緑の谷と栗毛駒に正直者の情感が絡み…… 芝山幹郎
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映画 ドリーム・ホース
映画で描かれる競走馬は、後方から追い込んで勝つケースが多い。わかりやすい絵解きだ。気が弱かったり、世に出遅れたりしていた馬が、逆風に抗して最後尾から追い上げてくる。その爽快感が、ひとつのシーンに凝縮されるわけだ。
「ドリーム・ホース」でも、この構図は踏襲されている。ウェールズのさびれた町で育ち、気のよい人々の希望を一身に背負ってドリーム・アライアンス(夢の同盟)と名付けられた馬が、よもやの勝ち星を重ねていく。
こう書けば、カタルシスにあふれた物語が想像されるにちがいない。事実、この映画の浄化作用や解放感は、照れも恥じらいもなく打ち出されている。
だが、だからといって、「ドリーム・ホース」は破廉恥な映画ではない。感傷の垂れ流しや、俗情に媚(こ)びる姿勢も見当たらない。むしろ、ゆるやかに表明される率直さや思いやりが、あとから効くお湯のように、見る側の身体に沁(し)み込んでくる。
主人公は、ウェールズの小さな町で張り合いのない暮らしを営むジャン(トニ・コレット)という40代の女だ。関節炎を患う夫(オーウェン・ティール)は満足に動けない。ジャンは、昼はスーパーマーケットのレジ係、夜は酒場のバーテンダーとして働いているが、生活は楽ではない。老いた両親の介護も、彼女の双肩にかかっている。
そんなジャンが一頭の馬に出会い、希望と光明を見いだす。
ただ、競走馬の育成に金がかか…
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週刊エコノミスト
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