教養・歴史教え子が語る小宮隆太郎

先生の教えは日銀マンとしての指針だった――中曽宏・前日銀副総裁

 昨年10月末に亡くなった恩師を愛弟子が振り返る。今回は、前日銀副総裁の中曽宏大和総研理事長に聞いた。

(聞き手=浜條元保・編集部)

── なぜ小宮ゼミを選んだか。

■私はマクロの経済理論について、特に国際経済や国際金融論に関心があり、その分野で定評のあった小宮隆太郎先生のゼミで学びたいと強く思ったからだ。人気の非常に高いゼミで、選抜審査のリポートを一生懸命に書いた。審査をパスし、小宮ゼミへの参加を認められた時は本当にうれしかった。

── 授業の進め方は?

■先生の問題提起するテーマについて、自分の知識に基づいた見解を述べるという形式で進められた。経済学的な理解が不十分だったり、理論的な妥当性を欠いたりする考えに対しては、「君の言っていることは全然わからない」と容赦なく一刀両断し、「先に行こう」と、次の学生に発言を促す。これを繰り返すうちに、議論が核心に迫っていき、学生の理解も進む。「通念の破壊者」と呼ばれた先生の思想は、このようなプロセスを経て議論を尽くす、そうした習慣として、あるいは文化として学生たちに伝授されたのだろう。

臆することなく論争を

── ほかにどんな特徴があったか?

■先生は曖昧な議論を非常に嫌った。1976~77年のドル・円相場の変動要因や、この時期に高まった日本の経済政策に対する海外の批判を題材に取り上げた時のことだ。為替変動要因について問われた、ある学生が「チューリヒの小鬼たち(投機筋の暗躍を批判する表現)」という言葉を持ち出して、「投機筋が変動幅を増幅させている」と答えた。すると、先生が「投機筋とはどういう意味か? 実需とどう判別するのか? 説明してみろ」と。確かに実需であっても、その時々の相場観で為替ヘッジ(リスク回避のためのドル買いやドル売り)したり、それを外したりすることはある。先生は、こうした為替ヘッジは「投機ではないのか」と突っ込んだ。

 また、70年代、米国の国際収支の赤字基調について、あるゼミ生が「米国がドルの垂れ流しをしていることが問題」と発言した。すると、「ドルの垂れ流しとは具体的に何を指すのか? 英語で説明してみろ」と。しっかり言葉を定義したうえで、議論を組み立てなさいということを伝えたかったのだと思う。

 当時の日本の経常収支黒字に対する米国の批判への先生の反論を聞いたこともあった。国際収支は2国間の問題として外交的に取り上げられるが、現実には多国間の現象だと指摘された。日本の経常収支の大幅黒字、米国の大幅赤字は、双方の経済状況から起こっている現象で、日本の経済政策の不適切性だけが問題ではない。にもかかわらず、一方的に米国が日本の経済政策だけを批判するのはおかしいという趣旨だったと記憶する。

 つまり、先生が言いたかったのは物事を多面的に捉え、論争では相手がどんなに強大であっても根拠を持って臆することなく、挑戦しなさいということだったと思う。

── 改めて小宮ゼミで学んだことは?

■1点目は、論理的な思考力を高めることの大切さ。経済学の基礎的な理論を学んだうえで、ゼミで求められたのは経済理論に即して、現実の経済問題や政策を論理的に考察して評価を加えることだった。実際のやり方としては、課題図書の輪読と徹底議論に時間は割かれた。その中で、先生が問題提起する。それに対して自分の考え方を論理的に述べなくてはいけない。そこで厳しく鍛えられた。

 2点目は、先を読む目を養うことだった。ある経済事象を引き起こすメカニズムを解明することが、経済学の重要な役割で、さらにそこに潜む構造問題や社会問題に着眼することも経済学の重要な役割だと強調された。ある学期の指定図書は、米国の経済学者アーサー・オーカンの『平等か効率か──現代資本主義のジレンマ』。民主主義下の資本主義は効率が追求されるが、一方でこれは格差を拡大させると、現代社会が直面している問題を先生は40年以上も前の段階でゼミのテーマに取り上げた。その先見性はすごかったと、今さらながらに驚かされる。

 3点目は、海外に雄飛したいという思いがとても強まったこと。国際経済や国際通貨体制に関する事象について、理論的考察を加えることに、かなりの時間を割いていたからだろう。同時に、手段としての英語の重要性も強調された。

 先生が関与したOECD(経済協力開発機構)の報告書を題材にすることもあった。これによって、国際機関の果たす役割への理解も深まった。いつか国際機関で働いてみたいと考えるようになったのは、この影響だと思う。

ゼミで使った教科書には多数の細かな書き込みが
ゼミで使った教科書には多数の細かな書き込みが

 4点目は、人生における財産、ゼミ仲間と先生との絆だ。大学でのゼミの時間が終わると、大学近くの喫茶店で、仲間と談論風発を続けた。それでも足りないと、「自主ゼミ」と称して先生から勧められた教科書(ヘンダーソンとクォントの『現代経済学』)を使って勉強した。改めてそれを読み返すと、たくさんの書き込みがあった。それなりに一生懸命に勉強していたのだと当時を懐かしく思い出す。

よりよき教師

── ほかに印象的なことは?

■卒業前の最後のゼミで、先生が私たちに贈った言葉だ。

「間もなく諸君は長かった学生生活を終え、学窓を巣立っていく。卒業後、社会に出て諸君はいろんな問題にぶつかると思うけれども、知識人として誠実にさまざまな角度から総合的に考えなさい」

 それは通念に惑わされないで、理論に基づいて、多角的に考え尽くしたうえで、判断しろという、日ごろのゼミで先生が求めてきたことの念押しだったと思う。

 自らの社会人としての生活を振り返って、果たしてあの時の先生の言葉をどの程度、忠実に実践できたか自信はない。しかし、少なくとも日銀に入行してから、いろんな問題に直面するたびに先生の言葉を思い出した。職業人生としての指針となる言葉だった。

 先生の自伝『経済学 わが歩み学者として教師として』の中で、「学者としては非常に楽しんで仕事ができたし、楽しく生きてきたと思っている」と述懐されている。そのうえで、「彼ら(ゼミ生)の活躍を見るのは、本当に幸いなことである」と述べられている。それを読んで、未熟だった自分たちの成長を、先生は卒業後もずっと見守ってくれていたのだと、胸が熱くなった。

 小宮先生は優れた学者であるばかりでなく、私たちからすると、よりよき教師であった。よき教師に巡り会えたことは、私たちゼミ生にとってかけがえのない人生の大きな財産となった。


 ■人物略歴

なかそ・ひろし

 78年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。国際決済銀行出向などを経て、2003年金融市場局長、08年理事、13年副総裁。18年より現職。


週刊エコノミスト2023年1月31日号掲載

教え子が語る小宮隆太郎 中曽宏「先生の教えは日銀マンとしての指針だった」

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