独立性が逆説的に支える財政拡張=河野龍太郎/7
歯止めをかけるための枠組みが、かえって歯止めのない状況を生んでいる。BNPパリバ証券チーフエコノミストの河野龍太郎氏は、現実に即した新たな規律を提起する。政府と中央銀行の関係を位置づけ直し、超長期の財政健全化プランを打ち出すことだ。»»これまでの「異次元緩和を問う」はこちら
『成長の臨界』。河野氏がこの7月、慶応義塾大学出版会から刊行した著書は、日本経済の長期停滞の理由を財政金融政策の不足に求めてきた現状に疑問を呈する。複眼的、重層的な論考で、かつての成長経済を前提とする発想の転換を促す。
もともと中央銀行は成長率が高い時代に作られた制度だ。自然利子率(景気に対して中立的な実質金利水準)も高いので、政治的に景気を刺激したいと金融緩和圧力がかかり、インフレが加速する。だから政治的に独立した中央銀行が金利を上げてインフレを抑えることで、経済厚生が上がるという発想だった。
しかし、日銀が1998年施行の日銀法改正で政治的な独立性を得た時には、成長の時代は終わり自然利子率は下がっていた。政策金利は95年から0.5%以下が続き、引き下げ余地はない。中央銀行が「金利を低下させて景気を刺激し、インフレを醸成する」能力を持たないのに、2%インフレ目標を掲げてしまった。
長期金利が上がれば2%目標を達成できないから、日銀が国債を購入して結果的に金利を抑え込まざるをえない。その究極形がYCC(イールドカーブ・コントロール、長短金利操作)だ。ゼロ金利が続く結果、財政コストがゼロだと誤認され、大規模財政政策が繰り返されている。
「日銀は2%インフレ目標のために国債を買っているのであって、財政ファイナンスのために買っているのではない」というのはその通りだが、2%目標が中央銀行の能力では達成できないことは、この9年間で明らかだ。
今年4月以降、2%に達しているが、今回のように供給ショックが起きなければ達成できないにもかかわらず、2%目標にこだわって国債を買い続けている。
日銀は2%インフレ目標を導入したことで、歯止めのない国債購入の道を開いた。独立した中央銀行だからこそ、逆説的に財政ファイナンスの罠(わな)に陥っている。
独立性という建前で現状を正当化するのではなく、国債管理政策に組み込まれた不都合な実態を認める。このことは既存の中央銀行論を揺るがし、財政に緊張をもたらす。
60~90年かけ財政健全化
財政規律を回復させるためにはまず、中央銀行による財政ファイナンスがゼロコストではないことを公の場で確認する必要がある。
財政ファイナンスのコストとは何か。日銀のバランスシート(資産・負債構成)は、ほぼ金利ゼロの長期国債を買い、超短期のマネタリーベース(日銀当座預金ほか)を供給しているため、金利上昇に脆弱(ぜいじゃく)だ。逆ザヤリスクが積み上がっており、仮に2%インフレが達成され、政策金利を2%に上げると10兆円の自己資本が1年で失われる。政府と日銀が協定を結び直し、政府が逆ザヤのコストを負担すると明示することが一案だ。
ただ、それだけでは日銀の損失を政府が国債発行で穴埋めし、その国債を日銀が購入してグルグル回るだけだ。マネタリーベースの本源的価値は日銀保有国債にあるが、国債の価値は日銀が買っているから維持されているとなると、価値のないもので価値を担保していることになる。将来の税収で担保されているから国債に価値があることを示す必要がある。
そのためには、同時に財政健全化プランが必要となるが、財政再建論者が必要だと示す高率の消費税は、政治的には自殺行為だ。だから、大規模財政金融政策という一発逆転に懸けたのがアベノミクスであり、いまMMT(現代貨幣理論)を唱える政治家なのだろう。
私の構想は、60~90年かけて消費税率を小刻みかつ間隔を空けて上げていく超長期の財政健全化プランを打ち出すことである。
安倍政権下で消費税率は5%から8%、10%に上がったが、潜在成長率が0.5%程度で所得分配が一定とすれば、3%の税率引き上げは6年分の所得増に匹敵する。2%でも4年分だ。これでは消費が低迷するのは当たり前だ。
これが3年に1回、税率を0.5%引き上げるのであれば、3年間で所得は1.5%増えるから、1%分は残る。不況を避け、経済成長の恩恵も享受できる。安倍政権は税率引き上げと同時に景気刺激のための財政支出を行ったが、それも不要となる。10%上げるのに60年と時間はかかるが、信頼に足る財政再建ならマーケットは待ってくれる。「急がば回れ」だ。
この低成長の時代には、社会が一か八かの賭けを選択しないためのレトリックとして、かつ現実的な手段として超長期の財政健全化プランが必要だ。
現状を看過する先に何が待つのか。考えられるシナリオは、為替に端を発する危機だ。足元でも日銀の金利抑え込みで円安が加速し、円安に伴うインフレが経済厚生を損なう側面もようやく着目された。
円預金はいつまで持つか
今回はいわば予行練習だ。今起きていることを増幅した形が想定される。具体的に何が起こるのか。我々は98年に少しだけ垣間見ている。金融危機で、邦銀の海外市場での資金調達にプレミアム(上乗せ金利)が課され、円安が進んだ。
国債の格下げが続いても、現在のように日銀が国債を購入すれば金利上昇は避けられるかもしれない。問題は円安とインフレのスパイラルが起こることだ。邦銀は海外で外貨建て貸し出しを拡大してきた。日本国債の格付けが下がれば外貨を借りる時にプレミアムを払わなければならない。金融市場で調達が困難になった邦銀が、為替市場で円を売って外貨を入手するという思惑が広がれば、円安は今回の1日1円では済まない。
もちろん、危機は明日明後日、10年、20年の内にやってくるわけではないだろう。しかし、現状がいつまで続くかは、円の位置付けによる。我々がゼロ金利でも円預金を持つのは、円が国際通貨だからだ。国際通貨でなくなれば、我々は新興国と同じようにドルやユーロを持とうとするようになり、円預金を持たなくなるため、日銀以外に日本国債を保有しようとする人はいなくなる。
円が国際通貨であり続けるかどうかは相対的な国力に規定される。そして課題は、公的債務を大きく増やす経済危機や天変地異、地政学リスクが重なった時、スムーズに財政出動して乗り切るのが難しくなることだ。信頼に足る超長期の財政健全化プランがあれば、公的債務が膨らんでもファイナンスできる。
(河野龍太郎・エコノミスト)
(構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)
■人物略歴
こうの・りゅうたろう
BNPパリバ証券チーフエコノミスト。大和投資顧問などを経て2000年より現職。
※次回の掲載予定は8月23日号