困難な銀行経営の活路を豊富な歴史的データから学ぶ 評者・平山賢一
『日本近代銀行制度の成立史 両替商から為替会社、国立銀行設立まで』
著者 鹿野嘉昭(同志社大学教授)
東洋経済新報社 5500円
銀行経営にとっては、マイナス金利政策が続くものの、保有する内外国債の利回りは急騰するなど、頭の痛い課題が重なる昨今。貸し出しを増やし、預金を集める銀行像は、過去の残影に過ぎないとの声も聞こえてくる。従来型の銀行ビジネスモデル自体が問われているのである。
そんな折、将来を考えるならば、行き先の不透明な銀行の原点に立ち返るのもよいかもしれない。そもそも現代の淵源(えんげん)となる近代銀行は、どのように成立してきたのか? この疑問に答える際に、打ってつけなのが、本書である。豊富なデータが、前近代社会において最も発展していた江戸期・大坂の両替商の決済システムをはじめ、明治初期の為替会社、国立銀行(民間資本が国法に基づき設立した銀行)設立の経緯を詳細に語るからだ。
筆者は、「現代的過ぎて、経済史ではない」という批判もあるかもしれないと自嘲気味に記す。しかし、現代の銀行ビジネスが非連続面に差し掛かっているならば、経済史こそ課題解決の知恵の宝庫に違いない。読み進めるほどに、明治維新後に業態転換を求められた両替商などは、大きな転機を迎える現代の銀行に重なって見えてくるはず。この同時代性に着目すれば、セピア色に染まった歴史が、銀行の未来像を鮮やかに描くと思えてくるかもしれない。
特に本書で注目したいのは、かの渋沢栄一が設立した第一国立銀行(現みずほ銀行)も、多くの課題を抱え、設立から数年は順風満帆ではなかったという点。当初、国立銀行は、わずか4行にとどまり、殖産興業という目的を果たすにはほど遠かった。その理由は、「大蔵省が設立許可に関して慎重姿勢を維持していたことに加えて、国立銀行の収益性が低いと判断されたから」と筆者は指摘する。
その国立銀行の行き詰まりを打開したのは、明治9年の「国立銀行条例改正」であった。この改正の主眼は、銀行設立にかかわる「環境の改善」と「収益性や投資採算の改善」であったとのこと。その甲斐あり、将来に対する銀行ビジネスへの期待感が高まり、設立ラッシュから国立銀行は153行まで急増した。
明治期の環境や収益性改善は、制度の変更により与えられたと考えられなくもない。しかし、より本質的には、金禄(きんろく)公債(明治政府が家禄支給と引き換えに公家や武士等に交付した公債)をはじめとする資本構成の組み替えや、資産配分の見直しによる投資採算の改善であった点を見逃してはいけない。
(平山賢一・東京海上アセットマネジメント チーフストラテジスト)
しかの・よしあき 1954年生まれ。同志社大学経済学部卒業後、日本銀行入行。経団連21世紀政策研究所などを経て現職。大阪大学博士(経済学)。著書に『日本の中小企業』『藩札の経済学』など。
週刊エコノミスト2023年5月23・30日合併号掲載
書評 『日本近代銀行制度の成立史 両替商から為替会社、国立銀行設立まで』 評者・平山賢一