“実質27%”賃上げへの道で地雷を踏まないための最高のガイド 評者・田代秀敏
『日本人の賃金を上げる唯一の方法』
著者 原田泰(名古屋商科大学ビジネススクール教授)
PHP新書 1210円
実質賃金は今年2月までに23カ月連続で低下し、安倍晋三元首相が「悪夢のような民主党政権」と呼んだ時期の平均を20.8%下回った。
しかし「27%の実質での賃上げが可能になる」と日本を代表するエコノミストの一人である著者は本書で主張する。
大胆な主張に至る議論は、標準的な経済学の基本理論を駆使してデータを丹念に分析することの積み上げであり、明晰(めいせき)極まりない。
明晰だからといって単調でも退屈でもない。本書のいたるところで「世間の常識」を根底から覆す強烈な主張が相次ぎ、読み出すとページをめくる手が止まらなくなる。
例えば「多くの人々がアベノミクスで財政規律が低下したというのだが、事実を見れば大増税を行っていたのである」はアベノミクスの賛成派も反対派も驚愕(きょうがく)させるだろう。
また「必要な防衛費を国債で調達しようが、税で調達しようが、国民の負担が変わるわけではない」と「経済学者にとって神のごとき」故ポール・サミュエルソンの議論を紹介するのに続けて、「日本の経済学者が財政について議論する時、サミュエルソンの議論から出発しないのは、私にはまったく理解できない」と同業者に辛辣(しんらつ)に迫る。
「松方財政とは、インフレを退治してデフレにしたあとはインフレ財政であった」そして「日本が銀本位制を採用した」ことの「結果としての円安政策は、デフレ政策ではなくてむしろインフレ政策である」は歴史の常識を覆す指摘である。
歴史的な円安が進行した揚げ句に東京は、米『フォーブス』誌の「世界で最も安い旅行先2024年版」で第4位にランクされた。東京よりも安いのは、南アフリカのケープタウン、そして、ベトナムのホイアンである。
しかし著者は、1992年に伝説の投機家ジョージ・ソロスがイギリス政府にポンド売りを仕掛けポンドが10~15%下落した後、失業率も金利もインフレ率も低下する状況が2007年まで15年間も続いたから、「通貨下落は、むしろイギリスにとって僥倖(ぎょうこう)だった。ポンド下落後、イギリス経済は長期の繁栄を達成した」とデータに基づき指摘する。
賃上げを実現するためには「何かをすることよりも、間違ったことをしないことが重要だ」と繰り返し著者は主張する。30年余り続けられてきた「間違ったこと」を理論とデータとに基づいて具体的に暴き出す本書は、賃上げへの道で地雷を踏まないための最高のガイドである。
(田代秀敏・infinity チーフエコノミスト)
はらだ・ゆたか 1950年生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒、経済企画庁、大和総研チーフエコノミスト、日本銀行政策委員会審議委員等を経て現職。著書に『日本の失われた十年』『デフレと闘う』など。
週刊エコノミスト2024年4月30日・5月7日合併号掲載
『日本人の賃金を上げる唯一の方法』 評者・田代秀敏