幸福を考え続けた稀代の経済学者・宇沢弘文 再注目促す格好のガイド 評者・高橋克秀
『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』
著者 佐々木実(ジャーナリスト)
講談社現代新書 880円
希代の数理経済学者にして社会思想家の宇沢弘文に再び脚光があたっている。「社会的共通資本」をはじめとする倫理的な経済思想は市場原理主義への対抗軸となるのだろうか。所得格差が広まり、戦争と地球温暖化の脅威が日ごとに増すなかで、人間の幸福を中心に据える宇沢思想は希望となるのだろうか。著者の佐々木実氏は危機の時代には宇沢こそが「再発見されるべき経済学者であり、思想家なのだ」と力を込める。
宇沢は1928年に鳥取県で生まれた。数学者として将来を嘱望されていたが、戦後の混乱期に数学のような貴族的学問をしていることに対して自責の念にかられて経済学に転向した。56年にケネス・アローの招きで米国に渡った宇沢はスタンフォード大学やシカゴ大学で画期的な論文を量産し、30代の若さで経済学界のスターとして名を馳(は)せた。しかし、ベトナム戦争にのめり込む米国に強烈な違和感を覚えて68年に帰国した。
その後は反戦運動、水俣病、公害、成田空港、地球温暖化、教育などさまざまな社会問題に行動範囲を広げた。74年に『自動車の社会的費用』(岩波新書)で日本の言論界に鮮烈に登場して以来、環境破壊に目をつむって利潤追求に走る企業と無責任な政府を厳しく批判した。水俣病問題では企業と国に賠償責任を問い、成田空港問題では農民側に立って紛争を調停した。
宇沢は英雄的に孤軍奮闘した。世間からは敬意をもって見守られ、著作も広範に読まれた。宇沢の社会的共通資本とは「すべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」(岩波新書『社会的共通資本』より)を意味する。その帰結は人々を幸福にする社会と経済の実現である。
しかし、2014年の没後は宇沢について語られることが少なくなった。アカデミアの世界からは敬して遠ざけられた。既存の学問の枠に収まらない宇沢理論を研究しても学術論文を書くことが難しいからだ。
宇沢の問題意識は時代をはるかに先取りしていた。地球温暖化に対して警鐘を鳴らしたのは90年ごろからである。公害問題で培った研究と実践の延長線上に地球温暖化が視野に入ってきたのであろう。宇沢の警告はすでに地球規模で共有知となり、ことさらに宇沢の功績が思いだされることが少なくなったともいえよう。未来に向けて宇沢の知恵とメッセージをどう再発見していくか、本書は貴重なガイドとなるだろう。
(高橋克秀・国学院大学教授)
ささき・みのる 1966年生まれ。大阪大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。その後、フリーに。宇沢弘文に師事し、『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』で第6回城山三郎賞と第19回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。
週刊エコノミスト2023年1月10日号掲載
『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』 幸福を考え続けた希代の経済学者 再注目を促す格好のガイド=評者・高橋克秀