ウクライナ戦争でロシアが直面する「若年層の喪失」 板谷敏彦
戦争がどう終結しようと若年労働力の喪失という大きな代償にロシアは直面するだろう。>>特集「歴史に学ぶ 戦争・インフレ・資本主義」はこちら
戦死9万人に国外脱出20万人とも
テルアビブ大学のアザー・ガット教授の著書『文明と戦争』によれば、国家が常時維持できる常備兵力には歴史上の鉄の法則があり、それは人口の約1%なのだそうだ。
原則全員に兵役の義務があった紀元前2000年のエジプトでも、全推定人口300万人に対して最大でも2万人の兵を持ったに過ぎず、大兵力を誇ったブルボン朝最盛期の太陽王ルイ14世(在位1643〜1715年)の時代であってもピーク時2%までが限界で、これ以上は財政的に持続不可能な水準だった。
エジプトにせよブルボン朝にせよ、これは古い昔の話で兵士への報酬は糧食だろうし、産業といえばほとんどが農業で、この指標は農家の働き手をどのくらい徴兵できるか、つまり食料生産人口と消費のみの兵士とのトレードオフのバランス指標だともいえよう。強権国家では兵士を増やすことは難しくはないが持続は困難だという教訓である。
ハイテク兵器など重装備の近代的な軍では必要とされる兵士の数も変わってこよう。我が国の令和4(2022)年度の防衛白書では、自衛官合計約25万人(陸上兵力14万人)、防衛費はGDPの約1%で5兆4000億円、その中で給与・糧食の人件費の割合は約42%となっている。
ロシアの人口は1億4556万人(22年1月時点、ロシア連邦国家統計局)。人口の1%なら145万人だが、国際戦略研究所(IISS)の調査書、ミリタリーバランス2022によると、ウクライナ戦争開戦前のロシア軍の兵力は90万人、その内陸上兵力は空挺(くうてい)部隊を入れても33万人しかいない。
30万人の予備役動員
ロシア軍は1997年以降「コンパクト化」「近代化」「プロフェッショナル化」の三つを掲げて軍の構造を改革してきた。
97年当時の兵力は170万人、16年の目標が100万人だったので「コンパクト化」は達成されたといえるだろう。「近代化」はロシア軍の自己評価になるが新型装備比率で目標の70%は21年にほぼ達成したとされる。
「プロフェッショナル化」は毎年1年期限で徴兵される兵士の中から、契約勤務制度すなわちプロとして契約することで年限を延ばして近代兵器に対する習熟度を上げていこうというもので、ウクライナ侵攻開始時点で徴集兵の約2倍が契約兵士だった。ただしこれでも契約兵士が不足と指摘されていたように近代戦は頭数がそろえばそれでよいというわけではない。
ロシアのショイグ国防相は9月、ロシア軍の死者は5937人と発表したが、西側で信じる者は誰もいない。さまざまな推定数字があるが、10月12日のロシアの独立系メディア「バージニエ・イストーリー」によるとその損失は9万人に達したといわれる。これは90万人に対する数値ではなく陸上兵力30万人に対する数値である。
ロシアのプーチン政権は10月31日に30万人の予備役動員が完了したと発表したが、これで人員は満たしても課題であった近代戦に必要な「プロフェッショナル化」は後退することになる。
問題はそれだけにとどまらない。プーチン大統領が予備役を徴兵する「部分的動員」を9月21日に発表して以来、国外に脱出したロシア人が20万人以上にのぼる、と米『ニューヨーク・タイムズ』が報じている。当初兵力90万人に30万人の予備役、20万人の国外脱出を合わせるとちょうどロシアの人口の1%に達する。
ロシアは穀物やエネルギーを自給できる強みはあるが、実体経済を担う若年労働層の喪失というウクライナ戦争の代償はロシア経済の未来に暗い影を落としている。
(板谷敏彦・作家)
週刊エコノミスト2022年11月22日号掲載
ロシアの未来 ウクライナ戦争で直面する「若年層の喪失」という代償=板谷敏彦