国際金融システムが大転換 1971年「ニクソン・ショック」に迫る 評者・上川孝夫
『ブレトンウッズ体制の終焉 キャンプ・デービッドの3日間』
著者 ジェフリー・E・ガーテン(エール大学経営大学院名誉学長) 監訳者 浅沼信爾・小浜裕久
勁草書房 4400円
国際金融システムが大転換 「ニクソン・ショック」の全貌に迫る
1971年8月15日、ニクソン米大統領は演説で、金・ドル交換停止を含む「新経済政策」を発表した。いわゆる「ニクソン・ショック」である。この新政策を決断したのは、大統領専用別荘のキャンプ・デービッドで8月13日から15日にかけて開かれた秘密会議である。本書は、この歴史に残る一大政策転換の全貌に迫っている。
戦後の国際通貨体制は「ブレトンウッズ体制」とも呼ばれる。それは金・ドル交換と固定相場制を柱としていた。当時アメリカは、西ドイツや日本が台頭する中、高い失業率やインフレ、貿易収支の悪化に直面していた。為替市場でドル売りが激化し、海外当局も保有ドルを金に交換する動きを強めるなど、緊迫した状況が描かれている。
ニクソン大統領の新政策には、金・ドル交換停止に加えて、輸入課徴金の賦課や、賃金・物価の凍結が含まれていた。そのねらいは、金準備の枯渇を避け、国際競争力を回復して、貿易収支や雇用を改善することにあった。特に他の主要通貨(マルクや円など)との関係では、通貨の再調整が必要との方針であった。金・ドル交換の停止は、アメリカ政府が本気であることを思い知らせ、他の国々を通貨交渉のテーブルにつかせる効果が考えられていたという。
キャンプ・デービッドの会議で、金・ドル交換停止に反対したのは、通貨安定を重視するバーンズ連邦準備制度理事会(FRB)議長である。新政策に結実する「危機管理計画」の策定に関わっていたボルカー財務次官は、通貨の再調整後は、柔軟性を持った固定相場制に移行する考えでいた。一方、自由な変動相場制を主張したのは、シュルツ行政管理予算局局長。ニクソン大統領やコナリー財務長官も含めて、重要人物7人の来歴や発言を詳しく紹介しているのも、本書で注目される点である。
実際に、ドルの切り下げを含む通貨再調整が行われたのは、71年12月の「スミソニアン合意」においてである。76年の「ジャマイカ合意」では、変動相場制を国際通貨基金(IMF)協定の上で容認することが決まる。しかし著者は、キャンプ・デービッド会議後に変動相場制への歩みが始まったとして、新政策の「破壊力」を指摘する。
昨年来の物価高で、アメリカは利上げに転じ、ドル高が進行した。国際金融の世界は依然としてドルが支配し、変動相場制が続いている。そうした世界が出現するに至った経緯や政治力学を考える上で貴重な書物である。
(上川孝夫・横浜国立大学名誉教授)
Jeffrey E.Garten 米クリントン政権で国際貿易担当商務次官、ブラックストーン・グループ常務取締役を歴任後、現職。経済、ビジネス、外交政策に関する著作多数。
週刊エコノミスト2023年2月7日号掲載
『ブレトンウッズ体制の終焉 キャンプ・デービッドの3日間』 評者・上川孝夫