35年間のおぞましい監禁と外界を吸収する原初的無意識 芝山幹郎
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映画 悪い子バビー
狭くて不潔で乱雑な部屋の内部から、映画は始まる。目鼻立ちの整った全裸の男が、太った女に髭(ひげ)を剃(そ)ってもらっている。男は禿頭(とくとう)だ。頭頂部の髪がごっそりと抜けている。
次の場面では、その太った女が全裸で腋(わき)の下を拭(ぬぐ)っている。おぞましい光景だ。見たくないなと思っているのに、ふたりは性交を始める。「ママ」とか、「バビーはいい子ね」とか、不気味な喋々喃々(ちょうちょうなんなん)まで耳に入る。
バビー(ニコラス・ホープ)は、生まれて35年間、この部屋を一歩も出たことがない。母親(クレア・ベニート)に「汚染された外気を吸うと死ぬ」と教え込まれているからだ。監禁、密閉、飼育……。ネガティヴな言葉が数珠(じゅず)つなぎに浮上する。ブリー・ラーソン主演の「ルーム」(2015年)を連想したくなるが、「悪い子バビー」(1993年。日本では本年劇場初公開)のタッチは大きく異なる。
映画序盤のおぞましさは、さらにエスカレートする。35年前に家出した野卑な父親が帰宅し、母親とよりを戻すからだ。
母親とバビーのいびつな小宇宙には亀裂が入る。バビーは家具や食器を壊し、両親を絞め殺して「禁断の戸外」に飛び出す。
映画はここから急速に広がる。物理的な視野はもちろんのこと、刺激の連打を受けるバビーに呼応して、映画全体が乾いたスポンジさながら、外界を貪欲に吸い込みはじめるのだ。
バビーは狼に育てられた少年のような存在だ。世間の仕組みなどなにひとつ知らないし、習得した言…
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週刊エコノミスト
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