ズシリと響く「30年間の怠慢」 漂流を始めた政権の少子化論議 人羅格
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通常国会は性的少数者や同性婚に関する差別発言を巡り、荒井勝喜首相秘書官(当時)が更迭されるなど、冒頭から波乱模様だ。
岸田文雄首相は「最重要」と位置づける少子化対策で求心力回復を図る。だが、議論の付け焼き刃ぶりは政権与党の長年の無関心さを浮き彫りにしている。
あっけない「転換」だった。
各会派による代表質問で、自民党の茂木敏充幹事長は、児童手当の対象から所得制限を撤廃するよう首相に呼びかけた。
無関心だった首相
2009年に旧民主党が政権交代を実現した際の目玉政策こそ、所得制限なしで子育て世帯に給付する「子ども手当」の導入だった。これを当時の自民党は「ばらまきだ」と徹底攻撃し、所得制限つきの手当に改められた。
茂木氏の転換を野党・立憲民主党は「吉本(新喜劇)並みにひっくり返った」(泉健太代表)と批判した。同党は予算委員会でも追及したが、首相は過去に自民党議員が「子ども手当」をヤジなどで口汚く批判したことを「反省すべきは反省しなければ」と陳謝した。
中学生までの現行給付水準で所得制限を撤廃しても、必要財源は「2000億円程度」(政府関係者)とみられる。自民党らしい融通無碍(むげ)と言えばそれまでだ。
ただし、旧民主党が所得制限を設けなかったのは、「社会全体で子どもを育てる」考えに基づいていたためだ。一方で自民は、給付を福祉政策として捉えていた。
逆に言えば原則が簡単に揺らぐほど、自民党は少子化対策を突き詰めて考えてこなかった。
昨年の出生数は80万人を割る見通しだ。16年に100万人割れしてからわずか6年で5分の1も減る状況で、やっと尻に火がついた。
「少子化」という言葉が登場したのは、バブル経済崩壊後の1992年、政府の『国民生活白書』にさかのぼる。白書は出生率低下が続いた場合の影響をかなり強い調子で警告していた。すでに30年以上前だ。
時を経て、10年にエコノミストの藻谷浩介氏が『デフレの正体』(角川新書)を著し、生産年齢減少による「人口オーナス」こそデフレの原因と喝破した。今ではあたり前の見解だが、アベノミクス派経済評論家たちはこの時ですら、むしろ排撃した。
現実を政治がようやく直視したのは14年、増田寛也元総務相(現日本郵政社長)らが「消滅自治体リスト」を発表し、地方を中心に衝撃が走ってからだ。
政府は保育所の待機児童解消や、地方創生による地方の人口維持に乗り出した。だが、地方創生はインバウンド偏重が新型コロナウイルス禍に直撃され、隘路(あいろ)にはまっている。
首相にしても、少子化や人口減少対策に関心を持っていたかは大いに疑問だ。参院選大勝後、長期政権を展望していた昨秋の臨時国会の所信表明演説で、ほとんど言及しなかった。すでにその時点で、コロナ禍がもたらす生活不安による「産み控え」や、婚姻数の顕著な減少は懸念されていた。
政権内では人口減少問題に詳しい…
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週刊エコノミスト
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