国際・政治 ゴルバチョフ氏が残したもの・後編
“最大の失敗”は米国と口約束だけの「NATO東方拡大阻止」
欧米では、ゴルバチョフ氏は、「西欧的論理が通用する相手」「合理的な精神を持っている人物」と高く評価された。「コンセンサス」「プルアリズム(複数主義)」といった英語的表現を使い、それを新しい概念として説明することが多かった。だがロシア国内では、「ロシアは米国ではない。ロシアにはロシア語とロシア的精神がある」という反発、反感を呼んだ。>>>前編はこちら
「欧米依存」という国内批判
ゴルバチョフ氏が「欧米依存」と批判を浴びるに至った最も大きな事件は、90年2月9日のゴルバチョフ大統領とベーカー米国務長官のモスクワ会談だったかもしれない。
NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を阻止する絶好の機会だったのに、ゴルバチョフ大統領は、米国側の主張を批判もなく聞き入れ、ロシアの利害を見逃したと、ロシアでは、批判された。
アメリカ国家安全保障アーカイブの会談記録によれば(ゴルバチョフ財団にも記録が存在する)、会談は長時間にわたって行われた。内容を簡潔にまとめると、以下のようになる。
まず、ゴルバチョフ大統領は「政治改革」及び「通貨改革」を考えていると説明した。これに対し、ベーカー長官が「『共産党が指導的役割を担う』とする憲法条項は除去したのか」と質問した。ゴルバチョフ大統領はおずおずと「共産党はその条項の見直しを検討している」と答えた。
まるで、検察官の被告尋問のようだった。
「1インチも東方拡大しない」
ベーカー長官はドイツの統合と、今後の見通しについて、次のように説明した。「われわれは、ドイツの中立を望んではいない。何故ならば、中立ドイツは自らの核兵器潜在能力を持つ決定をするかもしれないからだ。米軍がNATOの枠内でドイツ駐在を維持することができるのならば、現在のNATO軍事管轄範囲から1インチといえども東方方向へ拡大することはない」と語った。
この「1インチといえども東方向へ拡大することはない」という言葉は、その後、あちこちで繰り返されることになる。ロシア側は、「NATOは『1インチも東方拡大をしない』と約束したではないか」と、何度も反論することにもなる。
合意文書を作らなかった
ベーカー長官は、「東西ドイツと米英仏露の『2+4』の6カ国協議機関を設置し、統一ドイツがNATOを東方へと拡大しないように保証する」とも語っていた。
つまり、米軍がNATOの枠内でのドイツに駐留すれば、ドイツへの監視・管轄がスムーズに進み、NATOがこれ以上東方拡大することはないという論理展開だった。
ベーカー長官は、ナチス・ドイツ時代の恐怖が消えていないソ連に対し、「東西ドイツ統一後の管理を任せてもらえれば、NATOの東方拡大は起きない」と保証したことになる。
また、ベーカー長官は、会談の終わりにも、「東西ドイツの統合が実現したと仮定して、あなたは、ドイツが完全に独立し、自国領土内に米軍部隊を駐留させず、NATO域外に出ていくのがいいのか、それとも、ドイツがNATO枠内にとどまり、同時に、米軍がドイツに駐留し、NATOの管轄権限及び軍部隊が東方へと拡大しないように保証する方がいいのか。どちらなのか」と質問した。東西ドイツ統一の在り方に対するソ連側の立場を、米国は執拗に問い詰めていたという印象である。
互いの要求を飲んだかのように見えたが…
ベーカー長官の「質問」に対し、ゴルバチョフ大統領は「その点については熟慮したい。しかしながら、NATO領域の東方拡大は受け入れがたいことは、明らかだ」と答えた。ベーカー長官は「あなたの意見に全く同意する」と述べ、話は終わっている。
ある種の狡猾かつ複雑なやり取りによって、ベーカー長官は、東西ドイツの統合と米軍によるドイツ軍管理をゴルバチョフ大統領に認めさせた。代わりに、ドイツの動きによるNATO拡大を許さないとの方針を示したのだった。
恐らく、当時の米国およびNATOは、ドイツ統一問題の行方に、より大きな関心と利害を持ち、ドイツを含むNATO領域の東方拡大については、できるだけソ連側の要求を認める、という立場だったと思われる。しかしながら口頭の合意だけで、合意文書を作らなかった。
後に、米国は合意を否定
東西ドイツの統合に関与し、管轄する力は、もうソ連にはなかった。統一ドイツ問題は米国に任せ、NATOが東方拡大をしないと約束するのならば、それで十分――。当時のゴルバチョフ大統領は、そんな気持ちだったのだろう。
欧米諸国は、1980年代、明らかに、ソ連の意向に注意を払っていた。ある種の安全保障合意を取り交わす雰囲気もあった。だが対露関係が悪化していく中で、ロシアの立場を理解するとの関心は失われていく。
やがて、ゴルバチョフ・ベーカー会談の内容もすっかり忘れられた形になり、「『NATO東方非拡大』の合意などしていない」と、完全否定することになる。バイデン政権の報道官たちは、「そもそも、そんな話し合いはしていない」と反論した。会談内容記録を持つロシア側にすれば、「それこそ、米国のフェイク(虚偽)ではないか」となる。
ウクライナ紛争は避けられたかもしれない
ロシア社会から見ると、「話し会いの中身をきちんと文書化していれば、こんなことにはならなかったはずだ」というところだろう。口だけの約束では、法律的にはきちんとした合意にはならない。ゴルバチョフ大統領の評価は、「米国の勢いに負け、いいように引き回され、譲歩し、結果的に、国家利益を米国に売り渡した」となっていく。
プーチン大統領に言わせれば、ゴルバチョフ大統領がきちんと西側との話し合いをまとめていれば、ウクライナへの「特別軍事作戦」も、必要ではなかったかもしれない、となる。
こうした指摘に、ゴルバチョフ大統領はあまり反論していない。当時は、ソ連型社会主義経済の発展が止まり、欧米諸国に助けを求めるしか道はなかったのだという弁解だったかもしれない。
ゴルバチョフ氏は、プーチン大統領の「ウクライナ侵攻作戦」に対しても、はっきりとした発言をしていない。ただ、「モスクワのこだま」放送局のヴェネディクトフ編集長によれば、基本的には「戦争に反対だった」とされ、「かなり落ち込んでいた」という。
ロシアは欧州ではないのか?
ゴルバチョフ氏は80年代、ペレストロイカ(手直し)という政治改革を始めたが、その一方で「欧州共同の家」という外交方針も発表していた。つまり、欧州は一緒になって、手を携えて生活していこう、と呼びかけたのである。
だが現時点で、「欧州共同の家」は実現していない。少なくとも、ロシアは「欧州の家」に入ることはできず、追い出されている。近い将来、入れる可能性もない。どうして、そういうことになってしまったのか。一体、誰が悪いのか。「ロシアは欧州ではないのか?」という歴史的な疑問が立ち上がることにもなる。
欧米社会に評判のいいゴルバチョフ氏は、欧米とロシアの価値観の違いに挟まれ、思うように動けず、それを乗り越えることもできなかった。ソ連崩壊ですべてが終わり、「欧州の家」を構築する力は尽きていたのかもしれない。
(石郷岡建・元毎日新聞モスクワ支局長)