経済・企業異次元緩和を問う

日銀が検討すべきは保有国債を金融機関に貸し出して資金を吸収するリバース・レポ=竹田陽介/9

 日本銀行が“異次元”金融緩和に踏み出して9年あまり。実験的政策の帰結から何をくみ取るべきかを識者に問う。竹田陽介・上智大教授は、大量の保有国債を活用し、日銀が貨幣管理の主導権を取り戻すべきだと提言する。»»これまでの「異次元緩和を問う」はこちら

 竹田教授は、2013年に著した『非伝統的金融政策の経済分析』(矢嶋康次・ニッセイ基礎研究所チーフエコノミストとの共著)でエコノミスト賞を受賞した。

竹田 非伝統的金融政策の経路は二つしかない。

 一つは期待に働きかけることだ。異次元緩和政策は2013~14年にかけては若干の効果が見られたかもしれないが、政策の屋上屋を架す段階では、ほとんど効果がなかった。

 もう一つ、人々のリスクテークを促す効果が伴わなければならない。日銀がリスクのある資産を購入することによって、企業が新事業に投資し、金融機関はそれをファイナンスするよう促す効果があったかといえば、企業の内部留保や家計の予備的貯蓄は反対の方向に動いてきた。

言葉の力と限界

 異次元緩和を推進してきた黒田東彦総裁に対し、金融市場の評価は高い。理由の一つとして挙げられるのがコミュニケーションだ。

 白川方明前総裁と黒田総裁が金融政策決定会合後の記者会見で使った言葉を自然言語処理で比較する研究を慶田昌之・立正大准教授と行った。白川前総裁は「金融緩和を行わなければならないほど経済が悪い」と受け止められるような悲観的なトーンの言葉が多い。

 一方、黒田総裁にはマイナスの情報効果がなく、白川時代とは対照的な金融市場の好反応につながったのだろう。ただ、黒田総裁の言葉をもってしても、企業のネガティブな心理を払拭(ふっしょく)することまではできなかったのではないか。

 異次元緩和をトータルで捉えると、効果はほぼなかったといえる。また副作用として、金融政策が国債管理に転じてきたことは問題だ。財政ありきの金融政策に変質してしまった。日銀は、貨幣面のリーダーシップを取り戻す必要がある。

 あたかもおカネに色が着いているかのように、ターゲットをしぼった財政支出を中央銀行が貨幣供給で賄うべきだとするMMT(現代貨幣理論)は受け入れられない。政府の予算制約には、インフレあるいは課税のコストが生じるというのがスタンダードな経済学の考え方だ。

 異次元緩和により日銀のバランスシート(資産・負債構成)は大きく膨らんだ。出口戦略は、単に元に戻る道筋としては描けない。

 日銀は購入した国債を満期まで保有すると表明している。確かに、売却が国債市場にもたらす影響は大きい。満期まで保有するとしても、償還の際に買い替えなければ残高は減っていくが、日銀の保有国債の平均残存期間は7年程度のため、ある程度の期間、大量の国債保有を余儀なくされる。

 この状況を抜本的に変えることは来春、新総裁が誕生したとしても考えにくいだろう。そうである以上、大量の保有国債を積極的に使った金融政策を検討すべきだ。

 具体的には、日銀が保有国債を金融機関に貸し出して資金を吸収するリバース・レポ・オペを行い、その際の金利を短期金利の上限とすることだ。超過準備への付利が下限となる。非伝統的金融政策においてマイナスの付利も可能となった。上限と下限の間に日銀の誘導目標である短期金利(無担保コール翌日物)を挟み込む。

 リバース・レポは国債の借り手にとって、自身の信用で資金調達できない時、担保の国債があれば借りられるメリットがある。一定期間が過ぎれば返すため、日銀の国債保有額は変わらない。

 米国の研究によると、FRB(米連邦準備制度理事会)は現在、リバース・レポ金利と超過準備への付利の間で誘導目標である短期金利(FF金利)を推移させることができており、その手法で利上げを行ってきた。日銀にできないはずはない。

 現時点の日銀の政策であるイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)は、長期金利を抑え込むため無制限に国債を購入することが前提となっている。利上げの局面では代替手段として、リバース・レポ金利がフォワードガイダンス(先行きについての指針)を通じて長期金利の高騰を防ぐ効果を持つと考えられる。

 原材料価格の上昇によりインフレが加速する恐れもあるなか、移行手順を練っておく必要がある。

企業が価格転嫁しない理由

 インフレの先行きを捉えるうえで、着目しているのは企業の価格転嫁の動向だ。

 日本では価格転嫁ができない状況が長く続いてきた。日銀短観における仕入れ価格と販売価格の推移をみると、バブル崩壊後の1990年代初頭から一貫して、仕入れ価格が上昇している時に、販売価格の上昇が起こりにくい。その幅は広がってきた(図)。

 なぜ価格転嫁が進まないのか。一つの仮説が屈折需要曲線だ。企業が「現行の価格から自社だけ値上げすると大幅に需要を失うが、値下げしても他社が追随するので需要はそれほど増えない」と想定していることを示す。1930年代に米国の経済学者P・スウィージーが原型を示し、根岸隆・東京大教授が理論化した。企業はコストが増した時に価格転嫁しても総収入は増えないため、価格を上げないことが最適解となる。

 価格は限界収入曲線(販売量がわずかに変化した時の総収入の変化)と限界費用曲線(販売量がわずかに変化した時の総費用の変化)の交点で決まるが、屈折需要曲線に基づく限界収入曲線には不連続の部分が生じるため、コスト増で限界費用曲線が上方にシフトしても、交点が不連続の部分にあれば価格は一定となる。

 

 黒田総裁は6月、「家計の値上げ許容度も高まってきている」との発言が物議を醸し、撤回に追い込まれた。「生活実感とずれている」などと批判されたが、竹田教授は別の角度から疑問を呈する。

竹田 屈折需要曲線に基づけば、インフレを左右するのは消費者のスタンスそのものより、「企業が消費者のスタンスをどう想定しているか」の方だ。「値段が上がっても消費者は大きく購入量を減らさない」と企業が想定を修正すれば、価格転嫁を進めるはずだ。

 それに、コスト増が限界収入曲線の不連続の区間を上回るほど進めば、価格を上げざるをえない。ウクライナ危機後、企業の価格転嫁によるホームメードインフレの指標であるGDPデフレーター(名目国内総生産を実質化する物価指標)に表れる段階に入るとも考えられる。

 これらの仮説を証明するには、企業が消費者のスタンスをどう想定しているのかを明らかにしなければならない。今後の課題だ。

(竹田陽介・経済学者)

(構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)


 ■人物略歴

たけだ・ようすけ

 上智大学経済学部教授。1964年生まれ、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。エール大学客員研究員などを経て2005年より現職。共著に『非伝統的金融政策の経済分析』(日本経済新聞出版社)など。


 ※次回の掲載予定は10月11日号

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