教養・歴史書評

時代の変化を敏感に反映 歴代東大総長が若人に贈った言葉を読む 評者・将基面貴巳

『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』

著者 石井洋二郎(中部大学特任教授)

新潮新書 924円

「東京大学の総長は誰か」と問われて正解できる人は今日どれほどいるだろうか。東大総長の社会的影響力が乏しくなった現在、その式辞を歴史的に振り返ることにどれほどの意義があろうかといぶかしく思う向きがあるかもしれない。だが、歴代総長が若人に向けて語った言葉を、東大創成期の明治時代から20世紀の終わりまで通覧することで、総長たちが思い描いた大学の理想と日本の課題の歴史を一望することができる。

 戦前の総長式辞は、学問がもっぱら国力増強のための手段であることを強調する傾向が強かった。戦時下においては愛国心発揚と天皇礼賛が一様に目立ち、まさに総長個人の発言ではなく「時代が彼らを通して語っている」かのような有り様だった。

 敗戦直後に総長を務めた南原繁や矢内原忠雄の時代に、東大はようやく「国策大学」から「国立大学」へと転換を遂げた。学問は真理追究の営みであり専門的探究を必要とするが、普遍的な教養をないがしろにしてはならないと南原は論じた。さもなければ全体の脈絡における特殊としての専門の意義を見失うことになるからである。学問と教養に裏づけられた高貴な人格の形成を南原や矢内原は力強く訴えた。

 高度成長期を迎えた時代にも、歴史家の林健太郎のように学問の自由やノブレス・オブリージュ(恵まれた者が果たすべき社会的責任)を説くことで大学と学問の理想や学生の人格形成を話題とする傾向は続いた。しかし、1980年代あたりから論調がかなり変化したように思われる。入試制度改革や大学の国際化と外国人留学生の増加、さらに大学教育と価値観の関係を主題とする式辞には、大学が時代の荒波に動揺する姿を容易に見てとることができる。地球環境問題のように以前には想像もできなかったような新しい問題に直面して解決策を提示しうる「独創性」が問われるようになったのも最近の傾向である。ただその「独創性」を生み出しうる基盤とは、南原や矢内原がかつて論じた普遍的教養とそれに基づく人格であるという認識が、引き続き表明されていることを著者は指摘する。

 本書を通読して印象的なのは、敗戦直後の混乱期に、南原・矢内原両総長が確信をもって大学と学生に指針を示したのに対して、20世紀末の総長たちは総じて問題の所在を示すにとどまっている点である。しかも学問の自由や大学の自治という大学の基本理念についての考察が昨今の式辞には見られなくなっている現状をどう考えるべきだろうか。

(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


 いしい・ようじろう 1951年生まれ。東京大学教養学部長、副学長などを務めたのち、現職。東京大学名誉教授も兼任。専門はフランス文学・思想。著書に『ロートレアモン 越境と創造』など。


週刊エコノミスト2023年6月20日号掲載

Book Review 『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』 評者・将基面貴巳

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