新規会員は2カ月無料!「年末とくとくキャンペーン」実施中です!

週刊エコノミスト Online 創刊100年特集~Archives

医師 中村哲① 寄稿「アジアの同胞としての目の高さを失わず、現地と苦楽を分かち合う」(1990年10月23日)

週刊エコノミストは、各界の第一人者にロングインタビューを試みてきました。2004年から「ワイドインタビュー問答有用」、2021年10月からは「情熱人」にバトンタッチして、息長く続けています。過去の記事を読み返してみると、今なお現役で活躍する人も、そして、今は亡き懐かしい人たちも。当時のインタビュー記事から、その名言を振り返ります。


アフガニスタンやパキスタンで農業や医療支援に携わり、アフガン東部ジャララバードで2019年12月に殺害された中村哲医師(当時73歳)。週刊エコノミストにも寄稿やインタビューでたびたび登場し、現地の情報を伝えている。過去の記事を複数回に分けて再掲する。まずは、1990年10月の寄稿から。※記事中の事実関係、肩書、年齢等は全て当時のまま

アフガン難民が欧米NGOを襲った理由/JAMSは草の根の支援に徹する

週刊エコノミスト1990年10月23日号

 東欧の解放、ドイツ統一、湾岸危機とめまぐるしい世界の秩序再編成のなかで、320万人に及ぶパキスタンのアフガン難民の存在は忘れられた。その難民が、欧米NGOを襲った。何が起きつつあるのか。(中村哲)

外国人の干渉への苛立ち

 アフガニスタンは、あらゆる意味で日本から遠い国である。1978年のソ連軍のアフガニスタン侵攻と、それに続く西側各国のモスクワ・オリンピックのボイコット、600万人に上る難民流出は、当時、世界の注目を集めた。しかし、ソ連=カブール政府軍とムジャヘディン・ゲリラとの死闘と100万人以上の犠牲という歴史的事実をよそに、アフガン問題は次第に人々の記憶から薄らいでいった。

 再び人々にアフガニスタンの記憶をよみがえらせたのは、1988年4月、米ソ主導のジュネーブ和平協定の妥結とソ連軍撤退開始である。その後、パキスタン大統領ジアウル・ハクの爆殺事件、軍事政権の倒壊、ベナジル・ブットによる人民党政府の誕生と、目まぐるしく変わる情勢に世界は注目した。

 しかし、これはやがて噴出する世界秩序再編成の前奏曲にすぎなかった。ベルリンの壁の撤去やルーマニアの政変など、劇的な東欧の動きやアラブ世界の動乱に世界の耳目は引きつけられ、再びアフガン問題は片隅に追いやられたかのように見える。

 だが、デタントの動きに沸き返るヨーロッパ諸国への関心をよそに、多くのアジアの発展途上国では何が起こりつつあったのだろうか。

 1990年5月、酷暑の到来と共に、パキスタンのペシャワール周辺のアフガン難民キャンプでは、一つの転換期を告げる事件が続いていた。文字通り暑い夏の始まりであった。11年余に及ぶ長い難民生活に疲れはてた人々の間に、外国人の干渉に対する苛立ちが強まりつつあった。同時に、デタントの煽りを食らったパキスタン自身も「前線国家」としての意味を失い、次第に混迷の度を深めつつあった。

 かつて1986年ごろまで、アフガニスタンの内乱は、強大な侵略者に果敢に立ち向かう素朴な民衆のレジスタンスの顔があった。そこには、理屈を超えてわれわれに感銘を与える何物かがあった。

 しかし、米国の、レジスタンス側への本格的な介入は、アフガン紛争自体を、まるで超大国どうしの代理戦争のような様相に転じさせ、続く米ソ和解による1989年2月のソ連軍の撤退後は、抵抗勢力内部の政治権力闘争が激化して、ムジャヘディン・ゲリラ組織の戦闘員も傭兵化していた。アフガニスタンは、今や、内部にとどまる者も難民となった者も、ずたずたに引き裂かれている。

 パキスタンに釘づけにされた320万人の難民たちも、「宿敵オルース(ロシア人)」が引き揚げた現在、党派の戦いに動員される意味を疑い始めていた。外国人の干渉に苛立ちを覚える心情が難民たちの間に広がり、その鬱憤の矛先は、外国のNGO(民間援助団体)にも向けられた。欧米系の団体に対する度重なる暴動・略奪事件の発生である。

 まず槍玉にあげられたのは、外国人による「戦争未亡人の世話」をするプロジェクトであった。

 4月26日、ペシャワール市内のナセルバーグ・キャンプで暴動が発生、ムッラー(イスラム僧)に扇動されたアフガン住民約1万人が、キリスト教系NGOであるSNI(Shelter Now International)の施設を襲撃、略奪の限りを尽くした。

 これによって同団体のプロジェクトは壊滅、活動の閉鎖を宣言すると共に、カナダや米国大使館を通じて「パキスタン連邦政府の管理不行き届き」に抗議した。パキスタン連邦政府難民コミッショナーは、表向きは遺憾の意を表明したが、事実上無視した。

 同様の事件は、周辺の難民キャンプに次々と飛び火した。1990年5月には、IRC(International Rescue Comittee)などの主要欧米団体が襲われ、SNIの指導者の暗殺未遂事件が発生した。アフガニスタン本国内でも、フランスのMSF(「国境なき医師団」)が追放され、一部は殺害された。こうして100以上に上る外国救援団体は、撤退あるいは規模縮小を余儀なくされ、ソ連軍撤退後の「難民救済」・「復興援助」ラッシュの狂宴は終息に向かっている。

“犬”扱いされた難民

 欧米NGO側では「犬でさえも何年も世話になった恩を忘れぬ」との言葉を引用して反応し、彼らの援助哲学の低劣さを暴露した。そこには、難民を犬以下呼ばわりし、現地事情や人々の習慣や心情を理解できぬまま独り歩きするプロジェクトのグロテスクな肥大、騒々しい自己宣伝、西欧的な価値判断の絶対化とが見られるのみであった。

 米英のジャーナリズムの論調の多くも「恩知らず」とするコメントに変わりはなく、背後にイスラム・ファンダメンタリズム(原理主義)の影響を示唆するものであった。

 これは、あまりの認識不足と言わねばならない。それに、イスラム原理主義勢力をソ連への対抗勢力として軍事援助してきたのは、ほかならぬ米国であった。過激なイスラム原理主義が反米的要素を孕んでいることを知りつつ、あえて彼らは武器援助を行ったはずである。1984年8月の米国議会決議による膨大な武器供与は、アフガニスタンの荒廃とパキスタンの治安の悪化に十分貢献した。彼らにとって現地住民は、世界戦略遂行のための将棋の駒にすぎなかったのである。

 英国統治時代を彷彿させる、この傍若無人のマキャベリズムこそが、現在の中東世界の混乱の一大要因を成していると言える。

 もちろん、駆けつけたNGOの大部分に悪意はなかったであろう。しかし、彼らは本当に現地住民の立場を理解していたであろうか。イスラム社会において女性の問題は極めてデリケートである。狙い撃ちにされた欧米NGOのプロジェクト「身寄りのない寡婦の世話」や「女性の教育と地位向上」は、確かに自国では受けたであろうが、アフガニスタンの伝統社会をみくびっていた。公衆の面前で男女が抱き合っても平気な西欧人たちが「未亡人の世話」をするとあっては、イスラムの風習をかたくなに守り続けるアフガン人たちにどう映るであろう。

 いかに不合理に見えても、そこにはそこの文化的アイデンティティーがある。ほかならぬソ連=カブール政権が女性解放を説き、急進的な近代化を強要して猛反発をくらい、内乱のきっかけを成した事実を彼らは忘れたのだろうか。性急に自分たちの価値尺度を押しつける点では西側もソ連と同じ対応をしたわけだ。そのあげくが、各国政府を通じた国際的な恫喝であった。パキスタン政府関係者がおそらく内心「内政干渉」だと黙殺したのは、当然とも言えよう。

 ペシャワールでわれわれが目にしたのは、援助という名の干渉、低開発国に対する配慮のなさと優越感であった。「世界秩序の再編」とは、底辺のアジア諸国にとっては干渉と圧迫であり、混乱の別の形態にすぎない。200万人とも言われる犠牲と国土の荒廃、収拾のつかぬ混乱に誰がどう責任をとるのか。

 米国がもてはやす、パキスタンの「民主政権の誕生」も、1990年8月、わずか2年を待たずに崩壊し、アフガニスタンの混乱は形を変えてパキスタンに輸入されているようにさえ見える。各国による難民援助、アフガニスタン復興支援の騒ぎは終わり、外国人は徐々に引き揚げ始める。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、25%の予算大幅削減を公表した。

 間接的に、これら欧米NGOと国連の大口スポンサーにさせられてきた日本政府は、すでに難民援助の見直しを始め、WFP(世界食糧計画)やUNILOGを中心に、アフガニスタン内部の支援に力を入れようとしているが、これは当然の結末と言えよう。

 我々はこの動きを歓迎する。最近、国境沿いの地帯では難民帰還の動きが静かに始まっているが、これは復興援助の結実ではなく、むしろ援助停止による平和の結実だからである。例えば、派手に喧伝された国連による地雷撤去のプロジェクト、「オペレーション・サラーム」にしても、当の現地住民の方が処理方法をはるかによく熟知していた。復興援助は、外国人のお祭り騒ぎであったといっても誇張ではない。

地についた草の根からのアジア理解 

 実は、アフガニスタンの復興はこれからなのである。我々JAMS(Japan-Afghan Medical Service)は、1986年以来、小規模ながら現地にとどまって活動を続けているが、現場を無視した欧米各国の援助プロジェクトを苦々しく見てきた。

 アフガニスタン難民は、これら外国人に活躍場所を提供するために存在しているのではない。彼らが求めているのは、干渉なき平和であり、彼らの立場に立った村おこしと国土再建である。

 われわれJAMSチームは総勢40人という小さな所帯ではあるが、日本の民間の良心を結集し、荒廃した国土を医療側から担おうとしている。スタッフは数人の日本人を除いてすべてアフガン人である。それは、われわれが外国人による干渉や押し付けを徹底的に排除して、アフガン人によるアフガン人のための活動を重視するからである。

 JAMSの活動目的は、長期的展望で現地の人材育成に力を注ぎ、無医地区でのモデル診療態勢をアフガニスタン北東部山岳地帯につくりあげることである。戦後の村おこしに向けた医療側からの協力である。

 だが、それには長い長い年月と試行錯誤、根気のいる相互の異文化理解を要する。壊滅したアフガニスタンの農村は数千に及び、国土の半分がベトナム戦争に匹敵する爆弾によって焦土と化したと言われる。われわれのチームが国境地帯で見た惨状は、ほとんど正視に堪えぬものであった。この復興には10年、20年、あるいはそれ以上の時間を要するであろう。

 「業績」に縛られぬわれわれは慌てない。徹底して、アジアの同胞としての目の高さを失わず、いかに非能率に見えても自力更生援助を鉄則とし、傍らから見守る方針を貫いている。そして、これを日本から支える主力が、病院組織からサラリーマン・主婦・学生層に至るまで広がる、個々の動機に基づく日本の良心の底力である。

 われわれは、長期にわたって現地と苦楽を分かち合いながら、黙々と活動を継続するであろう。そうしてこそ、地についた草の根からのアジア理解と、利害を超えた真の友好が芽生えるものと確信するからである。

 欧米各国NGOが浮足立つ中で、JAMSは着実にその活動を拡大しつつある。日本側からの補給態勢を強化しつつ、1990年8月には、アフガニスタン北東部をにらむ地域に支部を置き、流動する情勢の中で待機している。

 「アジアの辺境・ペシャワール」から見ると、デタントや自由化を屈折した気持ちで眺めざるを得ない。たまたまドイツから帰任したばかりの同僚のシスターは、そっけなく、しかし正確に東欧とドイツ情勢のコメントをした。

 「現在のオイフォリー(多幸状態)は、やがて別の苦悩に置き換わる。何度われわれは歴史に欺かれてきたことだろう。第一、だからアフガニスタンやパキスタンはどうだっていうの。同じことだわ‥‥」

 ゴルバチョフ自ら公言する「社会主義の死」とは、宿敵を失ったカネ社会の国際的膨張である。ペレストロイカを含めて、彼らのいう世界新秩序とはヨーロッパ新秩序である。多くのアジア諸国にとって国際化とは西欧的近代化であり、伝統社会に破壊的に作用する。それは、カネ社会に特有な、野放図な商品化と欲望の解放、西欧的な非個性化を意味する。

 「社会主義の神話の崩壊」を笑うことはたやすい。さらに、欠陥だらけのアジア民族主義の変質を批判するにも、材料にこと欠かない。だがしかし、いかに野蛮で無駄なあがきに見えても、私は、アジアの伝統社会の抵抗と、少なくとも理想として掲げられてきた「底辺からの平等」への希求を笑い去ることができない。かつて欧米の植民地支配下に呻吟したアジア諸民族の希望のシンボルは色褪せたといえ、その根底にある、もの言わぬ民衆の情念を我々は理解せねばならないであろう。

 アジアにはアジアの、それぞれに異なる独自性と価値観がある。最近の日本では、「進歩的な識者」さえ「狭い地域主義の弊害」を説き、あたかも国際化が文化的な異質性を放棄したところに成り立つような錯覚を与える向きもある。コメ市場開放の論議にしても、上から下まで、詰まるところは経済効率論が主調をなしている。われわれのアジアへの愛着も、コメへの執着も、時代錯誤の郷愁や旧習墨守の地域主義として葬り去られかねない時代となった。

日本の危機とアジアの危機

 今、ペシャワールから世界と日本を見る時、われわれもまた、一つの時代の転回点に突入していると思われる。戦争が、一つの極端な外交手段とすれば、経済的超大国日本の援助もまた、強大な軍事力にも匹敵する影響力を強めつつある。国際援助の質が問われる今、ヨーロッパ新秩序の動きに惑わされることなく、「アジア新秩序」を、そしてそれを通して真の「地球新秩序」を求め、アジアの同胞への生きた理解と相互扶助へ独自の模索が始まることを心から祈る。

 すべてが、目先の経済効率やカネで済むとは限らない。われわれが売り渡してはならぬものもある。叫ばれて久しい「東西問題から南北問題へ」というスローガンは、今こそ陳腐な死語ではなく、日本を蝕みつつある拝金主義と交差する。日本の危機とアジアの危機は一体であるように思えてならない。


なかむら てつ 

1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒業。JAMS(日本・アフガン医療サービス)設立。パキスタンのペシャワールで、難民への長期医療活動を継続中。著書に『ペシャワールからの報告』等。

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

12月3日号

経済学の現在地16 米国分断解消のカギとなる共感 主流派経済学の課題に重なる■安藤大介18 インタビュー 野中 郁次郎 一橋大学名誉教授 「全身全霊で相手に共感し可能となる暗黙知の共有」20 共同体メカニズム 危機の時代にこそ増す必要性 信頼・利他・互恵・徳で活性化 ■大垣 昌夫23 Q&A [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事