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ロシア映画でウクライナ戦争を読む 「戦勝国の神話」に酔う人々と反権力の監督たち=梶山祐治

ウクライナ侵攻後にモスクワで公開された独ソ戦を描いた映画「1941 ベルリン上空の翼」のポスター(小形進之介氏撮影)
ウクライナ侵攻後にモスクワで公開された独ソ戦を描いた映画「1941 ベルリン上空の翼」のポスター(小形進之介氏撮影)

 ロシアが国際法を犯してウクライナに侵攻したことを受け、ハリウッド映画を中心とする欧米のほとんどの映画会社は作品をロシアから引き上げた。レパートリー不足に苦しむロシア国内の映画館は、上映スケジュールの穴を埋めるためソ連時代からの旧作を並べるなどの経営努力を続けている。

 3月上旬、ロシア映画の興行収入の週間ランキングに、一人の監督の旧作2作品がベスト10内に並んだ。アレクセイ・バラバーノフ監督(1959~2013年)の殺し屋のロシア人兄弟が活躍する「ブラザー」(1997年、邦題は「ロシアン・ブラザー」)とその続編「ブラザー2」(2000年、日本未公開)である。ともに旧作であり、ソ連解体からナショナル・アイデンティティ(国民の自己意識)を立て直す途上の90年代ロシアを舞台にしている。前者はサンクトペテルブルクの闇市場を牛耳るチェチェン人マフィア、後者は米国を拠点にするウクライナ人マフィアがロシア人の若者に成敗される痛快なストーリーの映画で、封切り当時、強大なロシアの物語を求める観客に熱狂的に歓迎された。

“積年の恨み“を晴らすセリフに喝采

 「ブラザー2」には、命乞いをするウクライナ人マフィアに向かって、殺し屋の兄が「お前たち悪党にはまだセバストーポリ(ロシアに併合されたクリミア半島にある特別市)のツケがある」といって容赦なくとどめを刺す場面がある。クリミアはソ連時代の54年に最高指導者ニキータ・フルシチョフによってロシア共和国からウクライナ共和国に管轄が移され、当時は同一国内での移管として済んだ帰属問題だったが、91年のソ連解体にともない民族間の領土問題が再燃した。

 「ブラザー2」でのロシア人の積年の恨みを晴らすセリフに、公開当時の観客は文字通り上映ホールで拍手喝采したのだった。今回のリバイバル上映でも、この場面は保守的な観客層に爽快な気分をもたらしたことだろう。周知のように、ロシアは14年にウクライナ国内の混乱に乗じてクリミアを強引に併合した。

独裁政治批判のSF映画を上映

 こうした愛国主義的な熱狂から冷静に距離を置いて映画文化の継承に努める映画館もある。ウクライナ侵攻後もプロパガンダとは無縁の独自のプログラムを組んでおり、上映作品の名前からだけでも、企画者のファシズムに反対する気持ちが伝わってくる。

 上映されているのは、権力と真っ向から対峙していたアレクセイ・ゲルマン監督(1938~2013年)の「神々のたそがれ」(2013年)といった作品である。ロシアの人気SF作家であるストルガツキー兄弟の小説『神様はつらい』(1963年)を原作に、地球から遠く離れた惑星に栄える独裁政治がエスカレートする王国を舞台にしたディストピア(暗黒郷)を描いている。

「プーチン大統領に一番見て欲しい」

 脚本を共同執筆するなどゲルマン監督を常に支えてきた妻のスベトラーナ・カルマリータ氏は、撮影が進むにつれてスクリーンで起こっていることはロシアに限らない、世界の大部分を包摂することだと気づいたと回顧している。米国でトランプ政権が誕生するまだ数年前のことで、今にして思えば芸術家の慧眼(けいがん)である。生前のゲルマン監督もプーチン大統領からある賞を授与された際のパーティーで、「神々のたそがれ」を一番見てほしい観客はあなただと言ったため、周囲がお通夜のように静まり返ったというエピソードを披露していた。

アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画「精神(こころ)の声」 配給:パンドラ
アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画「精神(こころ)の声」 配給:パンドラ

 昨年12月、ロシア人映画監督がプーチン大統領と口論したというニュースがロシアで報じられた。91年にソ連から独立したタジキスタン共和国での内戦に派兵されて命を落とした若い兵士たちを追ったドキュメンタリー「精神(こころ)の声」(1995年)や権力者を描いた「権力4部作」などで知られるアレクサンドル・ソクーロフ監督(1951年~)が、ある会議の席上でプーチンと口論したという見出しだった。中央集権化を進めるプーチン大統領の政策に苦言を呈したというのが実際だったが、権力を強固にし続ける大統領に対して正面から文句を言うだけでニュースになったのだった。

英雄を描くのではなく苦悩を

 ソクーロフ監督は11年、ロシア連邦に属する北カフカスに位置するカバルダ・バルカル共和国の大学に招かれ、映画のワークショップを開催したことがあった。今、そこでソクーロフ監督から映画とヒューマニズムを学んだ若者たちが次々と長編映画を撮り出し、7月15日から日本でも注目の1作品が公開される。カンテミール・バラーゴフ監督(1991年~)による、戦後間もないレニングラード(現サンクトペテルブルグ)でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えて生きる女性たちの心と体の傷を描いた「戦争と女の顔」(2019年)である。

 ロシアでは独ソ戦勝利を祝う5月9日の「戦勝記念日」に合わせて、ナチス・ドイツという国民的な災禍に立ち向かった英雄たちを描いた映画が毎年公開される。しかし、「戦争と女の顔」は、こうした映画で提示される勇敢な男らしさのイメージとは無縁である。それゆえ、プロデューサーと監督が出席した19年のプレミア上映後のトークでは、映画で女性同士がお互いの体をからませる場面を指して、年配の観客がロシアの神聖な時期を汚していると不満を表明する一幕があった。これに対してプロデューサーは、「あなたは彼らを哀れだと思わないのか。人々と苦悩を共有、共感するために映画を作っているのだ」と強く反論した。

カンテミール・バラーゴフ監督の映画「戦争と女の顔」 配給:アットエンタテインメント
カンテミール・バラーゴフ監督の映画「戦争と女の顔」 配給:アットエンタテインメント

ナチズムの思考法

 大規模な予算で製作された戦争映画は、大量消費向けのスペクタクルとしてよく出来ている一方、観客を内省のない戦勝国神話の内側にいることに慣れさせ、ナショナリズムを支える観客を生み出してしまう。戦勝国の神話に酔いしれることに慣れた観客は、現実の負の側面を直視しようとはしない。しかし、英雄が創出された物語の背景では、名もなき多くの英雄でない者たちがいる。英雄の創出がただ分断を生み出し、国に貢献しない傷ついた者たちが害悪とされるだけならば、そうした思考法こそがナチズムだったはずではないのか。ソクーロフの教えを受けた若き映画監督バラゴーフの「戦争と女の顔」は、そうした「神話」に抵抗する映画である。(梶山祐治・筑波大学UIA)

梶山祐治氏
梶山祐治氏

(略歴)かじやま ゆうじ 1980年生まれ。東京外国語大学卒業、ロシア人文大学大学院留学などを経て、東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。東京福祉大学特任講師などを経て、2020年から筑波大学UIA(ユニヴァーシティ・インターナショナル・アドミニストレーター)。ロシア文学研究者、ロシア・中央アジア映画研究者。

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