国際・政治 ゴルバチョフ氏が残したもの・前編
「国を売った裏切り者」ロシアで根強いゴルバチョフ氏への批判 石郷岡建
ソ連崩壊の立役者として、東西冷戦の終結を導いたミハイル・セルゲーヴィッチ・ゴルバチョフ元ソ連共産党書記長が8月30日、死去した。91歳だった。
詳しい状況は明らかになっていないが、腎臓関連の病気で長期療養中だったとされる。血液透析で病院に運ばれた後、容態が悪化したという。遺体はモスクワ市内のノヴォデーヴィッチ修道院の墓地に運ばれ、1999年に死去したライサ夫人の隣に埋葬される予定だ。
ゴルバチョフ氏が書記長に就任したのは1985年。ソ連国家が政治的にも、経済的にも、社会的にも、行き詰まっていた時期だった。ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコの高齢指導者らが相次いで死去したあと、若き指導者として抜擢された。「ペレストロイカ(立て直し)」と呼ばれる改革政治によって、ソ連型社会主義経済の立て直しと、共産党独裁体制からの脱皮をはかり、自由・民主主義などの導入に努めた。その功績が評価され、1990年にノーベル平和賞を受賞した。
エリツィンが離党した最後のソ連共産党大会
ゴルバチョフ氏は、ソ連型社会主義体制が繁栄と安定をもたらすのは困難であると認識し、さまざまな手を打った。共産党独裁から大統領制国家への移行も行った。しかし、権力基盤だったソ連共産党組織から離れることができなかった。
1990年7月2日、第28回ソ連共産党大会が開かれた。全国の共産党代表数千人がモスクワに集まり、12日間にわたって討議を行った。参加者の一般党員の大半は、ゴルバチョフ書記長の改革路線に反対の保守派の人々だった。一方、改革派の筆頭は、後にロシア共和国大統領となるボリス・エリツィンだった。
大会10日目、ロシア共和国最高会議議長のエリツィンは会場から手を挙げ、壇上に上がった。「私は(もはや)共産党から離党します」と宣言し、そのまま会場から出ていった。参加者はあっけにとられ、ゴルバチョフ大会議長は「何を言っているのだ」という表情をし、あたかも何事もなかったように議題を進めた。当時、会場で取材していた筆者は、「大変なことが起きた。だがゴルバチョフは、そのことを理解していない」と思った。この後、ソ連共産党は壊滅し、ソ連共産党大会は2度と開催されることはなかった。
ソ連崩壊と政権からの転落
ペレストロイカの下、社会主義体制の変革は「手直し」程度では済まないことが、次第に明らかになってくる。中央集権体制に手を入れ、新しい風を吹き込むことにより、新体制が構築される、という人々の期待は見事に裏切られ、従来の共産党独裁政治体制だけが大きく揺れ、がらがらと崩れていったのが実態だった。
社会主義国家体制のみならず、ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)という名の多民族連邦国家も崩壊した。さらに、ソ連の勢力圏下にあった東欧社会主義国家群も崩れ落ち、ソ連から離れていくことになる。「偉大なソ連国家」という人々の誇りも無残に潰れていった。
だが、軍や治安機関、軍需産業を牛耳っていた保守系勢力や組織は、改革政治への反抗・反発が根強く、ついに1991年8月のクーデター未遂事件が起きる。
ゴルバチョフ夫妻はクリミア半島の保養地に監禁され、エリツィン・ロシア大統領らのクーデター反対派に救出される結果となった。ソ連国家は崩壊・消滅し、ゴルバチョフ氏はソ連大統領の座を失い、人々の支持も消えていくことになる。
人々の期待は失望に
老人政治から新しい改革政治への移行という時代の流れに、多くの人々が期待し、ゴルバチョフ氏に希望を託した。しかし、ゴルバチョフ政治は、ソ連社会主義を崩し、社会全体に無政府主義的混乱を広げただけで、何の繁栄も富ももたらさなかった。それどころか、国家そのものを崩壊させたことで、人々を更に苦しい生活へと追い込んだ。人々の反発と怒りが爆発し、ゴルバチョフ氏の人気は最低の評価へと変わっていった。
ソ連崩壊5年後の1996年、ゴルバチョフ氏は、政治復帰を目指してロシア大統領選挙に立候補する。結果は、得票率0.51%。10人の候補者のうち7番目だった。泡沫候補に近い扱いだった。ロシアの人々がもはや、ゴルバチョフ氏には何の期待もしていないし、求めてもいない、ということだった
欧州からの称賛と国内の冷たい反応
ゴルバチョフ死去のニュースが30日に流れると、欧米諸国から沢山の哀悼のメッセージが送られた。プーチン大統領のウクライナ侵攻で、「ロシアは敵国だ」「ロシアをつぶせ」などと叫び、ウクライナへの軍事支援を展開してきた米国と欧州連合諸国代表者たちも、がらりと態度を変え、ゴルバチョフ称賛の輪に入った。
これに対し、ロシア国内では、ゴルバチョフ氏を称賛する声はあまり聞かれない。多くは無関心、中には「国を売った裏切り者」とののしる人もいた。
ロシア社会の底辺に根付くゴルバチョフ批判。その背景にあるのは、国内政治の失敗ではなく、「ゴルバチョフは、欧米諸国に対して屈辱的な譲歩をし、ロシア国家の尊厳や自尊心をずたずたにした」という敗北喪失感だった。人々は、「ペラペラしゃべるだけで、ロシアの人々の気持ちを分かっていなかった人物」と忌み嫌うことにもなる。
(石郷岡建・元毎日新聞モスクワ支局長)