教養・歴史書評

母親の叫びに応えようとしない子育て後進国・日本への問題提起の書 評者・諸富徹

『母の壁 子育てを追いつめる重荷の正体』

著者 前田正子(甲南大学教授) 安藤道人(立教大学准教授)

岩波書店 1980円

 どうして少子化が止まらないのか。なぜ産みたいという希望を断念せざるを得ないのか。背景には、子育てをめぐる母親の苦悩、そして生きづらさがある。日本の現状では、子育てに関するさまざまな矛盾が、母親に集中しているのが実情だ。

 夫とともに良き家庭を作り、子どもを持ち、自分自身も職業を持ってキャリアを積んで夢を実現したいと女性が願うのは、なにも特別なことではない。だが現実にそれを実現しようとすれば、いくつもの「壁」が立ちはだかり、行く手を阻む。

 本書はそうした壁を、①(希望通りの)保育所に入れない「保育の壁」、②夫の育児協力をなかなか得られない「家庭の壁」、③子育て中の育休や時短勤務に職場の理解が得られない「職場の壁」、の三つに整理する。女性たちはこれらの壁にぶち当たり、「仕事か子どもか」の選択に迫られる。「なぜ、子育てと仕事の両立という当たり前の希望が叶(かな)わないのか」「なぜ女性だけが究極の選択を迫られるのか」という彼女たちの叫びが、本書を通じてこだましている。

 本書は2017年に著者らが、ある自治体で実施した母親へのアンケート調査結果に基づいている。自由記述欄に書き込まれた母親たちの赤裸々な想いを素材として構成しているゆえ、そこに再現された母親たちの声には圧倒的な迫力がある。

 子どもが保育所に入所できるか否かが女性のキャリア継続の可能性を決定的に左右することがよく分かる。入所できなければ退職が現実味を帯び、正社員への復帰も困難となる。そうすると生涯を通じて低賃金となり、昇進の見込みもほぼなくなる。

 非正規雇用に転じた母親たちは、育児休業の取得が困難になり、就業時間が短いために保育所の入所申請でも不利となる。さらに家庭内でも夫に対して立場が弱くなり、子育てのあらゆる負担を一身にかぶる。

 だからこそ母親たちは、必死で保育所への入所を成功させようとする。それゆえ、それが叶わなかったときの落胆も激しい。背景には保育サービスの貧困、いまだ当事者意識の薄い男性、育休・時短を嫌がる企業、そして性別役割分担を前提とした「子育て支援」政策がある。男性の子育て・家事への参加を強力に後押しする政策なしに子育て支援を強化しても、女性だけをいっそう子育てに追い込む結果になるのだ。

 本書を読めば、政策が彼女たちの叫びに正面から応えようとしていない現状では、いかなる支援策も有効でないと考えざるを得ない。重要な問題提起の書である。

(諸富徹・京都大学大学院教授)


 まえだ・まさこ 横浜市副市長を経て現職。こども家庭庁審議会委員。著著に『保育園問題』『無子高齢化』など。

 あんどう・みちひと 公共経済学が専門。社会保障制度や政府間補助金制度が対象者に与える影響を研究。


週刊エコノミスト2023年9月12日号掲載

『母の壁 子育てを追いつめる重荷の正体』 評者・諸富徹

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