週刊エコノミスト Online 書評

日常の治療から予防も担うプライマリー・ケアが未確立の日本の地域医療 評者・土居丈朗

『地域医療の経済学 医療の質・費用・ヘルスリテラシーの効果』

著者 井伊雅子(一橋大学大学院教授)

慶応義塾大学出版会 3300円

 高齢化が進む日本において、地域医療はますます重要だ。ただ、著者は、日本で「地域医療」を定義することは難しいと断ずる。「地域医療」を英語では「プライマリ・ケア」や「プライマリ・ヘルスケア」と呼ぶのが適切という。本書は、まさに「プライマリ・ケアの経済学」と称するに値する。

「地域医療」に込められたこの含意と文字通りの意味とのズレが、日本の医療の問題点の一つを象徴している。多くの地域の医療は、プライマリー・ケアが確立していない。

 プライマリー・ケアとは、私たちの日々の生活を支える医療サービスであるという。風邪、腹痛、軽度の捻挫などのよくある問題から、高血圧、うつ病などの慢性の問題まで、医療ニーズの大部分をカバーする。この理解は世界的に共有されている。

 プライマリーという英語には、「初期」という意だけでなく「主要な」という意もある。だから、プライマリー・ケアは「主要なケア」ともいえる。それだけ重視されている。しかし、日本の「地域医療」では、その実践が不十分であることが、本書を読むと手に取るように分かる。

 日本の地域医療は、病院中心、高度医療中心で、「地域医療の充実とは大きな病院を建てること」と思われがちだが、それでは充実できないとの指摘は核心をついている。そもそも、多くの人は、(無床)診療所と病院(入院患者を受け入れられる医療機関)の区別すら理解できていない。

 日本には、外来に来た患者にとりあえず対応したらそれで終わり、という医療機関が多い。予防という発想が乏しい。しかし、臨床研究のエビデンスに基づく予防的介入をすることこそが、プライマリー・ケアの視点であると著者はいう。

 加えて、医療の質の評価が日本では欠落している。多くの人は、なんとなく「日本の医療の質は高い」と思っているが、世界では常識的な医療の評価が、日本ではなされていない。さらに、評価をするために必要な正確なデータすら、日本では入手困難というありさまである。東京都民の高血圧の有病率というデータさえ、正確なデータがない。本書では、医療の実態を把握するのにどのようなデータが必要かを考察しており、その重要性を説いている。

 税金と保険料が元手である診療報酬を受け取る医療機関は、詳細な財務状況の報告も求められていないのが現状だ。裏金問題で政治資金の透明化が問われる今日、医療機関も財務状況を透明化することが不可欠だと、本書を読んで痛感する。

(土居丈朗・慶応義塾大学教授)


 いい・まさこ 1963年生まれ。国際基督教大学卒業後、米ウィスコンシン大学マディソン校経済学研究科修了、Ph.D.取得。世界銀行勤務、横浜国立大学経済学部助教授等を経て2005年より現職。専門は医療経済学、公共経営学。


週刊エコノミスト2024年5月28日号掲載

『地域医療の経済学 医療の質・費用・ヘルスリテラシーの効果』 評者・土居丈朗

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