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「柔らかな反骨心」 関口宏という生き方/最終回 強権支配下で『サンデーモーニング』はなぜ変わらなかったのか? 青木理
日曜朝の超人気番組『サンデーモーニング』を長年率いた関口宏氏の軌跡を、出演者でもある闘うジャーナリスト・青木理氏がたどる大反響の異色評伝。最終回は、強権政治の専横下でも番組姿勢を曲げなかった関口氏の「自然体の抵抗」とは何か、その核心に迫る。
テレビ・ジャーナリズムの矜持を受け継ぐのは私たちだ
2023年の3月、野党議員が独自に入手し、明るみに出した総務省の内部文書が一大政治問題と化した。
ご記憶の方も多かろう、70頁(ページ)以上に及ぶ文書に刻まれていたのは「一強」政権下の14~15年にかけての出来事である。「無駄な抵抗はするなよ」「俺の顔をつぶすようなことになれば、首が飛ぶぞ」。総務官僚に下卑た恫喝(どうかつ)を浴びせた首相補佐官は、放送法の解釈変更を執拗(しつよう)に迫り、ついにはこんな台詞(せりふ)を口にしたと文書は記録していた。
「明らかにおかしい番組がある」「けしからん番組は取り締まるスタンスを示す必要がある」
文書が孕(はら)む問題点は他にも多いが、時の政権幹部が「けしからん番組は取り締まれ」などと口走り、ましてや放送法を所管する総務官僚に迫るのは、控えめに評してもメディア報道への露骨な政治介入であり、言論や表現の自由を保障した憲法にも違背しかねない。そして、「けしからん番組」の〝筆頭〟として文書で幾度も名指しされていたのが関口宏さん率いる『サンデーモーニング』だった。
すでにコメンテーターとして番組に出演していた私は、あまりにあからさまな首相補佐官の言動に憤り、呆(あき)れはしたものの、実のところ驚きはさほどなかった。これもあらためて記すまでもなく、「一強」政権とその与党は自らの意に沿わぬメディア報道への圧力や恫喝を盛んに繰り返していたからである。
政権与党の自民党が民放各局に文書を送りつけ、番組の街頭インタビューやコメンテーターの人選にまで言及して選挙報道の「中立公平」を要求したのは14年11月。その半年後にも自民党はNHKと民放の幹部を呼びつけて異例の「聴取」に乗り出し、16年2月には「政治的公平」に反する報道を繰り返せば「放送法に基づく電波停止もありえる」と総務相が国会で堂々言い放った。
以上はあくまでも表向きの動きであり、水面下ではさらに露骨だったことを総務省文書は示していた。情けないことに、こうした政権の強圧姿勢はかなりの〝効果〟をあげ、テレビをはじめとするメディア界には萎縮ムードが明らかに蔓延(まんえん)し、メディア界の片隅で禄(ろく)を食(は)む私も肌で感じていた。それと直接的な因果関係があったかどうかはともかく、16年の春には各局で著名キャスターらが一斉に降板する事態も起きた。
だが、『サンデーモーニング』は変わらなかった。総務省文書が赤裸々に示す通り、「一強」政権が怨嗟(えんさ)の眼を注ぐ〝筆頭〟が『サンデーモーニング』であり、長くレギュラーコメンテーターを務めていた故・岸井成格(しげただ)氏は最大の標的とされ、政権の取り巻き連が岸井氏を直接指弾する活動まで大々的に展開していたが、関口さんと『サンデーモーニング』は淡々と従前通りの番組を続けていた。
「問題を指摘し、伝え続けること」
前置きが長くなった。番組を率いていた関口さんは、そうしたことごとをどう受け止めていたのか。政権やその取り巻きからの直接的なプレッシャーはなかったのか。番組降板に際して今インタビューで問うと、返ってきた答えは少々意外で、私が初めて知る想いも含まれていた。
「番組に対していろいろな声があることは、もちろん十分に知っていましたよ。でも、私自身に直接的なプレッシャーがかかったことはない。これは局の幹部やスタッフを中心とする皆さんが、私と番組を守ってくれていたんでしょう。ただ、そういう声があまりに激しくなったときは、番組についてちょっと考えなければならないかな、と思ったことはあります」
番組について考える、とはどういうことか。
「いざとなったら番組をやめざるをえないかなと、場合によってはつぶされても仕方ないのかなと、実はそう思ったこともありました。ただ、番組のスタンスや方針を変えようと考えたことは一度もない。だって、間違ったことはひとつもしていないんですから」
では、その変えるつもりのない「番組のスタンスや方針」とは何か。「別に難しいことじゃありませんよ。ごく当たり前のことでね」と応じて関口さんはこう続けた。
「起きたことを淡々と伝え続けること。問題があると思えば、その問題をきちんと指摘し、伝え続けること。と同時に、これは政治に限った話ではありませんが、『大きな力』が間違って使われないように監視すること。それだけです」
一方で関口さんは「でもね……」と言葉を継ぐ。
「もちろん、それを続けるのは簡単じゃありません。民放はスポンサーがいないと存立できず、往々にして忖度(そんたく)は起きがちですし、何よりも監視され批判される側が喜ぶはずはない。だから嫌がり、時にプレッシャーもかけてくる。でも、それはいつの時代だって同じことでしょう」
そしてこんなふうに言うのだった。
「私はジャーナリストではないけれど、メディアとかジャーナリズムというのはそういうものであって、その点においては右も左もない。『サンデーモーニング』だって、何の偏りもない人たちが判断すれば、番組は別に右でも左でもなかったはずです。一方、利害を背負った人たちには『偏ってる』と見えるのかもしれないけれど、私自身は一貫して『真ん中』のつもり。一週間に起きたことを淡々と伝え、問題があると思えばきちんと指摘する、ただそれだけのことでね」
まったく見事なメディア論、ジャーナリズム論だが、ここで『サンデーモーニング』という番組をもっと根源的に捉え直してみる必要があると私は思う。
しなやかで巧みな番組づくりの技
本連載で記してきたように、「テレビ屋」を自称する関口さんはテレビメディアの可能性や限界を知悉(ちしつ)し、同時に極めてジャーナリスティックな感性も併せ持ったテレビ人だった。また、この国のテレビ界で1980年代に大きく花開いた「キャスターショー」型の報道番組――すなわち久米宏の『ニュースステーション』や『筑紫哲也NEWS23』といった番組とほぼ同じ時期、同じような志を抱いて『サンデーモーニング』はスタートした。
そう考えれば、『サンデーモーニング』は決して特異でもなければ突出した番組でもなかった。だが、「久米ステーション」や「筑紫23」の時代ははるか後景へと遠ざかり、後を継いだ番組から往年の牙は徐々に失われ、特に近年の十数年は「一強」政権の恫喝や圧力もあってテレビ報道は萎縮の度を強め、端的に言えば衰弱や劣化の坂を急速に転げ落ちた。
結果、「番組のスタンスや方針」を変えずに淡々と続けた『サンデーモーニング』が突出して見えた、ということではなかったか。この点、盟友として番組を支えた岸井氏が2018年に世を去った直後、本誌で私が追悼インタビューを行った際に関口さんがこう語っていたのを思い出す。
「世の中が変わっちゃったからでしょう。例えて言えば、周りにいた仲間がどこかに行ってしまって、われわれだけが取り残されたような感じ。昔は言うべきことをきちっと言っていたはずなのに、そんなヤワなことでいいんですか、と感じるような番組が増えた。世の中が変わっちゃったからだと思います」
だから関口さん率いる『サンデーモーニング』は最近のテレビ界で特異視され、一方の側からは「現下テレビ界で数少ない良心的番組」と熱心に支持され、一方の側からは「偏向番組」と怨嗟の眼を盛んに注ぎこまれた。逆に言えばそれは、近年のテレビジャーナリズムの凋落(ちょうらく)を物語っているのであって、私を含むメディア人やジャーナリスト――特にテレビメディアにかかわるテレビ人たちは、スタンスを変えずに伝えるべきことを伝える番組を堅持した関口さんの爪の垢(あか)でも煎じて飲むべきではないか――そんなふうに書けば、関口さんはまた「私はあくまでもテレビ屋であって、ジャーナリストではありませんから」と言って照れ笑いするだけだろうが。
そうそう、これは忘れずに記しておかねばならないが、『サンデーモーニング』がスタンスを変えずに淡々と続けられたのは、番組が多くの視聴者に支持され、テレビ界でトップクラスの高視聴率を維持してきたことが大きい。仮にこれほどの視聴率を獲得していなかったら番組は存続できなかったろうし、その最大の〝功労者〟がスポーツコーナーだったことは銘記しておく必要がある。
まさに「テレビ屋」が日々一喜一憂する視聴率競争に功罪はあれ、近年はオンエアの直後に分単位の視聴率グラフまで示される。『サンデーモーニング』のそれを眺めると、描かれるのは大抵の場合が〝富士山型〟。頂上はいうまでもなくスポーツコーナーであり、かつては大沢親分こと故・大沢啓二氏や張本勲氏らが〝ご意見番〟としてレギュラー出演し、「喝!」「あっぱれ!」の声に頷(うなず)いたり笑ったり反発したり、それが番組全体の視聴率を強力に牽引(けんいん)してきた。
私を含むニュース担当のコメンテーターは、いわばその両脇に佇(たたず)み、だから番組は「起きたことを淡々と伝える」「問題があればきちんと指摘する」というジャーナリズムの役割を果たすこともできた。そういう意味で『サンデーモーニング』という番組全体を眺めれば、「テレビ屋」を自称する関口さんのしたたかさ――いや、テレビというメディアの酸いも甘いも知り尽くした関口宏という「テレビ屋」の、矜持(きょうじ)や原則を確固に守りつつ、一方でしなやかで巧みな番組づくりの技が詰めこまれていた、と評すべきかもしれない。
ジャーナリズムとは「日々綴る」こと
だから、3回にわたった本連載を閉じるに際し、降板直後のインタビューで関口さんが発した印象的な言葉を紹介したい。その言葉を引き出すことになった質問は、我ながらひどく陳腐で凡庸なものだった。実際に「これは本当にお決まりの、つまらない質問ですが……」と前置きして投じたのはこんな問いである。
「36年も司会を務め、番組制作を差配したのは、いまから振り返ってみて楽しかったですか、それとも苦労のほうが多かったですか」
すると関口さんは「これはよくぞ聞いてくれたね」と破顔一笑し、身を乗り出してこう言うのだった。「36年間、飽きなかったんだよ。私はもともと飽きっぽい性格で、趣味にしても何にしても、ちょっとやってはすぐに投げ出しちゃうから、自分でも驚くべきことなんだけど」
そういえば関口さんは以前、自分は飽きっぽいから、月曜から金曜までの〝帯番組〟なんて絶対に務まらない、と冗談めかして言っていたことがあった。
「でも、『サンデーモーニング』は36年、飽きたと感じたことが一度もなかった。逆にいえば、やりがいがあったということなのかもしれない」
その「やりがい」とは何だったのか。
「やはり毎週新しい出来事を伝える作業が楽しかったんでしょうね。毎週毎週、常に新鮮な出来事を扱っていたわけだから。また、『サンデーモーニング』こそ私自身が『テレビとはこうあるべきだろう』と思っていた番組だったのも大きかった」
ちなみにジャーナリズムの語源は「ジャーナル」=「日々綴(つづ)る」「日録」。週単位ではあれ、伝えるべきを伝える作業を36年続け、「テレビとはこうあるべき」と信じて作り上げた番組でテレビジャーナリズムの矜持を堅持してきたのだから、やはり関口さんは徹底してジャーナリスティックな「テレビ屋」だったのだ。その旗を今後も引き継げるか、問われるのは私たちと次世代のテレビ人である。(了)
青木理(あおき・おさむ)
1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。丹念な取材と鋭い思索、独自の緻密な文体によって時代の深層に肉薄する。著書に『安倍三代』『情報隠蔽国家』『暗黒のスキャンダル国家』『時代の抵抗者たち』『時代の異端者たち』など多数。近刊に『破壊者たちへ』『カルト権力』『時代の反逆者たち』