大統領はコロモイシキー氏が所有するテレビ局で活躍していたため、大統領選挙戦中にオリガルヒとの関係について批判を受けた。それもあってか、政権発足後は、オリガルヒと認定された者が、政党への献金や大企業の民営化への参加を禁止する内容の法案を打ち出し、批判の拡大を押さえた。
一方、ロシアとの戦争が始まって以来、オリガルヒの目立った動きは無くなり、一部は海外に逃亡したとささやかれる。ロシア軍への抵抗の象徴となったマリウポリのアゾフスターリ製鉄所は、ウクライナの経済を支配するオリガルヒの1人とされるリナト・アフメトフ氏が所有していたが、もはや彼の手中にはない。マリウポリ付近を拠点とするオリガルヒで政治家でもあるヴァディム・ノヴィンスキー氏は、現状では選挙区が消滅したことにより最高会議(国会)議員を辞職している。
東ウクライナは軍需産業、冶金、鉄鋼業を中心とする工業地帯で、ウクライナ経済を支える屋台骨だ。この地域で富を築いたオリガルヒも、ロシアによる同地域の占領により、多くの利権を失った。
支持率20%台は“高い”数字
現在、ゼレンスキー大統領の支持は9割を超える。この状況はソ連から独立して以来ウクライナ政界が初めて経験する「挙国一致」体制である。就任当初73%だった支持率がその後、汚職などの問題を解決できなかったことで、期待がはがれおち、20%代後半にまで低迷していた。しかし、ロシアとの戦争後は90%超にまで回復した(ウクライナの世論調査会社レイティング調べ)。ただし、これには説明が必要である。
まず、73%という数字はゼレンスキー大統領と対立候補の二択しかない決選投票の得票率である。これに対し、任期途中の世論調査は「明日投票するとしたら誰に投票するか?」という設問で、選択肢には前職や有力者など何人もの名前が挙がる。複数の選択肢がある中で支持率が20%台後半というのは低くはなく、むしろ歴代政権にくらべ発足3年後の時点で最も高い数字である。
「お家芸」の政権内紛
ウクライナ国民の圧倒的な支持を受けるゼレンスキー政権に死角はないのかと言えば、それは内部の政争と国内の政局、そして人事ということになる。ウクライナ政治における内紛は「お家芸」だ。というのは、ゼレンスキー政権ができるまで、最高会議(国会)で過半数をとった単独の大統領与党はなく、日本流に言えばいつも「ねじれ」現象であった。多党制でもあり、政党ブロックを作ることで与党を形成し、大統領の方針が気に入らなかったら、ブロックを離脱するということを繰り返してきた。
今はロシアという強大な敵を前に、一致団結するゼレンスキー政権にも火種がないわけではない。例えば、現在でも「毎日何百人という兵士が戦死している」とポドリャク大統領府顧問やアラハミア与党代表が話すと、「そんなことを彼らが知っているわけがない」とダニーロフ国家安全保障国防会議書記が色をなして反論するなど、政権内部で方針や見解が必ずしも一致しているわけではない。
全く政治・行政経験のない人物が急に登用される情実人事も横行している。治安を司る保安庁長官は、ゼレンスキー大統領の幼馴染で、自分の芸能プロダクションの責任者だった。こうした状況からは、経験者不足と素人で構成される政権の脆弱さも見え隠れし、今後の解決すべき課題である。
権力に執着するプーチン大統領よりも……
それでも、ゼレンスキー大統領には最大の強みがあるのも事実だ。それは政権と権力に「しがみつかない」事である。大統領選挙の最中、自分は一期しか努めないことを公言し、当選後も再出馬を匂わせつつも、態度を明確にはしていない。一方、20年にもわたり大統領を務めるプーチン大統領は憲法を修正してまで権力にしがみつくことに余念がない。権力への執着の有無が、今後の戦争の重要局面の判断、さらに今後の両国の将来を決めるかもしれない。
プーチン政権下のロシアの経済構造は、天然資源の国際的な価格に頼る典型的なモノカルチャー経済から脱することが出来なかった。それに対し、ウクライナはオリガルヒによる経済独占排除を進め、「東ヨーロッパのシリコンバレー」を目標に掲げIT企業の育成などを進めている。どちらに将来性があるかは、近い将来いずれ明らかになるだろう。
(岡部芳彦・神戸学院大学教授、ウクライナ研究会会長)