ウクライナ戦争で変わるロシア映画 プロパガンダの歴史と良心的映画人の葛藤=長谷川章
ロシア軍のウクライナ侵攻は、甚大な精神的危機をロシアの良心的な文学者・芸術家・映画人にもたらしている。今回のウクライナ侵攻につながった2014年のロシアのクリミア併合以降、プーチン政権の強圧姿勢は急速に悪化した。当時から多くの知識人が自由な環境を求めてロシアから国外へ移った。
今年日本で公開中のロシア映画「インフル病みのペトロフ家」(21年)の監督・演出家のキリル・セレブレンニコフ氏は17年に演劇活動で公的資金を横領した容疑で逮捕、後に執行猶予付き有罪判決が下された。プーチン政権の独裁や同性愛嫌悪の政策を批判したため、プーチン大統領の報復だったと考えられている。セレブレンニコフ氏の逮捕は、政権批判的な芸術家への直接的な弾圧を意味し、衝撃が大きかった。
今回のウクライナへの侵攻以降、芸術家・映画人のロシアからの出国は止まらず、「グッバイ、レーニン!」(02年)に出演した俳優チュルパン・ハマートワ氏も出国した。セレブレンニコフ氏も、今年3月に裁判所が残りの刑期を取り消したのを受け、ドイツへ出国し、ドイツからすぐにロシア軍侵攻に対する反対声明を出した。
ロシアのアニメ映画界の抗議
ロシアのアニメーション映画の製作者たちも、弾圧の危険を冒しながら反戦の訴えをあげた。2月の侵攻開始直後、アニメーターたちは連名で戦争反対のロシア語声明文を出し、ノーベル平和賞を編集長が受賞した独立系メディア紙『ノーバヤ・ガゼータ』が掲載した。しかし、同紙がプーチン政権のメディア規制強化で閉鎖に追い込まれたため現在は閲覧不可能だ。国際アニメーション協会がホームページで英訳した抗議声明を読むことが出来るようにしている。署名者は最終的に約1000人に達したが、同協会はロシア政府からの弾圧を警戒し氏名を非公開にしている。
アニメーターたちの声明の中には「今日、私たちの子どもや兄弟たちが対立している相手は、つい最近まで、ロシアかウクライナかに分けられることなく、同じ中庭で遊び、同じアニメを見てきた人々です」という一節がある。ここには、ソ連期にともにアニメを作り続けてきた共同体精神の記憶を認めることができる。また、「アニメーション、そして芸術は全体としていつでも反軍事主義の精神を発揮し続けてきました」ともある。こうした訴えを理解するには、ロシアのアニメーターの苛烈な戦争体験を思い起こす必要がある。
ソ連時代のアニメ映画では「チェブラーシカ」シリーズ(1969~83年)が日本でも知られている。チェブラーシカは国内外で人気の動物キャラクターだ。その監督ロマン・カチャーノフ氏(21~93年)、チェブラーシカのデザインを考案した現在101歳の作画監督のレオニード・シュワルツマン氏はユダヤ系で、独ソ戦のホロコーストで肉親・親族を失った。
一方で、ソ連のアニメ・スタジオは子供向けで取るに足らないと思われる中、ソ連の体制に馴染めない人たちの一種の隠れ家ともなっていた。そこでは、戦争の惨禍や抑圧的体制から何とかして良心を守ろうと努力を重ねアニメが作られ続けたのである。こうした背景を知ると、アニメを含めた、現在のロシアの良心的映画人の絶望とウクライナに寄せる悲痛な想いは、より切実に理解されるのではないだろうか。
レーニン設立の映画学校
ロシア映画は古くから政治に翻弄されてきた。1917年のロシア革命の指導者レーニンは19年に映画産業の国有化を宣言し、世界初の公立映画学校を設立した。レーニンは映画をプロパガンダの重要なメディアと見なしていた。20年代、ソ連のアバンギャルド(前衛芸術)映画は、その方針に従い革命を賛美しながら、同時に大胆な映像表現で映画の可能性を大きく広げた。
レーニンの死後、独裁者スターリンが政権を握ると、アヴァンギャルドは大衆に理解されないと切り捨てられた。30年代には民衆の悲惨な現実を覆い隠すような娯楽作品、特にミュージカルが重視されるようになった。映画内の歓喜の世界こそソ連の現実だと政権は訴えようとしたが、大衆は過酷な現実を忘れ夢に浸れるという理由でこうした映画に熱中した。
スターリンの死後の雪どけ期を経たブレジネフ期(64~82年)は、冷戦時代の厳しい検閲の中で、映画の表現の仕方は複雑・巧妙になった。娯楽映画として、ソ連の画一的住宅政策を風刺する喜劇「運命の皮肉」(75年)が作られた。また、アンドレイ・タルコフスキー監督は「鏡」(75年)で検閲をかいくぐり、部分的ではあるがスターリン期の粛清の恐怖を描き出すことができた。
高い人気の海外映画
21世紀の現代ロシアでは状況はどうだろうか。2000年代に入り、プーチン政権下のロシアでは原油など資源高にともなうロシア経済の成長を受けて映画製作の経済的環境が改善された。ロシア映画が本国や一部旧ソ連国で公開された数は、2010年代に年間45~122本で、年々徐々に多くなっている。とはいっても17年の製作本数は世界4位の日本より下で、世界15位にとどまる(調査会社グローバルノート調べ)。
ロシアの人口が1億4400万人で、旧ソ連国の一部にも作品を輸出していることを考えると、映画の本数は人口比では大きな規模ではない。ロシア国内で公開された全作品の中で、ロシア映画が占める割合は20%台前半であり、自国映画よりもハリウッドの人気大作など海外映画がやはり好まれていたのである。
製作に際しては、ロシア政府の映画財団の支援を受けることが多い。これは製作側にとって大きな圧力となる部分もある。実際、政権の歴史観に合わせるような愛国主義的戦争映画も数多く作られてきた。一方で、そうしたジャンルも決して粗悪な作品ばかりではなく、それなりに見応えがある。
21年の国内(一部旧ソ連国含む)興業収入ベスト10位の上位は、ファンタジーや、コメディ、アニメなどのようなエンターテインメント性の高い作品が目立つ。一般観客は国内製の映画に関しても娯楽志向である。
また、配給には国内企業だけでなく、ロシア以外のディズニーやソニー系の企業も参加している。そうした事情もあり、近年は国際映画祭で注目された芸術的作品だけでなく、戦争アクション映画「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」(19年)(同年国内映画収入首位)や、ディズニーが出資したファンタジー「ベロゴリア戦記」シリーズ(17年~)のような娯楽性に富むロシア映画の作品も、日本に入ってくるようになり、日本の映画館やネット配信で公開されるようになっていった。
表現の自由を求めて国外へ
しかし、ロシア軍ウクライナ侵攻はすべてを一変させた。西側各国による制裁でハリウッドの人気映画は公開中止となり、映画館では上映すべき作品が枯渇した。国内映画や旧作の欧米映画で事態をしのごうとしているが、穴埋めにロシア人人気ブロガーの動画を上映する試みも一部大手シネコンでは行われたりもした。ロシアに強硬な制裁措置をとっていないインドの映画を輸入せよという主張まで登場した。
混迷は映画館だけではない。映画製作側の方がいっそう深刻な事態に置かれている。今年5月のカンヌ映画祭では、セレブレンニコフ監督の新作「チャイコフスキーの妻」(22年)がロシアから唯一の出品作として公開された。しかし、映画祭に参加したウクライナ側関係者の一部からは、侵略はロシア文化の所産であり、映画もそれから免れられないという論調で新作出品に疑念を投げかける発言が出た。
ソ連時代、政府の偏狭な世界観を凌駕(りょうが)する作品を作り出すことは、良心的な映画人にとって抑圧的な体制に対する真の抵抗となっていた。現在のロシアで表現の自由を求め国外に出た監督はもとより、国内で沈黙を強いられている映画人の中にも、ソ連時代を思い起こしながら、困難の中で良心的な映画作りを模索している人たちは必ずいるはずである。
(長谷川章・秋田大学教育文化学部教授)
(略歴)はせがわ あきら 1962年生まれ。86年東京外国語大学ロシヤ語学科卒業、91年東京大学院人文科学研究科(ロシア文学専攻)修士、93年東京大学大学院博士課程中退。秋田大学講師、准教授を経て、11年から教授。ロシア文学・映画研究者。著書に『再考 ロシア・フォルマリズム』(せりか書房)、『プログレッシブ ロシア語辞典』(小学館)など(いずれも共著)。