リスクを取らず安定を求めすぎた25年間を克服するには 河野龍太郎
1997年の金融危機から25年。当時の指導層は解決を先送りし続けることで、日本経済の強さを支えていた日本型雇用システムまで崩壊させてしまった。時は巡り、足元の円安進行は98年の長信銀破綻をきっかけに発生した「日本売り」も想起させる。世界は日本の教訓から学ぶことができるのか。
日本に長期停滞をもたらした三つのBad
日本経済の転換点は1997年だった。97年11月に、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が相次いで経営破綻。日本企業の過剰設備、過剰債務、過剰雇用の問題が露呈した。その後も、不良債権問題は解決されず、マクロ経済ショックが訪れると、金融システムが動揺し、株価が下落。企業や家計は先行きが不透明になり、総需要を抑えるという悪循環が2003年まで続いた。
だが、03年のりそな銀行への公的資本注入を最後に、「三つの過剰」は解決に向かった。それなのに、なぜ日本経済は復活できなかったのか。
一つ目はリスクを取らず、もうかってもため込み、支出を増やさない日本企業の「bad management(悪い企業経営)」(図1)がある。
00年代のグローバルな景気回復局面では、日銀がデフレ解消のために、ゼロ金利政策を続けたが、緩和マネーは海外に向かった。米国では住宅(サブプライムローン)バブル、欧州ではユーロへの通貨統合により、財政状況が悪い南欧諸国の金利がドイツ並みに低下し、通貨統合バブルが訪れた。中国経済の成長でエネルギー消費も増え、ロシアなど産油国も好景気を謳歌(おうか)した。海外で日本の高級車やデジタル家電が飛ぶように売れ、資本財の輸出も好調だった。日本企業はグローバル好景気と円安が永続すると考え、加工組立業種を中心にリスクテークした。シャープが日本国内に巨大なパネル工場を建設したのはこのころだ。
再び「誤った成功体験」
しかし、08年にリーマン・ショック、11年に東日本大震災と「bad luck(不運)」が続いた。リスクを取った企業は過剰債務を抱え、人員削減を強いられ、経営者は退任した。一方で、リスクを取らなかった経営者が生き残った。
今回のコロナ危機では、複数の大企業経営者から「もうかってもため込むだけ」という筆者の批判に耳を傾けず、支出を抑えたから、倒産も正規雇用のリストラも避けられ、「言うことを聞かなくて本当に良かった」と真顔で言われた。再び誤った成功体験になった。
10年代半ばから、経済のデジタル化、無形資産化が加速し、経済協力開発機構(OECD)主要国ではIT関連投資が増えた(図2)。しかし、日本の経営者は目先の利益確保を優先した。人的投資も抑え込み、生産性は上がらず、賃金も増えない。これが、bad managementの本質だ。過剰問題は解消し、筋肉質になったのにコストカットを追求し投資が増えず、マクロ経済が拡大しない「合成の誤謬(ごびゅう)」が続いている。
三つ目が「bad policy(悪い政策)」だ。高齢化到来で、00年代から社会保障費が増大、小泉純一郎政権時に消費増税を行わないと表明し、現役世代の正社員の社会保険料の引き上げで対応した。正規雇用…
残り1379文字(全文2679文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める