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交通系ICカードのライバル「オープンループ」登場 国内の関心度は西高東低=鈴木淳也

 公共交通機関の乗車料をクレジットカードのタッチ決済で後払いする仕組みが普及し始めている。

タッチ対応のクレジットカードやデビットカードで決済

 鉄道やバスの料金の支払い方に、新しい潮流が起きつつある。現在主流となっている「Suica(スイカ)」など交通系ICカードに対して、「オープンループ」と呼ばれる運賃払いの仕組みが世界的に普及し始めている。

 オープンループとは、非接触のタッチ決済に対応したクレジットカード、またはデビットカードを交通系ICカードの代わりに利用する。従来通りに改札の読み取り機にカードをタッチすれば、後ほど利用分の料金請求が行われる(図)。利用者は交通系ICカードを別途入手する必要がなく、カード内の残高を増やすチャージを行う手間もかからないというメリットがある。

五輪を機に普及

 オープンループが世界で初めて公共交通機関で正式導入されたのは、2014年のロンドン交通局だ。

 ロンドンでは03年から「オイスター」と呼ばれる交通系ICカードを導入し、利用拡大に努めてきた。しかし、国内のみならず国外からも訪問者が多く、そのほとんどがオイスターを利用するために、その維持・発行にかかるコストはロンドン交通局にとって大きな負担だった。

 そこで、クレジットカードのタッチ決済機能を改札に応用するオープンループの仕組みを導入したところ、従来、売上高の約14%を占めていたコストが、翌15年には9%弱にまで低下できたという。

 導入が進んだのは、12年のロンドン五輪開催に合わせてクレジットカードの非接触対応が英国で進んでいたことも大きかった。19年にはオイスターとオープンループの利用比率が逆転した。

 いまでは、イタリアやロシア、シンガポール、米国ニューヨーク市などでも、オープンループの導入や実証実験が進んでいる。

 日本では、20年7月の東京駅と茨城県ひたちなか方面を結ぶ高速バスを運行する茨城交通が初めて導入した。同年末には鉄道向けとして、京都府の北西部を走る京都丹後鉄道も導入。同路線はワンマン運転であり、一部を除いて無人駅しかない。そのため列車の運転席横の運賃箱にカード読み取り機が取り付けられ、乗車時と降車時の2回タッチすることで区間運賃の請求が行われる仕組みとなっている。

南海電鉄難波駅に据え付けられたオープンループ用改札 筆者撮影
南海電鉄難波駅に据え付けられたオープンループ用改札 筆者撮影

 21年4月には南海電鉄が国内で初めてオープンループに対応した改札機を設置。22年には福岡市地下鉄と熊本市交通局が運営する路面電車(熊本市電)の一部路線や車両で実証実験が始まった。

 国内でオープンループの導入事例が急速に拡大した背景には、ロンドンと同じく東京五輪、そして五輪公式スポンサーの1社であったクレジットカード大手Visaの存在がある。

 同社は10年以降、キャッシュレス決済、特に非接触で支払いが行えるタッチ決済を前面に出したプロモーションを展開。東京五輪を境に、クレジットカードのタッチ決済がコンビニをはじめとするチェーン店で一気に利用できるようになり、利用可能店舗も個人商店を含めて急速に拡大した。

 同時に、Visaはオープンループの仕組みで公共交通においてもクレジットカードでの直接の料金支払いを可能にしていこうと関係各所に呼びかけ、多くの実証実験プロジェクトが立ち上がることになった。

導入費用が1~2桁下がる

 オープンループは、主に二つの点で交通事業者にメリットをもたらす。一つ目は安価に導入できる点である。交通系ICカードを導入する場合、日本鉄道技術協会が特定部会として運営する日本鉄道サイバネティクス協議会に加盟し、交通系ICの情報を処理する機材(サーバーなど)を導入する必要がある。その額は最低でも数千万円、場合によっては1億円単位の投資となる。その後の維持コストも考えれば、地方の鉄道やバス事業者がこのような高い額を支払うことは採算性の面で厳しい。一方、オープンループは通常のクレジットカード用の機材にプラスして、クレジットカードのタッチ決済システムを交通機関で利用するためのプラットフォーム「ステラトランジット」などの利用料を払うだけでよいので、投資額が1~2桁下になると思われる。

 二つ目は、インバウンド(訪日観光客)や国内の他の地域からやってくる旅行者の受け入れに適しているという点だ。

 特に、空港と市街地を結ぶバス路線での恩恵が大きいといわれている。例えば、南海電鉄や福岡市地下鉄のような、国際空港と市街地を結ぶ路線を抱えている都市交通では期待できる。また、京都丹後鉄道のような、天橋立などの観光地を抱えた路線も同様だ。現在、コロナ禍で外国人訪問客が極めて少なく、効果測定が難しいという事情もあり、既存の交通系ICカード利用と絡めてその影響を探っている状況だ。

 日本でオープンループを導入する際の課題の一つは、利用できるカード会社がVisa1社のみで、マスターカードやJCBなどは利用できない点だ。国内でオープンループの展開を行っている三井住友カードによれば、Visa以外のカードは調整中で、23年以降の受け入れ開始を見込んでいるという。

 もう一つの課題は、カードの読み取り装置である。南海電鉄、福岡市地下鉄、熊本市電の場合、現状で交通系ICカードを受け入れているため、改札機や運賃箱にはSuicaなどが利用するFeliCa(フェリカ)規格の読み取り装置が取り付けられている。これに対して、オープンループはIC付きクレジットカードの国際規格である「EMVCo(イーエムブイコ)」の基準にのっとっており、交通機関での読み取り装置もその仕様に合わせなければならない。

 また、Suicaなどを受け入れる改札機では処理時間の高速化のため、通常の決済向けICカードの読み取り装置よりも読み取り可能距離を倍以上に設定するなど、独自拡張が行われているが、EMVCoではこうした例外を認めないため、あくまで普通の店舗で利用されている装置と同等の基準が求められる。そのため、現状は一つの改札や運賃箱に、二つの異なる規格の読み取り装置が並ぶ状態になってしまっている。

JR東は「興味なし」

 このように国内でも多くの交通事業者がオープンループ導入を模索している段階だが、現状で対応を進めているのは私鉄やバス路線のみだ。JRグループは7月22日に実証実験を開始したJR九州にとどまっている。

 関係者によれば、JR東日本は現状でオープンループには興味を示していないという。オープンループがSuicaの存在価値を揺るがすものであるからかもしれない。同社はSuicaを継続しつつ、スマートフォンで複数の交通機関を乗り継げるMaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス)の推進と、磁気切符を「QRコード切符」に置き換えることを模索しているという。

JR東日本はQRコード切符の実証実験を開始している 筆者撮影
JR東日本はQRコード切符の実証実験を開始している 筆者撮影

 QRコード切符は従来の磁気切符の代替となるもので、沖縄の「ゆいレール」などですでに導入されている。磁気切符と比較して改札機が簡素化でき、使用済み切符の処理負担も少ないため、コスト削減につながる。また、プリンターで印字や、スマートフォンの画面上にQRコードを表示できるため、駅の券売機を経由せずとも切符を入手できるメリットがある。

 また、JR東日本は低コストな改札機を実現する「クラウド」対応を推進し、Suicaの利用可能エリアを拡大している。QRコード切符の導入に当たっては、利用者の出入場を一元管理できるクラウド対応が必須のため、将来的な布石だと考えられる。

 インバウンドの目玉となる大阪・関西万博の開催を25年に控えた関西エリアでは、南海電鉄をはじめ、私鉄各社がオープンループとMaaSの導入に熱心になる一方で、JR西日本は23年に「モバイルICOCA」の提供開始を表明しており、こちらも私鉄連合とは異なる動きをみせている。これは、JR東日本の意向も強く働いているためだという。

 いずれにせよ、西日本地域がオープンループに積極的なのに対し、東日本は比較的、既存の交通系ICカードのシステムを維持する方向で進んでいる。25年の大阪・関西万博を境に、両者の差異は拡大していくことになるだろう。

(鈴木淳也・ITジャーナリスト)

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