教養・歴史書評

実は生活密着の科学 物質の秘密が「はかる」ことで明らかに 評者・池内了

『分子をはかる がん検診から宇宙探査まで』

著者 藤井敏博(理学博士)

文春新書 1100円

 すべての物質は原子からできていて、通常原子は結びついて分子という形態をとっている。化学分析とは、試料に未知の物質がどれくらい含まれ、それが何であるかを明らかにするために、各物質がどのような分子から成り立ち、それらがどれくらい含まれているかを明らかにすることである。それが化学の出発点といえる。そのため、物質を成り立たせている分子を決定する上で、質量を精密にはかることが欠かせない。

 本書は、質量分析計(マススペクトロメーター)を用いた分子の質量をはかる(計る、測る、量る)方法の基礎から応用までを網羅したものである。がんの検診などの医療、人間の歴史や生命の起源、地球や宇宙の構造と進化など、諸科学の研究にどのような寄与をしてきたかを俯瞰(ふかん)しつつ、分子をはかる原理やその「技術革命」の解説がコンパクトにまとめられていてわかりやすい。それだけでなく、環境汚染物質や食品添加物、コロナウイルスやそのワクチン、スポーツのドーピング検査など、私たちの身の回りの数多くの事柄に関連する化学物質の解明には、それらの試料を形作る分子の質量を精密にはかることが不可欠である。生活に強く密着した科学でもあるのだ。

 質量分析の眼目は、対象とする試料の成分である分子をイオン化し、磁場にかけて運動させ、その軌道から質量を決定することにある。質量分析で、これまで7人もノーベル賞が授与されたそうだが、そのほとんどは元来電気的に中性である分子をいかにイオン化するか、そして磁場の配置を工夫してどのように質量差が出るようにするか、にあった。

 例えば、「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法」でノーベル賞を受賞した田中耕一は、試料である生体高分子に含まれるたんぱく質を同定するため、マトリックスと呼ぶイオン化されやすい物質を混ぜてレーザー光を照射するという方法を開発した。試料に直接レーザー光を当ててもイオン化しなかったのを、マトリックスと呼ぶ物質を導入してまずそれをイオン化し、それとたんぱく質を反応させてイオン化させるという手法である。これにより、血液・尿・汗などからごく微量のたんぱく質を検出して、病気の発見・治療に生かすことができるようになった。

 古代遺跡に含まれる花粉や火山灰、小惑星や月で採取された砂、地球の大気・水圏・土壌圏に含まれる物質など、「分子をはかる」前線は大きく広がっている。それによって、物質世界が隠し持つ秘密が次々と暴き出されているのである。

(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)


 ふじい・としひろ 京都大学理学部化学科卒、同大学院修士課程修了。日本電子、国立環境研究所を経て、明星大学理工学部教授(2012年退職)。著書に『タンデム質量分析法』など。


週刊エコノミスト2023年1月17日号掲載

『分子をはかる がん検診から宇宙探査まで』 評者・池内了

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