経済制裁はロシアに打撃を与えている 年内には停戦になるだろう=駐日ウクライナ大使に聞く
ロシアとウクライナの戦争が4カ月以上続く。欧米や日本を含む西側諸国の対ロシア経済制裁は戦争にどのような影響を与えているのか。また、長いロシア支配下の時代には、ウクライナ語が禁止されるなど苦難もあった。セルギー・コルスンスキー大使に戦争の現状とロシアとの歴史などを聞いた。(聞き手=桑子かつ代/藤枝克治・編集部)
―― ウクライナの東部、ルハンシク州やドネツク州でロシア軍の厳しい戦闘が続く。西側の経済制裁にも関わらず、ロシア軍の攻撃は止まらない。経済制裁が効いていないのではないか。
コルスンスキー大使 そんなことはない。ロシアの経済・政治学の専門家セルゲイ・カラガノフ氏はロシア語メディアとのインタビューで、ロシア経済について、ロシアの航空機が修理のための部品不足で、既存の飛行機の一部を解体して修理部品を調達しなければならないと語っている。ロシアで自動車製造がほとんど止まっているという話もある。こうした状況は経済制裁の具体的な効果の表れだ。
―― ロシアはエネルギー資源国としての強みがある。欧米や日本がロシアからエネルギーを買わなくても、中国やインドが買うことで、ロシアは戦費を調達することが出来る。同時にロシアはこうした国から物資の購入も可能だ。
コルスンスキー大使 確かに制裁の弱いところでもある。中国とインドが何倍、何十倍も石油の購入量を増やしている。G7(主要先進7カ国)は対抗策としてロシア産石油の取引価格に上限を設定し、価格を半分に下げることを検討している。
こうしたエネルギーの供給問題は難しい状況で、ロシアで政権交替が起きるまで続くと思う。しかし、私は政権交替までそんなに長くはかからないとみている。
―― 今後の停戦に向けどう考えているのか。
コルスンスキー大使 年末までに停戦になると思う。ロシアが戦闘地域を拡張し厳しい状態だが、我が国が必ず勝利する。
―― その時に東部のドンバス地方(ルハンシクとドネツクの2州)がロシアの支配下でも停戦になるのか。
コルスンスキー大使 ウクライナの領土を他国が支配するような形は許さない。停戦は1991年の独立の時の国境の状態に戻すということだ。
ウクライナのシュミハリ首相は7月4日、ウクライナの復興についての国際会議でロシアの侵攻で受けた被害の復興計画に必要な資金が「既に7500億㌦(約101兆円)に上ると見積もられている」と語った。
―― 日本政府、企業に今後どのような支援を望むか。
コルスンスキー大使 まず経済制裁のきちんとした執行だ。今ウクライナで起きていることはアジアでも繰り返されることがあり得る。そうなると世界規模で大変に残酷なことになる。
ウクライナが戦争で勝利した後、日本には復興への多大な参加を期待する。日本企業がロシアに設けた製造拠点の代わりに、ウクライナに来てほしい。特に将来性のあるウクライナのハイテク業界への後押しを望む。
独立国であるウクライナの公用語はウクライナ語だ。しかし、歴史的に長い間、ロシアの支配下にあり、過去にはウクライナ語の使用禁止が繰り返された。
―― ウクライナ独立前のソ連時代は、公用語はどのようなものだったのか。
コルスンスキー大使 私が教育を受けた時はまだソ連時代だった。政府機関の言語、研究所はすべてロシア語だった。91年のウクライナ独立の時、私はすでに政府の機関で働いていた。当時、92年1月1日から政府の書類をロシア語からウクライナ語に変えるので準備をすると言われ、驚くと同時に喜びを感じたことをよく覚えている。それまではすべてロシア語で作成していた。
―― 学校では何語が話されたのか。
コルスンスキー大使 ソ連当時の学校はウクライナ語とロシア語と半分くらいだった。今はウクライナ語の学校が多い。私自身は小中学校がロシア語、大学はウクライナ語だった。当時、私の世代はロシア語とウクライナ語とバイリンガルが当たり前だった。家庭の希望や意思で、子供の教育の言語を選ぶことが出来た。
―― 過去にウクライナ語の使用が禁止されたこともあった。
コルスンスキー大使 ロシアの帝政期、18世紀のピョートル大帝からニコライ2世の時代まで、ロシアの皇帝(ツァーリ)が何度かウクライナ語の会話や読み書き、出版での使用を禁止した。
ソ連のスターリン独裁時代は、1921年からの大飢饉(ホロモドール)や、37~38年のスターリンによるウクライナ共産党の大粛正などがあり、この期間にウクライナは人口の半分を失った。大量の人口減少に対して、ウクライナから遠い、例えばウラル山脈地方から、ウクライナ語と全く関係がない多くのロシア人が移住した。これはウクライナ語の使用を広げたくない当時のソ連政府の政策だった。
プーシキンの詩も引用できる
―― 現在のウクライナはウクライナ人を中心に多民族国家だ。公用語と多民族の言語をどう使い分けているのか。
コルスンスキー大使 ウクライナでは少数民族のすべての言語が法律で守られている。私の母はロシア出身で、家族の言語はロシア語だった。今も母に対してはロシア語で話すが、それは私がロシア人になることにはならない。他の場面では私はウクライナ語だ。
今ウクライナでは何語を話すかについての問題は存在しない。私は今もプーシキン(19世紀初頭のロシアの国民的詩人・作家)の「オネーギン」(ロシア文学史上最高傑作のひとつとされる韻文小説)の半分以上、同様にシェフチェンコ(19世紀のウクライナの国民的詩人)の詩をそれぞれの言葉で引用出来る。
―― 現在も地域により異なる言語がある。
コルスンスキー大使 重要なことは、ロシア語を使う人が自動的に親ロシア派になるわけではない、ということだ。言葉は家族の習慣と伝統によるものだ。ウクライナの西部にはルーマニア語、ポーランド語、ハンガリー語、スロバキア語などを話す人が多い。クリミアではタタール語だ。どの言語を話すかは問題になっていない。
―― ロシアとの戦争で言葉への影響があるか。
コルスンスキー大使 ロシアによる攻撃が始まってからは、ロシアが行った戦争犯罪や野蛮な行為を受けて、多くのウクライナ人がロシアの文化や言語に対して、良くない感情を持つようになったと思う。
日本には1500人の避難者
―― 日本へのウクライナからの避難者の状況は。
コルスンスキー大使 現時点で1500人程度のウクライナ人が日本に避難している。今後、大幅に増えることはないと思う。増えても100人くらいだろう。自治体から健康保険、子供の教育の手配、住宅の提供などを受けている。日本政府からの支援はとてもうまく機能しており、感謝している。ウクライナが安全になったら帰国したい人が多いと思う。
セルギー・コルスンスキー
1962年ウクライナの首都キーウ生まれ。84年キーウ国立大学卒業、91年応用数学の理学博士号取得。在米国ウクライナ大使館の公使参事官、大使臨時代理(2000~05年)、在トルコ共和国ウクライナ特命全権大使(08~16年)などを経て、20年4月から駐日ウクライナ特命全権大使。