教養・歴史書評

“エセ真理”に席巻されるキャンパス 大学危機の新局面を指摘 評者・将基面貴巳

『傷つきやすいアメリカの大学生たち 大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』

著者 グレッグ・ルキアノフ(教育における個人の権利財団会長兼CEO) ジョナサン・ハイト(ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネス教授) 訳者 西川由紀子

草思社 3080円

 アメリカで大学の危機が論じられ始めたのは少なくとも30年近く前のことである。文学理論・現代思想の研究者ビル・レディングズが『廃墟のなかの大学』(邦訳は法政大学出版局から2018年に新装改訂版刊行)において、大学が管理・経営主義や消費者イデオロギーに毒されつつあると警告したのは1996年のことだった。その後、01年9月11日に発生した同時多発テロ事件を受けて、大学もテロ対策の一環として政府の監視や介入の対象となり、学問の自由への脅威が深刻な問題として取り沙汰された。

 本書は、こうした一連の大学危機が新しい局面を迎えていることを明らかにする。90年代半ばから本格化したIT革命の時代に生まれた「Z世代」が大学に進学する年齢となった10年代中盤以来、大学教師や講演者が人種差別的あるいは性差別的と解釈されうる見解を主張することはもちろん、それを紹介するだけでも「精神的苦痛」となると主張し、暴力的に抗議する学生が急増しているのだ。このようにキャンセルカルチャーやポリティカル・コレクトネスという思想傾向が猛威を振るうようになったのはなぜか。本書はその複雑な因果関係を丁寧かつ明快に解きほぐす。

 2人の著者は現代アメリカのキャンパスを「エセ真理」が席巻していると指摘する。それは「困難な経験は人を弱く」し、「常に自分の感情を信じ」るべきであり、また「人生は善人と悪人の闘いである」という三つの信念である。

 こうした考え方が影響力を持つに至ったのは、いわゆる「社会正義」の思想だけに由来するわけではない。テロなどの犯罪が増加する中、過保護なまでに子どもを四六時中監督する子育てが推奨された上に、受験競争が激化したために、自由な遊びを通じて対人関係に強くなる機会が子どもたちから奪われた。

 しかも、政治的二極化がSNSによって増幅され、政治的意見を異にする者を憎悪する傾向が強まった。そこへ、追い打ちをかけるように大学はますます企業化し、学生を「お客様」として扱うようになった。精神的に脆弱(ぜいじゃく)な学生が自分たちの「安全」を盾に暴挙を振るうようになった時代背景は複雑である。

 本書が切開してみせる問題はアメリカだけではなく、日本を含む先進国に大なり小なり共通している。対策を論じる著者たちはいかにもアメリカ人らしく楽観的だが、彼らの分析が示す問題の根はあまりにも広く深い。

(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


 Greg Lukianoff アメリカン大学とスタンフォード大学ロースクールを卒業。高等教育における言論の自由をテーマに研究している。

 Jonathan Haidt ペンシルベニア大学で社会心理学の博士号を取得。著者に『社会はなぜ左と右にわかれるのか』などがある。


週刊エコノミスト2023年3月7日号掲載

書評 『傷つきやすいアメリカの大学生たち 大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』 評者・将基面貴巳

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